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自分にできることを積み重ね、光を当てていく。

こんにちは。でごです。
「bosyuアドベントカレンダー2020」企画のnoteに乗っかって記事を書くこことになりました。何も考えずに「あっ参加しよ」というフットワークでしたね。

テーマは『bosyuと私』
2020年の私におきましては、bosyuとの出会いは外せないトピックスです。いっちょbosyuでどんなことがあったか、まとめてみましょう。

まとめてたんだよなぁ…。めっちゃ気合を入れてまとめたんだよなぁ……。(頭を抱える)


ただし(姿勢を正す)これを書いたのは8月です。
それからもいろいろあったんですよね。忘れちゃいけないのは『勝手にbosyuラジオ』
ユーザーが?勝手に?bosyuのstand.fmアカウント上でラジオ配信をする?何がどうしてこうなったのか!みたいな話ですが、これに首突っ込んだのは大きな経験でしたね。

こっちもまとめてましたね。ノリノリで書いてました。
今年の春から私のnoteはbosyuに紐付いた更新が筆頭だったように思う。

勝手にbosyuラジオが始まった時、実は心が参っていた

あんなにラジオMCをノリノリでやっていたのですが、仕事の方では結構心が参っておりまして。会社を休んだりもしていました。

仕事で心が参った時って、「こんな程度でダメになる自分は本当にダメ」と思いがちだし、「そう周りに思われているかも知れない」みたいなハイパー自己嫌悪&被害妄想モードに入りがちなんですよね。

そう陥らなかった要因の一つは、大げさかもしれないけどbosyuとの出会いによる変化があった…そう思っています。

「他人のすげえ」をすげえと言う気質

他の人が当たり前にやっている、「自分は知らないこと」「自分ではできないこと」をすげえすげえ!と思う気質で、人の話を聞くのが大好きでした。その人にとっては特別じゃあないけど、「いやあそれが普通になってるってことがすげェですよ!オホー!!」と興味津々純粋ピュア小学生みたいな気持ちを持ち続け今に至っております。

それをbosyuでやったのが通称「ドヤフム」です。

bosyuを利用するようになって、「あなたにとっては当たり前」だけど、それって他の人にはすごいことやったりするで!!ということに特に着目していて、そうだそうだ!みんなすげえんだぞ!!俺がちやほやしてやんよ!!



と思っていたのですが、それってでごさん自身にも当てはまってんなー!!!と気づくに至ります。
私が当たり前にやってることで誰かに喜ばれた経験、職場とかで結構あるんだけど…それでもなお「いやこれくらい当たり前だから…」と謙遜してたのもったいなくない????

ドヤフムを通じて「人の話を興味持って聞く」「人のすごいところをすごいと言える」って当たり前じゃないんだなぁと気づけたし、普段着物を着て外出することも、人事で社保や年末調整に詳しくなったことも、ブログやnoteでゴリゴリ文章を書くことだって…自分としては普通になっているけど、ちゃんとすげえんだな。と。

自分でもできることがあるぞ、という気づきの積み重ねと、それにスポットライトを浴びせられる場所。それがbosyuという場所の役割の一つだなぁと思っています。

それは私の武器なのか

bosyuラジオもそうで、「はーおもしろそ。」と思ったくらいでひょいっと立候補しちゃったりすることも、打ち合わせの議事をサクサク書いたりすることも、依頼に速いレスで対応することも、仕事してる中では当たり前になっていたけど、「なんだ、でごさん結構おもろいことしとるやん。」と自分を肯定することに繋がっていきました。

わーっとのめり込んで色々盛り上げていく割に、「それも自分のええとこやで」というのに気づくのに時間がかかっておりましたね。いやあ、私にできるのは激熱に語ってフォローしたりするぐらいですから…と超絶謙遜モードでした。

…でしたが、それも立派な武器やんけ!!!気づけ!!

「やりたいことがある」という原動力

冒頭の話に戻りますが、勝手にbosyuラジオが発足するあたりで、仕事の方でメンタルがボロボロでした。

でも、「しんどいなかでもラジオをがんばった」わけではありません。「それにすがりついて現実逃避していた」わけでもありません。

勝手にbosyuラジオの企画を動かしたり、bosyuで活動をしたりするのは、明らかに「自分がやりたいこと」でした。わしゃここで自分のやりたいことをして、充実して、楽しくやれてるぞ!!!
大丈夫だ!!でごが否定されたわけでもだめになったわけでもない!!仕事でのメンタル不調は、あくまで仕事での不調やで!!

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bosyu cafeという場所

複数のコミュニティ…居場所を持つことで安心・安全性が保たれるとはよく言ったものです。

会社というコミュニティ、仕事をしている自分だけがアイデンティティだと、そこが崩れたときのダメージが大きい。
それ以外の場所でも楽しみを持てたり、関係を持てていると、別のところで落ち込んでも、他に楽しみを見いだせます。一つの場所に依存していると、よくも悪くもソコでのアレがコレしちゃいますからね。


私の場合は家族はもちろん、twitterやbosyu界隈でも「活動」する場所があった…というのは、すごく大事なことだったなと改めて思うのです。会社でメンタルやられたことなんて、「会社でメンタルやられたなー」という、ワンオブ色々として消化できました。

bosyu cafe内はゆるゆるっといろんな人と交流ができたり、交流しなくても見てるだけで「ほへー」となれるいい場所ですね。bosyu内でお世話になった方が「こんなこともしたでー!」みたいなことを話しているのを聞くと「ククク…その人は本当にすごい人…」と陰ながら誇らしげに応援しています。

やってきたことが自身を作り、それは紛れもなく価値である

改めて基本に戻ると「あなたにとって普通のことでも、誰かにとっては特別なことかもしれない。」というbosyuのコンセプトは、極端な話生きていく上でとても大事なことだなと思います。

「自分ができるコレは、こういった人たちにとって役立てるんじゃないか?」

この発想って、世の中にある仕事の根本にあるものですよね。できる何かで、誰かの役に立つ。
とはいえ、誰かの役に立つ何かが自分にあると気づくことって案外難しい。でもそれは大したことじゃなくても大丈夫。bosyuを眺めたり、bosyu cafeのみなさんが投稿する悩みや達成したことなどを見ているうちに、「こういうのもアリかな…?」って思う何かが出てくるのではないでしょうか。

そういった「何か」を見つけられたのが、私の大きな大きな支えになっています。なんかもう「仕事でメンタルやられた」ことすらいっそ私の武器ですからね。人事やってる上で見える世界も変わったし、それ以外のところでも視野が広がった思いです。


さて年末。今年を振り返りつつ、自分にできた何か、誰かに喜んでもらえた何かを見つけて、光を当てていきましょう。いろいろと企んでいきましょう。


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