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坂本龍一「Opus」死の間際の新境地 終局へのカタルシス
「for Jóhann」この曲がヨハン・ヨハンソンを追悼している曲だったということを知ったのは、つい先日届いた坂本龍一のラストコンサートのアルバム「Opus」のライナーノーツを読んだ時です。
不在の友へ──坂本龍一がヨハン・ヨハンソンに捧げた一曲
ライナーノーツにも書かれていますが、ポストクラシカルの旗手として、映画音楽家として、そして映画監督としても才能を開花させていたヨハン・ヨハンソン。坂本龍一と何度か共演し、これからも続くはずだった二人の対話は、2018年、彼の突然の訃報によって断ち切られました。
坂本龍一が彼を悼んで作ったこの曲には、静かで深い哀悼の念が込められています。左手で響く和音は、トップノートでささやくようにメロディを暗示しながら淡々と進行し、右手はまるで指揮をするかのように空を切る──まるで不在の友へシグナルを送っているかのようです。
演奏が終わるころ、ふと気がつけば、スタジオに灯されていたフロアランプは静かに消え、壁には朝の光が滲んでいました。まるで、眠れぬ夜の果てに訪れる救いのように、静かな光が差し込んでいたのです。
ヨハンソンとの共作が叶わなかった坂本龍一の想いは、この曲の余韻となって、今も静かに響き続けています。
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ヨハン・ヨハンソンのことを私は最近まで知りませんでしたが、知人に教えてもらって初めて聴いたときにすぐに好きな音楽だなと思いました。
調べたら、坂本龍一がヨハン・ヨハンソンの曲を1曲リミックスしていることを知りました。
「Opus」では、2曲目「BB」が映画監督のベルナルド・ベルトルッチの追悼曲で、5曲目「for Jóhann」がヨハン・ヨハンソンの追悼曲になっていて、この2曲だけ追悼の意味が込められています。
死を意識した演奏
「Opus」はモノクロで黒を基調としたパッケージで死を連想させます。
映像もモノクロです。
坂本龍一自身がこの形式での演奏はこれが最後になるかもしれないとコメントしていました。
死を意識したコンサートだったと思います。
3曲目「Andata」、13曲目「20220302 - sarabande」も自分の死を意識して作られているように思います。
「サラバンド」はバロック時代の3拍子の舞曲のことで、バッハが有名だと思います。
バロック時代以降もサラバンドは作られていて、サティもサラバンドを作っています。
坂本龍一も自身のサラバンドを遺したいと考えたのではと思います。
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ここにきて新境地
坂本龍一はこのコンサートで「ここにきて新境地」とコメントしていました。
何が新境地なのか考えました。
このコンサートでは、今まで披露しなかった曲がたくさん弾かれています。
11曲目「Tong Poo」も連弾はありましたが、ソロピアノでの演奏は初めてだと思います。
しかもかなり遅いテンポで今までにないアレンジで弾いています。
遅くても躍動感があり、「新境地」を一番感じた演奏でした。
それ以外にも、9曲目「美貌の青空」も間奏部分の不協和なコードもいつも以上に不協和なクラスターになっていたと思います。
映画では途中で演奏が中断しますが、CDでは中断しないバージョンが収録されています。
17曲目「Trioon」はカールステンニコライとのコラボ曲です。
ソロピアノで弾くと当然ながらカールステンニコライの音響ノイズはありません。
でも、息遣いとかペダルを踏む音、が音響ノイズを補完する役割になっていると思います。
音と音の余白のノイズを聴くという感じです。これも新しいアプローチだったのかもしれません。
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18曲目「Happy End」では、旋律に上の倍音の音を足して弾いている箇所があり、それが心地よいです。
この曲も今まで何度も弾かれてきた曲ですが、今回の表現は初めてのものでした。
また、今までは連続して演奏は収録していたと思いますが、今回は体力の問題もあり、数曲ずつの収録になったということでした。
それは、逆に考えると1曲ずつ時間をかけて取り組めるし、準備の時間もしっかりあったのだと思います。
19曲目「Merry Christmas Mr. Lawrence」も2020年のコンサートの時のようにかなりスローで丁寧に弾かれています。
次の「Opus」がエンドロールとしたら、やはり戦メリがラストで集大成という感じを受けます。
Youtubeですでに1,700万回以上再生されていました。
すごいです。
20曲目「Opus」も最後まで弾かずに途中で演奏が終わります。
この未完で終わる感じ、余韻を残した終わり方が他の曲でも随所にされており、その表現も儚さが感じられるし新しさも感じました。
ブルーレイよりもCDの方が音に集中して聴けるので、返って「Happy End」、「Merry Christmas Mr. Lawrence」、「Opus」と命を削っての演奏が終わりに向かっていくのが分かり、何度聴いても悲しさを感じます。
浅田彰は「完璧な演奏マシンから最後にヒトになった坂本龍一」と評していますが、自身の命と向き合いながら、自己表現した演奏が新境地なのかもしれません。
このアルバムは本当に傑作だと思います。
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古代ギリシャの医師ヒポクラテスの格言「Ars longa, vita brevis」はラテン語で、「芸術は長く、人生は短し」という意味ですが、その格言を最後の言葉として坂本龍一は遺しました。
人の命はいつ尽きるか誰も分かりません。
当たり前のようにある「日常」がある日突然終わってしまいます。
そう思うと、今自分が本当にしたいこと、思っていること、向き合いたいことに目を向けて、それを優先して生きていきたいとあらためて思いました。