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ずっとあるもので遊ぶ

今あるもので遊ぶ。
無いものは気にしない。ほっとく。
「今の自分には無い」などと言って、探して買ったり、持ってるように見えるあの人から奪おうとしてる間はつらく苦しい。

巷では「お前持ってないだろ?」と、渇かされるような呪文で溢れている。
そうする事でエネルギーが回る仕組みとなっているようだ。

でも本当は、道具、荷物、手段は少ないのがいい。
言葉も、車など移動手段も、衣服も、部屋空間も、食べ物も、思考も、そしてこの肉体も。
どれも手段であって目的地ではない。
目的地に到達した時、手段は手放されている。
命がありながら「何も要りません」は嘘つき。

今あるものがいい。
じっくり向き合うと楽しい。
今そばにあるなら、それはまだ未熟、未達だから。
じっくり眺め、傷やほころびに気付いたら少し労るくらいにして。慈しむ。

今ここに無いのは、今不要だから。
今ここに在るのは、今必要だから。

本当は、肉体も、いつかどこかで作られた私も、目の前の扇風機も、あの月も、何も実在しない。

もちろんこの文章なんかどうでもいいし、すぐに捨てられるべき。一度咀嚼され飲み込まれた食べ物がウンチとして流されるように。

あの聖典やグルの言葉でさえも、ただのか細い手段。
それを必要として求める間は、どこか何かへ到達しようとしてる「未到達」という夢まぼろし。

意識された時現れる。

私はずっといない。存在したことがない。
肉体は一瞬の閃光。

ずっとあるものがある。
何万年、何億前も。何万年、何億年後も。

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