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日本競馬史上最高の3強対決は?

日本競馬の歴史は、この言葉がもつ特有のワクワク感とともにあった

8冠馬アーモンドアイ、無敗の3冠馬コントレイル、無敗の3冠牝馬デアリングタクト。
現役最強といえる3頭の3冠馬が、東京芝2400mを舞台に戦った。

脇を固めるメンバーも、4歳菊花賞馬ワールドプレミア、香港G1馬グローリーヴェイズ、安定感抜群のカレンブーケドール、古豪キセキ、フランスから来日したウェイトゥパリスなど多彩な役者が揃っていた。
しかし、何よりも「3強対決」という言葉の響きに酔いしれながら、日本中の競馬ファン、そしてすべてのスポーツファンが、固唾(かたず)を飲んで発走の時を待っていた。

そして訪れた、3時40分。
アーモンドアイが、持ち前の強烈な瞬発力を繰り出て勝利を飾った。
キセキが打った大逃げの手に動じることなく折り合い、いつものアーモンドアイの姿そのままに、直線で抜け出した。
その直線の光景は、真正面からぶつかりあう姿を見せてくれた勇敢で偉大な3頭の3冠馬に、誰もが心から「ありがとう」と言いたくなった。
そんな感動と迫力に満ち溢れていた。

3強対決”。

思えば日本競馬の歴史は、この言葉がもつ特有のワクワク感とともにあった。
まだ2020年ジャパンカップの余韻が残る中で、過去にもあった3強対決の歴史を振り返ってみたい。

1997年、天皇賞(春)。「大外から何か1頭、トップガン来た、トップガン来た、トップガン来た」

「サクラローレルかかった、かかった、どうしたんだ、サクラローレル」
「このあたり、うまくいっているのではないしょうか、トップガン」
そして、直線。
「大外から何か1頭、トップガン来た、トップガン来た、トップガン来た」
そんな印象的なフレーズが散りばめられた、杉本清氏の名実況とともにファンの中で鮮烈な思い出となっている、3強による最後の対決。

それが、1997年の天皇賞(春)だった。
古馬になってその才能が大きく花開いた王者サクラローレル。
5歳になった菊花賞馬マヤノトップガン。
悲願のG1初制覇がどうしても欲しいマーベラスサンデー。

役者はそろっていた。
中でも、前年の天皇賞(春)を制していたサクラローレルの、たくましさすら感じるような強さは常に大きく評価されており、「マヤノトップガンとマーベラスサンデーがどう負かすのか、果たして負かせるのか」といった雰囲気が、この3頭には常にあった。

そしてレースでは、3コーナーよりも前から、真っ先に自ら動いて勝ちに行くサクラローレルの姿に見惚れ、その背後を徹底マークしながら進出していくマーベラスサンデーの勇敢さに痺れ、いったんはその馬群から離れながらも大外を急襲したマヤノトップガンの変幻自在な戦法に酔いしれることになる。

結果は、当時、G1を3勝もしながら、なぜか周囲の評価が思ったほど上がってこなかったマヤノトップガンが、ライバルのサクラローレルを大外から完璧に捕えた。

この時はまだG1未勝利だったマーベラスサンデーが、次走の宝塚記念でキッチリと悲願達成の勝利を収めたことも、「あの3頭はまさしく3強だった」という印象を強くしているように思う。
誰もが認める「平成の3強による一戦」だ。

1998年、日本ダービー。明暗クッキリの3強対決

スペシャルウィーク。
セイウンスカイ。
キングヘイロー。
1998年のクラシック3強は、この3頭を中心に大変な盛り上がりを見せていた。
それぞれの個性が、とても際立っていた馬たちだ。

武豊騎手に初めてのダービー制覇をプレゼントできる存在としてクローズアップされた、その名もスペシャルウィーク。
今では当たり前の乗り替わりも、当時は「非情だ」という声すら上がった横山典騎手のセイウンスカイ。
デビュー間もない新人だった福永祐一騎手が乗る世界的良血キングヘイロー。

その中でも「スペシャルウィークは断然強い」という声が多かった。
しかし、そういった雰囲気の中で行われた皐月賞では、内側に出現した「グリーンベルト」と呼ばれる馬場のバイアス差の影響もあり、スペシャルウィークは3着に敗れることになる。
そんな意外な敗戦をして迎えた、日本ダービー。

ここで、スペシャルウィークの類まれなる才能が解き放たれる。
馬群の中を突き抜けると、そのまま真一文字に伸びる圧巻の末脚を披露。
圧勝のゴールとなった。

昔から競馬には「2強対決はどちらかが飛ぶ」「3強対決は固く決着する」というジンクスがある。
しかしこの時は、セイウンスカイが4着。キングヘイローは暴走気味の逃げを打って大敗となった。
これほどまでに、明暗がクッキリと分かれる3強対決はむしろ珍しい。

その後、セイウンスカイは菊花賞で乾坤一擲(けんこんいってき)の大逃げを打ってスペシャルウィークを完封。
スペシャルィークの成長力は目覚ましく、4歳シーズンは王道を歩みながらジャパンカップを含むG1・3勝。
真の王者となって現役生活を終えた。
キングヘイローは古馬になったのち、路線を変更。
1200mの距離に活路を求め、高松宮記念を柴田善騎手で勝っている。

1998年、毎日王冠。稀代の快速馬をただ1頭だけ追ってきた翌年の凱旋門賞2着馬

異能の快速、サイレンススズカ。
骨折から、約10カ月ぶりの実戦となる栗毛の怪物、グラスワンダー。
無敗のNHKマイルカップ王者、エルコンドルパサー。
この3頭が激突したのが、1998年の毎日王冠だった。

毎日王冠はG2クラスのレースだ。
しかし、「3強対決」という言葉を出すと、このレースのことを挙げる競馬ファンは本当に多い。
当時、本番の天皇賞(秋)には、「マル外」と呼ばれる外国産馬は出走できないことになっていた。
今では存在しないそのルールこそが、この3頭による対決が「伝説のG2」と称される理由となっている。

外国産馬であるため、グラスワンダーもエルコンドルパサーも、ここを勝っても本番の天皇賞(秋)には出られないという状況。
この状況が、競馬ファンを熱くさせた。
グラスワンダーとエルコンドルパサーの両方の主戦だった的場均騎手は、この2頭のことを「なぜよりによって同じ年に現れたのか」という言葉で表現している。
そして的場騎手は、グラスワンダーに騎乗することを選択した。

結果は、サイレンススズカの圧勝。
影をも踏ませぬ圧巻の逃亡劇がここでも決まった。
後続はなすすべがなかった。
グラスワンダーは骨折の影響もあってか着外へ。
そしてここから、復活への道が始まった。

しかし、ただ1頭だけ、この伝説の逃亡者の後をものすごい勢いで追ってきた馬がいた。
エルコンドルパサーだ。
この、彼が初めての敗戦で見せた「これはむしろ強い」というインパクト。そういったファンの見立ては、翌年のパリのロンシャン競馬場で証明されることになる。

翌年の凱旋門賞。
エルコンドルパサーは、当時、欧州で無敵を誇った世界王者のモンジューと死闘を繰り広げてマッチレースの末に2着。
2頭で後続を大きく離してたたき合ったこの凱旋門賞は、現地のメディアやファンから「勝者が2頭いたレース」と称賛された。

「3強対決」というのは、実現すること自体が本当に難しいものだ。
例えば、モンジューは1999年、凱旋門賞を勝った後にジャパンカップに参戦。
そこには日本で本格化していたスペシャルウィークが待っていた。
本来であれば、そこに、エルコンドルパサーも出走すれば、日本競馬史上最高レベルの3強が実現していたかもしれない。
しかし、エルコンドルパサーはそこに出走することはなかった。
そう簡単には、出そろわない。
だからこそ3頭が同時にレースをする、「3強」には価値があり、ファンは魅了される。

サイレンススズカは、残念ながら次走、天皇賞(秋)で大きなケガを負い、競争を中止。
これが最後のレースとなる。
日本の競馬ファンにとって、忘れることのできない稀代の快速馬だった。

2000年、天皇賞(春)。世紀末覇王を巡る、3強スト-リー

4歳になって明らかに迫力が増した、皐月賞馬テイエムオペラオー。
4歳になってこちらも充実、絶好調ナリタトップロード。
悲劇の最後から数年後に突如として現れたサイレンススズカの弟、ラスカルスズカ。

2000年の天皇賞(春)は、こういった様相を呈していた。
天皇賞(春)というのは、菊花賞馬が強いと認識されているレース。
しかしここでは、テイエムオペラオーが同期の菊花賞馬ナリタトップロードを一蹴することになる。
そしてここから、「世紀末覇王」と呼ばれる、何があってもG1を勝ち切るという憎いほど強いすごみ溢れる姿に変貌していくことにもなった。

同時に、ナリタトップロードの、G1だとあとひと押しが効かなくなるという悩ましいキャラクターも確立されていった。
ラスカルスズカは2着。
ナリタトップロードは3着。
前哨戦の阪神大賞典とまったく同じ結果となった。

テイエムオペラオーの場合、「アドマイヤベガ・ナリタトップロード・テイエムオペラオー」というクラシックを戦った同期生の3頭こそが3強のイメージだというファンも多い。

また、古馬になってからは「テイエムオペラオー・メイショウドトウ・ナリタトップロード」こそ、3強対決をしていたというファンもいるだろう。
それほどまでに、テイエムオペラオーという馬は、たくさんの世代のライバル馬と戦い、また、多くの名勝負物語を紡いだ。

ナリタトップロードだけではなく、メイショウドトウにも、2001年の宝塚記念を勝つまでは「いつもテイエムオペラオーの2着」という、ライバル馬としての悩ましい立ち位置があった。
そのぶん、どちらも、とても愛されている馬だった。


魔法のフレーズ「3強対決」

競馬ファンは、本当に「3強対決」が好きだ。
各陣営が、どんな作戦を立て、日々、どんな仕上げをしながら挑んでくるか、そしてレース中に必ず起こりうる、「駆け引き」と「その馬らしさを出すための最善策」のぶつかり合いを、レース前に味わい、レース後に語り合うことができるからだろう。

アーモンドアイは、5歳で出走したジャパンカップで引退となる。
中央競馬のG1レース9勝は、前人未到の大偉業だ。
そのどれもがあまりにも鮮やかなレースぶりだった。
今度は繁殖牝馬となり「母・アーモンドアイ」として、自身の類まれなる才能を宿した子どもたちを競馬場に送り込んでくれるだろう。
その日を楽しみに待ちたい。

日本競馬の歴史上、最高のジャパンカップ。
そう称された今年のジャパンカップが終わっても、競馬の歴史はまだまだ続く。

次に訪れる「夢の3強対決」も、それぞれが、自分の持ち味や個性とともに、きっと最高のパフォーマンスで、ファンの心に思い出の1ページを刻み込んでくれるはずだ。

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