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大人の「現代文」91……『こころ』先生の良心の復活

「病気はもういいのか、医者へでも行ったのか」というK


 

 前回、先生が奥さんに、お嬢さんとの結婚を申し込んだ後、落ち着かぬ心のまま、外に出てかなりの距離を歩き回ったところまでたどりつきました。その長い散歩の後、帰宅した先生に何が起こったのか?

 ここ、普通あまり注目されないでしょうが、私は、ここに立て続けに使われる「良心」という言葉に注目するのです。言わば、お嬢さんを取られまいと「悪魔化」した先生が、本来の先生に戻る場面と言ってもいいかもしれません。引用しますね。

    Kに対する私の良心が復活したのは、私がうちの格子を開けて、玄
    関から座敷へ通るとき、すなわち例のごとく彼の部屋を抜けようと
    した瞬間でした。彼はいつものとおり書物から目を離して、私を見
    ました。しかし彼はいつものとおり今帰ったのかとは言いませんで
    した。彼は「病気はもういいのか、医者へでも行ったのか」ときき
    ました。私はその刹那に、彼の前に手をついて、謝りたくなったの
    です。しかも私の受けたそのときの衝動は決して弱いものではなか
    ったのです。もしKと私がたった二人で曠野の真ん中にでも立って
    いたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で謝罪したろ
    うと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこでく
    い止められてしまったのです。そうして悲しいことに永久に復活し
    なかったのです。(第一学習社 現代文)

 Kが私に体調について聞いたのは、先生は仮病を使っていて、「体調が悪い」ことになっていたからです。にもかかわらず、外出したので、不審に思って問いただしたわけです。ですから、Kの質問はある意味しごく当然ではあったのですが、にもかかわらず、なぜにKに対して先生の「良心が復活」したのでしょうか?

 それは、さりげないKの言葉に、純粋に親友の体調を思いやる、Kの真心に触れたからではないでしょうか。逆に言って、たった一言で、「良心を復活させる」言葉が成り立つとは、一体どういうことなんでしょうか?

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