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大人の「現代文」107……漱石・鷗外の凄み
自分を飾らない知の凄み
これも、前回からの続きであるんですが、自戒も含めていつもいつも思うことは、人は自分を飾りたがるものだということです。
鷗外や漱石の凄みは、そういう人間の持つ、根本的な弱さから自由だということです。これは以前に書いたことがあるんですが、授業で、漱石の『こころ』のテーマは究極的に言えば「信頼する人間を裏切ってはならない」という単純なことと言えるよと言ったら、優等生の生徒が、何だつまらない、という表情をして「そんなこと?」と呟いたシーンを思い出します。
もちろん、その生徒は漱石ほどの有名な人物が、そんな子どもでもわかるような単純なことを言うはずがないと、何か小難しい理屈を期待していたわけですが、その後、「信頼」とはどういうことか「人間」ということばにはどういう深い意味がこもるか、「裏切る」とはどういうことか、授業で『こころ』に即して説明していく中で、彼なりに自分の心を省みて気づいてくれましたが、まあ日々「かっこいい」ことばが氾濫する「難解な」文章を読まされている彼らの立場を考えれば、最初の反応は仕方ないことではあります。
それにしても、漱石は本当に自分を飾らない知の人だと思います。漱石の時代、西洋由来の抽象的なワードを使って、知識人を振る舞うのはむしろ当たり前の時代だったと思いますが、該博な教養で自分を飾ることなく、自分のホンネの感情を誠実に追究して、いくらシンプルに見えようとも、これが日本人の倫理感情だという自負を持って正確に小説化した知のすごさは、その観点でもっと称えられていいのではないかと思うのです。
そして、こういう日本人の根幹を誠実に見詰めた鷗外や漱石の小説世界が、教育においてもだんだん省みられなくなってきている現状と、現代日本のいろんな場所で起きている混乱は、私には、コインの両面のように見えるのです。