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大人の「現代文」118……『檸檬』9教材として

 人生への好奇と不安


 授業で小説教材を扱うのは、いわゆる「趣味」として味わうのではありません。あくまでも「学ぶ」対象であって、「ただ楽しむ」ものではないのです。「ただ楽しむ」ものであるなら、何も学校で学ぶ必要はなく、個人で楽しめばいいのです。

 この『檸檬』という小説はどうでしょうか?この小説は、受け取る生徒の反応が分かれます。一部の生徒には、「ゾクゾクするほどおもしろい」ものであり、また他の生徒にとっては「全然おもしろくない」ものになる虞があります。しかし、大半の子にとっては、「なんだかよくわからないけど、何か変わっていておもしろい」といった感じ、ちょうど、子どもが初めて見る動物におそるおそる近づくような、「何これ?」と目を丸くするような感じが、この小説にはあるのではないかと思います。

 高校生(に限りませんが、こども)と「大人」との違いは、人生を「未知」なものとして、新鮮な感覚で好奇心を持って見るか、「既知」のものと見て、新鮮な感動量が減るか、このあたりがざっくりとした分かれ目になるのではないでしょうか。この主人公の独特な感性が生徒を惹き付けるのは、この人物の「感性」に、何か人生の秘密を解き明かす秘密のようなものがあると生徒が思うからなのです。もちろん、人生の秘密は「数の世界」にあると思う若者は「めんどくさ!」と呟いたりもするのですが……。

 はっきり言えば、この主人公の「魅力」は、上記の「人生に対する好奇の目」の裏側にある「自分に対する不安」をこの主人公が持っているからと言えるでしょう。人生に対する好奇と不安は、生徒の心では一対の関係にあります。この「人生に対する不安」は時として「自分の根っこに対する不安」あるいは「自分に自信が持てない」感覚として、ささいなことにも彼らを傷つかせるのです。

 冒頭の「焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか」「えたいの知れない不吉な塊が始終私を圧えつけていた」のことばが生徒の心に刺さるのは、こういう感覚にヒットするからと思うのです。

 で、改めて「みすぼらしい美」に戻りましょう。敏感な生徒は、主人公の自虐的な自己救済にホーっと思うと思います。この主人公何やら人生最悪な状況らしいけど、負けていないな!「みすぼらしい」と自虐しても、何か自分を支える「美」をもっているんだな!「病気」や「貧乏」に追い詰められても、いじけていないな、そんな感じです。

 で、そんな生徒の心を横目に見ながら、さらに先を読み進めましょう。


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