大人の「現代文」96……『こころ』なぜ人間として負けなのか
信じる力
前回の宿題の、先生の「Kに人間として負けた」の感想こそ、先生の思想を端的に語るものと思います。具体的に考えれば、Kの切ないお嬢さんへの恋心を知りつつ、そのKを出し抜いてお嬢さんとの婚約を勝ち得た先生に対して、一切文句は言わず、そのまま黙って受け止め、祝福する態度に先生は衝撃を受けたということです。その衝撃を受けた感覚こそ、実は先生の「思想」なのです。
もう少しファクトを言えば、普通なら、先生がKに何も言わず、言わば出し抜く形で婚約したという親友としての「裏切り」行為をKが怒るのが当然なのに、一切怒りを示すことなくそのまま受け止め、先生に対しては一切文句めいたことを言わなかったことに先生は参ってしまうわけですが、その先生の「負けた」感覚はどう説明したらいいのかということです。
つまり、抜け駆けしてお嬢さんを「手にしてしまった」ことに対してというより、親友としての「信頼」を逸脱した行為に対して、すなわち、親友としての「暗黙の約束違反」行為に関して、それをとがめることをしなかったというKの態度に関して、敗北感を抱いたということです。先生は信頼するフリして二枚舌でKを裏切ったのに、Kは先生に対する信頼感を、全く放擲せず信じ切る態度を貫いたということです。
人を信じきるこのKの不動心に、先生は「負けた」と思ったのでしょう。そしてそれが人間の根本的に持つべき態度と先生は、改めて覚知したのではないでしょうか。だから「人間として」負けたと思ったのでしょう。そして「負けた自分」を「人間として」卑怯と思って赤面したのだと思います。
先生の「思想」は、無言のKの態度によって逆説的あぶりだされたものですが、私は、これこそ日本人の信じる「人間の思想」と思っています。