大人の「現代文」97……『こころ』先生の思想・Kの思想・信頼の思想
信頼という信仰
私は日本人の心の底にある人間への信頼感覚って、ほとんど信仰のようなものと思っています。人を信じやすい人は、お人好しとか子どもっぽいとか、時に言われたりもしますが、でも「人は信じるべき」というこのシンプルな感覚こそ我々の心の底に、常に美しい理想としてあって、我々に生きる希望を与えつづける力となっていると思うんです。ですから、それは単なる感覚ではなくて、信仰のようなものだと思うのです。
その信頼関係が一番ピンとくるのがいわゆる親友関係ですから。漱石は、それを最もわかりやすい形で表現したのだと思います。しかも、信頼関係をそのまま示すのではなく、信頼関係を装いつつ、真逆の行動をしたとき、あとでそれがどのように自分にはね返り、どういう苦悩に陥らせるかをリアルにえぐり出して示したのだと思うのです。
ですが、私は、この、信頼にこだわる感性を、先生という特異な人物の個人的なものとは思っていません。「親友との間柄」という言葉を一皮むいて、「自分の最も信じる人間との間に築いた心の絆」というふうに言い換えれば、それは絶対破ってはならない掟として、現代日本人の心の奥底に厳然としてあるのではないでしょうか。そういう不動の絆感覚を我々は持っているのではないでしょうか?
現代人の「孤独」とは、ただ一人きりということではなく、真の信頼を持てる人がいないことを意味しているのではないでしょうか?自分がひとりぼっちと感じたとき、目の前に来て、自分の目をのぞきこんで、何も言わずにあなたのそばにいるという全幅の信頼を示してくれる人がいないということを意味しているのではないでしょうか?