大人の「現代文」100……『こころ』Kの手紙の意味
Kという人物
先生は、Kが先生宛の手紙のなかで、先生にとって「つらい文句」を書いていなかったことに「助かった」と思ったわけですが、むしろつらい文句が書かれていた方が、先生は救われたと思います。なぜなら、もしKが先生を手紙でなじったら、「人間として負けた」と思わせたKがその立派さを失うからです。先生自身が言うように、先生の婚約を知ったKが、そのことに対して「超然とした」態度であったが故に、先生はKを自分と比べて「はるかに立派」と思ったからです。
もし、Kが文句を言ったら、Kの「超然とした」態度の「立派さ」は崩れます。すなわち先生はKに「人間としての負け」を意識する必要もなくなり先生とKは同等になってしまうからです。両者とも「ノーと言えない信頼関係のもと、利害を超えた親友関係」を逸脱して、自らの利害に執着する人たちになるからです。
Kが圧倒的に凄いのは、「禁欲」という思想を貫いて死んだということです。Kと先生の間にある「親友関係」とは、相互の絶対的な信頼関係のなかで、相手に対して自己利益を優先しないということです。Kはそれを誠実に実践して、その結果抑えざるを得なく湧き上がるお嬢さんへの思いを自ら断ち切るべく自殺したのでしょう。Kは先生との親友関係を最後の最後まで貫いたわけで、その純度に先生は「負け」たのです。
とは言っても、先生は一点の疑念を持っていた。自分は、タテマエたる親友関係を維持したフリをしつつ、相手を欺いた。同じことがKにも起こるのではないかという危惧です。自分同様、Kにも先生と同じような「私欲」が生じるのではないかと思い「つらい文句」への恐怖になったわけです。
しかしやはり「つらい文句がなかった」ことを確かめた先生は、世間体的にはホッとすると同時に、改めてKと自分との「人間的立派さの落差」に思いを致したでしょう。そして「取り返しのつかない」思いに、改めて突き落とされたでしょう。彼がKとの信頼関係を回復する手段、つまりKへの謝罪のチャンスが永久に失われたからです。謝罪できない以上、先生は、一生自らへの断罪意識に苛まれることになる。これが「私の前に横たわる全生涯を照らした黒い光」の正体なのだと思います。