大人の「現代文」98……『こころ』Kと先生の死について
Kの自殺その1
高校教師としてこの作品を扱う際に、もっとも扱いづらさを感じるのは、Kの自殺と、それが原因になる先生の死です。私は、自殺に対して否定的な感情を持っておりますので、このストーリーの結末だけは、「心情的に」いただけないのです。まして私は高校教師ですから、なおさらなのです。
しかし、あくまでも、これは小説であり、フィクションですから、筆者がこういう風に、顛末をつけた事情は推論せざるを得ません。ましてこのブログ名は、大人の「現代文」ですから、ここはちょっと教師としての立場・感覚を離れて、純文学的に自分の考えを記してみたいと思います。
先生が、Kを出し抜いてお嬢さんとの婚約を確定した後、先生は本来の自分を取り戻し始めます。すでに確認しましたが、お嬢さんと先生の婚約を知った際のKの態度に「自分は策略で勝っても人間としては負け」たことを意識し、自分の「卑怯」に顔を赧らめます。そして、先生のこころに「謝罪」の念が沸き起こりますが、プライドが邪魔して、その即座の実行にはいたりませんでした。
ぐずぐずしている間に、Kが自殺してしまいます。先生がなかなか謝罪に至れない「自尊心」はよく理解できますし、ストーリー的にも、もし先生が現実に謝罪してしまったら、この『こころ』という作品の悲劇性は一挙に失われてしまいますので、変な言い方ですが、先生が謝罪を躊躇したのは、正解だったのですが、ではKが先生の婚約を聞き、自死に至るまでの心理はどのようなものと考えられるでしょうか?
下四十八より、Kの死の有様が詳細に語られますが、Kの生の気持ちは、先生宛に書いた「手紙」で推し量るしかありません。それは一体どいういうものであったか、重苦しくなりますが、引用してみましょう。先生が自殺したKを発見した場面からです。
その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた
時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の部屋の中を一目見るやい
なや、あたかもガラスで作った義眼のように、動く能力を失いまし
た。私は棒立ちに立ちすくみました。それが疾風のごとく私を通過
したあとで、私はまたああしまったと思いました。もう取り返しが
つかないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横
たわる全生涯をもの凄く照らしました。そうして私はがたがた震え
出したのです。(第一学習社 現代文より)
長くなりますので次回に続きます。