大人の「現代文」93……『こころ』謝罪できぬまま
Kに話せないうしろめたさ
Kに謝罪し得ぬ(親友としての)苦しみに悶々とする先生の心情がまるでスローモーション映像のようにあぶり出されます。Kに真心のこもった言葉をかけられた夕食のときのことです。引用です。
夕食のときKと私はまた顔を合わせました。なんにも知らないKは
ただ沈んでいるだけで、少しも疑い深い目を私に向けません。なん
にも知らない奥さんはいつもよりうれしそうでした。私だけがすべ
てを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。そのとき
お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。
奥さんが催促すると、次の部屋でただいまと答えるだけでした。そ
れをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥
さんに尋ねました。奥さんはおおかたきまりが悪いのだろうと言っ
て、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんでき
まりが悪いのかと追究しにかかりました。奥さんは微笑しながらま
た私の顔を見るのです。(第一学習社 現代文 以下同)
引用が長くなりますが、漱石の見事な心理描写が凄すぎるので引用を続けますね。
私は食卓についた初めから、奥さんの顔つきで、事のなりゆきをほ
ぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前
で、それをことごとく話されてはたまらないと考えました。奥さん
はまたそのくらいのことを平気でする女なのですから、私はひやひ
やしたのです。幸いにKはまたもとの沈黙に返りました。平生より
多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱いている点ま
では話を進めずにしまいました。私はほっと一息して部屋へ帰りま
した。しかし私がこれから先Kに対してとるべき態度は、どうした
ものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私はい
ろいろの弁護を自分の胸でこしらえてみました。けれどもどの弁護
もKに対して面と向かうには足りませんでした。卑怯な私はついに
自分で自分をKに説明するのがいやになったのです。
先生が言う「卑怯な私」とはどういう点で「卑怯」なのでしょうか?むろんKを出し抜いてお嬢さんと婚約したこと、という答えになるでしょう。では、婚約したことと、出し抜いたこと、どちらのウェイトが重いのでしょうか?先生は何か悪知恵でお嬢さんとの婚約を勝ち得たのでしょうか?もちろん違います。かりにKがお嬢さんへの婚約を申し込んだとしても、今までの経緯からして奥さんの承諾は得られなかったでしょう。婚約の可否について言えば、先生はすでに事実上勝利者なのです。では何が「卑怯」なのでしょうか?それは単純に、婚約を「何でも話せるはずの親友に言わずに決行した」というその一点に尽きるのではないでしょうか?すべて話すべき親友関係を逸脱したうしろめたさこそ「裏切り」の罪悪感の正体ではないでしょうか?