大人の「現代文」73……『こころ』Kという人物の思想って?
Kとは何者か?
さて、Kが登場していよいよ先生のどろどろ心理劇が始まるのですが、このKという人物、すでに以前にも触れましたが、全く一筋縄では行きません。改めて、簡単に素描します。
Kは先生と同郷の幼なじみです。坊さんの子だが、医者の家に養子に行きます。宗教とか哲学問題に悩み、常に道のための精進を考える超頑固な人物です。養子先を欺き、医科には行かず、文科に入学し、三年後実家に白状しました。養家先は怒り、学資を送らなくなります。実家も怒り勘当されてしまいます。生活の資を失い、見るに見かねた先生が、下宿に引っ張り込みました。
こういう人物がKであり、Kが本編に登場する経緯です。いかがですか?ここからしてわかりづらいですよね。養家から学資を出して貰っているにもかかわらず、嘘をついて医科(医学部)に行かず文科に行く、って何なの?となりますよね。明らかにこのKは『舞姫』の相沢のような「常識人」ではなく、人の約束を破る「非常識人」なのです。にもかかわらず、先生にとっては親友なのは、これはどういうことでしょうか。
むろん、常識人の先生は親友の行動を黙って見過ごしたわけではありません。Kの背信的な行為に関して、それは養父母を欺くことではないかと詰りました。するとKは、確かに欺く行為だが、「道」という大義の前では許される行為だと答えたと書かれています。しかもそう言われて、その「道」の「尊さ」「気高さ」に、若い先生も同調して応援したと書かれているのです。ここです。Kの信奉する「道の思想」は先生をもある意味支配しているということです。(下 十九)
そうすると、Kの、「道への精進」という、気高い理想(思想)の正体「道」とは何じゃ?となりますが、正直、ここに入り込むと迷路になるので、普通はあまり触れませんね。で、便覧でも『こころ』の説明がこうなるのです。再掲しますね。
『こころ』は、『それから』以後追求してしてきた近代人のエゴイズ
ムが絶望に至る過程を、漱石が描いて見せた作品。友人Kを裏切って
現在の妻を得、Kを自殺に追いやった「先生」は、罪の意識を持ちな
がら生きていたが、鎌倉で知り合って親しくなった青年「私」に遺書
を残して自殺する。(新訂総合国語便覧 第一学習社 2024から再引
用)
でも、『こころ』は単に「友人を裏切った」卑怯な話ではありません。「どういう友人をどのように裏切ったか」が肝心なのです。ただ、私も、ここで「道」迷路に入りたくないので、「自分の信じる道という思想に精進するK」とだけして、次に進みますね。