呪術廻戦 最終話 両面宿儺編としてはハッピーエンド、他はバッドエンドなのでは?
両面宿儺編としてはハッピーエンド
呪術廻戦の最終話を読了しました。
まず宿儺については、救いもある終わり方でよかったです。
振り返ってみると、宿儺が自分の異形をコンプレックスに思っていたり、怒りにかられているという伏線は結構出ていましたね。
伏黒に縋ったシーンで「宿儺も死ぬのが怖い」「意外と生き汚い」とか言われていましたが、これまでの宿儺の言動からすると違和感がありました。
「死にたくない」が一番の目的なのならば、もっとやりようがあると思うんです。例えば五条を負かした後は全力で逃げればいいのに戦うし、虎杖の提案に頼ってもいいのに断ってしまっています。そもそも最初に虎杖に受肉した時だって、1000年後の世界で右も左も分からないし指1本では完全に負ける術師に出会ってもいるのだから、適当に迎合して羂索の接触でも待っておけばいいのに、心のままに暴れてしまっています。
復讐心にかられての、自らの生死すらどうでもいいほどの怒りから行動していたのなら納得です。
伏黒に執着したのも、己の異形を厭っていたとすれば納得できます。死ぬのが怖かったのではなく、伏黒の体を失うのが嫌だったのでしょう。読んでいる時は完全受肉したら伏黒の術式が使えなくなるからではと思っていましたが使えるらしいし、完全受肉したら有利だろうに五条との戦いではしなかったのも、五条が「手加減してほしいから」と邪推したのとは違って、単純に伏黒の姿のままで居たかったのでしょうね。
虎杖の体で生きるのが嫌なのは、檻であり自由に動けないのが第一でしょうが、髪の色が嫌だったのかもしれないですね。現代ならピンクの髪も可愛いとか綺麗だとしてわざと染める方もいるくらいですが、平安時代の人の美意識だと黒髪以外は受け付けなかったのかもしれません。「面がいい」と言っていますから、顔立ちも好みだったのかも。
万の言葉を思い返していたのも、今思うと彼女自身は恋愛対象ではなくとも、彼女の言葉は嬉しかったのではないでしょうか。それは誰だって、「あなたは異形だから孤独だ」と言われるより、「あなたは最強だから孤独だ」と言われたほうが嬉しいし、そう思い込みたいですよね。長い黒髪にふっくらした体の、当時としては美女である万から言われた台詞だということも対岸の保証になります。
ちなみに万に対してどういう感情だったのかは、どうともとれます。
伏黒の心を折るためだけにあっさり死なせているし、「阿保」呼ばわりだし、つれない態度だから何とも思っていなかったようにも見えます。
一方で何度も彼女の言葉を思い返しているし、母親さえ「愚母」呼ばわりする人が「阿保」でとどめているのは優しめな言葉遣いにも感じられるし、あっさり死なせたのも実は宿儺はとどめをさす気はなかったのに、万が勝手に縛りで死んでしまったのかもしれません。万は初対面でも同じような傷を負わされていますが、その後も宿儺と関わりがあったようなので、あの傷では死ななかったようですしね。伏黒の心を折りたいなら、「肉体の主導権を渡すならこの女を治す」とでも交渉して縛りを作ればいいだけです。
万が死んだ時の宿儺の表情は、「呆れ」にも見えますが虐待児のよく見せる「凍りついた無表情」に見えなくもないです。宿儺が忌み子として虐待を受けていたのなら、悲しみを表現することができなくなり、感情が強く動いても無表情なままになってしまうことはあり得ます。
「きっかけは2度あった」シーンの左側の巫女服?の女性?も、万かもしれませんね。髪型は万に似ていますし、普段は巫女服だったのかもしれません。裸でいたのも、鎧を構築して纏う戦闘方法から考えて、十二単とか着てられなかっただけかもしれませんし。
あの女性については、天元かもしれませんし、全く別の人間かもしれません。母親については、「愚母は飢えていたのだろう」という宿儺の台詞から、母親への軽蔑が感じられる上、「だろう」と推測していることから「あの頃は食べるものにも困って」といった会話すら出来ていない関係なのがわかりますので、ないでしょうね。飢えているような経済状態の人にしては、着ている服が貴族レベルですし。
秩序側の天使が宿儺を「堕天」と呼んでいることから、一旦は宿儺が秩序側に属し、その後「堕ちた」ことが示唆されています。秩序側の誰かが忌み子だった宿儺を引き取り、呪術を教えてくれたのでしょうか。その誰かが、きっかけと言われた巫女服の女性なのでしょうか。当時天元が黒髪だったのなら、天元かもしれませんね。
このへんは平安時代のお話を描いてほしいです。
いずれにしても機会はあったのに、宿儺が相手の手を取れなかったのは何故か? 宿儺が強すぎたのも、手を取れなかった一因でしょう。弱く幼い頃は虐待されてきたのに、強くなったら手を伸ばされても、信用しきれないですよね。もしも弱体化したら、また酷い目に遭わされるかもしれないと疑ってしまうでしょう。
宿儺を救うのなら「負けて」相手が自分よりも強いと証明された状態で、その相手から慈悲をかけられるしかなかったのでしょう。
「両面宿儺」編は宿儺のための物語、宿儺が救われるための物語だったのだと思います。
虎杖という善良な人間と同居して、「本当にこんなに善良な心があるんだ」と実感して、それでも反発して虎杖を散々傷つけて逃げ出して、お互いに全力で戦って、負けて、一撃で死んでしまうほどに弱体化して、それでも虎杖に手を差し伸べてもらったことで、宿儺の心はやっと救われたのでしょう。
虎杖の手を取らなかったのは、否定ではなく、むしろ慈悲に慈悲で返したのだと思っています。
あの時の虎杖は仲間に宿儺を助けることの同意も取っていないし、主張を押し通せるほどの権力も持っていません。もしも宿儺が話に乗って虎杖の中に戻っても、おそらくは処刑されてしまうでしょう。宿儺はそれを分かっていたから、生き延びたかったけれどもあえてはねつけたのではないでしょうか。
しかし、きっと「手を差し出してもらったこと」自体はとても嬉しかったし、宿儺の心を救ってくれたのでしょう。
魂の同居で虎杖を深く知ることがなければ、演技だと疑ったかもしれません。また虎杖が弱者で口だけ善良なことを言っても、宿儺の心には響かなかったでしょう。1話の受肉から延々続いた戦いは、宿儺のためのものだったのだと思います。
本来なら死んで終わりでしょうが、「呪術廻戦」の設定から死んでも転生という形で続きがあるので、宿儺達にも明るい未来があります。宿儺の終わり方としては、すごく納得できる、良い終わりでした。
「両面宿儺」編は良いハッピーエンドでしたね。
もしかしてバッドエンド?
上記により宿儺は成仏してると思うのですが、他の人の話、特に最終話には違和感がありますね。
死滅回遊はなんとなく終わったことになっているし、東京をはじめ幾つもの都市が壊滅したはずなのに、なんでもない日常が続いています。そして幻影を見せる呪詛師の話……これは全部、幻影だという示唆なのではないでしょうか?
戦いが終わった時点で、羂索は死滅回遊の継承の儀を宿儺と済ませており、宿儺はすでに天元と同化しています。宿儺の魂メインは成仏したとして、1本の指は残っていますし、天元自体は何の損傷も受けていません。あの場にいたメンバーもほぼ戦えない状態です。つまり、1本指宿儺の原初の意思+天元に負けてしまい、すでに1億総呪霊化してしまったのではないでしょうか?
もし1億総呪霊化したとして、呪霊たちの望むものは何かといえば、「渋谷事変が起こる前の平和な世界」だと思うんですよね。だから最終話で描かれているのは1億総呪霊の生得領域で、皆望んだ通りの平和を満喫しているのではないでしょうか?
例えばシャルルは、本来はデビュー前の新人で東京が壊滅して出版社もなくなったことを嘆いていましたが、ちゃんと漫画家になり、何故か漫画雑誌が発行され、読み切りを載せてもらっています。
芸人は死んだはずの相方とコンビを組んでいます。
虎杖達は3人で楽しく軽めの任務をやっています。
乙骨などあの戦いで生死不明だった人達は皆生きていますが、恐らく生きていてほしいと皆が思ったからです。
津美紀は最終戦時点で伏黒がその死を受け入れて諦めたので、お墓が建てられています。
五条についても不自然なほど悲しむ描写がなかったり、葬式やお墓が出てきませんが、これは皆が五条に生きていてほしいから生きていると認識しているのに、五条は既に死んでいて魂が1億総呪霊に巻き込まれていないから、彼は1億総呪霊の生得領域に居ない、という状態なのではないでしょうか?
1億総呪霊に対抗できるとしたら呪術師ですが、日本の呪術師が全員取り込まれ、ミゲル達外国の有力な呪術師も取り込まれています。これから、彼らは永遠に望み通りの楽しい日常を生きるのでしょう……という感じで、メリーバッドエンドにも見えてしまいますね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?