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海外行っても人生変わらなかったアラサー看護師

海外、留学、ワーホリ。それから英語。
何も知らなかった当時の私にとって、それらの言葉はキラキラした世界を連想させた。

現実に疲れ、田舎生活に退屈しきっていた私は、
「海外に行けば人生が変わるに違いない」
と期待に胸を膨らませ、無計画にも英語力0で飛び出したのだった。

当然、そんなのは幻想だったのだけど。



燃え尽きてしまったブラック病院勤務時代

「人の力になる仕事がしたい」と心を燃やし志した看護師。
じつは学生時代から、「私はこの仕事が向いていないかもしれない」と薄々気づいてはいた。

だが情熱だけはあった。
向いていなくても努力でカバーしよう。そう思っていた。

メンタルだけは強かったので、つらい実習も劣等生ながらもなんとか乗り越え、看護学校も無事卒業。

ほっとしたのも束の間。
本当に大変だったのはここからだった。(当たり前)

同期たちが当たり前にできることが、自分にはできない。

「できない新人」のレッテルを張られ、職場で肩身の狭い思いをしながらも、なんとか一人前と認めてもらえるようになるまで約3年。

同期と自分を比較し、惨めな気持ちになることもなくなってきていた。

そして、その頃になってようやく気付いたことがある。
今までは「できない」立場にいたので、「この職場に置いてもらっているだけで有難いと思わなくちゃ」と本気で思っていたが

当たり前になっている長時間残業
休日でも参加しなければいけない委員会や病棟会
人手不足の中ぎりぎりで回しているチーム体制
どこにいても耳にする、仕事ができないスタッフの陰口…
決して割に合わない給料……

私はずっとこの環境で生きていくんだろうか?
と、今まで漠然とあった疑問が、無視できないほど膨らみだしていった。

成長したい、一人前になって認めてもらいたい
という思いで、それまで理不尽なことも耐えてきたが、果たしてこれ以上耐える必要ってあるのか?

モヤモヤした気持ちを抱えながらも、それでも仕事は好きだったので、ただひたすら忙しく目の前の仕事に没頭していたのだが、

ある年、一時的な部署移動を命じられた。

私が選ばれた理由は、私が上に文句を言わないタイプだったからだと思っている。

私は、大変ではあったがやりがいを感じられる元々の部署が好きだった。

しかし「一時的」という言葉を信じて渋々承諾。
ところが、いつになっても一向に元の部署に戻れる気配はなく、もうこの病院にいる理由はないと確信し始めた。



このままの人生で終わったら嫌

病院を辞めよう。

そう決めたものの、じゃあ他に何かしたいことがあるのかというと、そういうわけでもなかったので、毎日がただなんとなく過ぎていった。

もう何の気力もなく、休日はただ寝っ転がってずっとスマホを眺めていた。
本当にずっっっっとスマホをスクロールし続ける廃人だった。

しかし、そのおかげで偶然、ある動画と出会えた。

その動画の中の「このままで人生終わったら嫌や」という言葉が、当時の私の心を激しく揺さぶった。

私も本当に、このままじゃ嫌。
ただ何となく毎日が過ぎていく人生に、満足なんてできない。
無理矢理自分を納得させて、好きでもないことを続けて、それで人生が終わっていくなんて耐えられない!

よし。独身でどこに行くのも自由だし、転職活動をしたいわけでもないし、海外に自分探しに行こう!
そうすれば本当にやりたいことがきっと見つかるはず。
もしかしたら、人生が180度変わるかもしれない!

田舎に生まれ田舎で育ち、そのまま田舎で就職してしまった私は、飛行機に一人で乗ったことすらなかった。

「海外に行く」
それだけのことに、かなり期待値を上げワクワクした気持ちで病院を退職後、ワーキングホリデーに向かったのだ。

しかし、私はキラキラとは真逆の海外生活を送ることになる。

ときは、2020年。
例のあのウィルスが、世界中を騒がせるほんの少し前。

続く。。。


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