妻ではなく私が書いているのはなぜか?
まず最初に伝えたい事があります。
断言出来ます。
心と体…健康に勝るものはこの世に何一つありません。
お金など二の次三の次です。
今は余命宣告は受けていませんが余命宣告を受けるまで笑顔で生きられたなら幸せだったと言ってもらえるかなと考えてしまう病気に妻がなりました。
とてもまとまらない長文になってしまいましたがあまり訂正はしていません。すみません…
私の気分の波によって前を向いたり後ろを向いたりしているのが現状です。
こうありたいと自分に言い聞かせているけれどなかなかそうはなれない自分がいるんだなという内容だと思って貰えればありがたいです。
私が書いているのは理由があります。
妻は体のつらさと精神疾患両方持っている
自身で書くと前向きなフリを無理して書くこともあるかもしれない
先ばかりを見る、または先ばかりを見させる発言で今を我慢ばかりする人生が本当に後悔しないか、後悔させてしまう人を作っていないか
大切な人が重症疾患になった時の家族の気持ち
自己免疫疾患の早期発見
年齢を重ねないとリウマチ…みたいに言葉では聞いた事があるけれどそこ止まりで中身はあまり知られていないと思うので広く知られる事で身近な人や自分自身の身を守れる
他にも様々な理由がありますがこういった内容で始めました。
私の場合特に感情移入が強い傾向があるのと妻自身が思った事、感じている事をはっきりそのままぶつけるように伝えてくれますので本当のつらさまではわからなくても苦しいんだろうな…という気持ちなどの理解は高い方だと思っています。
妻に対してのみで参考にならなかったのなら申し訳ないです。
こう言ってるけど本当はこうなんだろうな…と思いすぎてネガティブな思想にもなりますので間違ってる事も多いと思います。
妻の場合基本的に日々のつらさは通常だからいちいち言わない、言っても仕方がないという考え方なのでなかなかつらさを外に出しません。
いたたた…と独り言のように言い朝起きてもそれ以上言わないので私も当初はそこまできついとは考えられない日が続いたりもしていました。
何よりそれで発見が遅れてしまうという重大な事も起こってしまった事もあるので今は立ち上がり方や歩き方、浮腫のチェックや顔の表情などは神経を尖らせてみています。
悪い方にも働いてしまいますがこども達はそれほど心配もしなくて済んでいたり本人が心の方も元気なら家は明るくなりますので良い方向にも働いてくれています。
私がなっていたら毎日痛いとか苦しいとか言い続けて1日を過ごしていくような日々にしかなっていないんじゃないかと思えます。
精神疾患でとんでもない行動や衝動、気持ちを抑えられない面は支える側としては相当負担にはなりますが心の病気さえ無ければ何も変わらず日々普通に生活している妻の姿勢は尊敬しています。
そんなポジティブ思考な妻でも現実はうつがひどくて寝たきりが多いです。
せめて心だけでも救えたら楽しく生きられるんじゃないかと思っています。
体のつらさがあり、日々続く事なのでなかなか心を穏やかにする事が出来ません。
見ていて思うのですが1日を通して心から笑っている、楽しんでいるなって思えた事ってこの2年半で1度もありません。瞬間的に数分とかはありますし服を買いに行ける元気があれば服を選んでる時のみは元気かもしれません。
帰りにその元気はないですし買った服をどこに着ていくの?この体で…そう伝えられてすぐに寝たきりになってしまうのが現状です。
2年半家族で1度も旅行も遊園地も…外出すらも半日出来た事はありません。
近くに外食する事もなかなかままならいです。
一歩外に出ると元気なファミリーさんの姿が目に飛び込んできたり自転車に乗せてたり…楽しい笑顔を振りまいていたり大声で子供の名前を呼んで追いかけたり…自分には出来ない事が当たり前のように視界に入る日常を目の当たりにしてしまいます。
子育ても出来る元気がない人からすると外が地獄に感じてしまってもおかしくはないです。
かといって家から出ないのも精神的にかなり苦痛になるはずです。
元々とてもアクティブな人で暇さえあれば外に出たい!という人だったので余計にそう思えてなりませんが人をあまり見なくて良さそうな時間帯に散歩を誘っても着替える元気がないという返事がきたり寝ておきたいという返事がほとんどです。
重症度に関係もしていますが体が思うようにいかない日々が続くと心も沈んでしまいます。何をしようが日々ついてくる症状というのはやはり本人さんにしかわからない苦しみだと思います。
自己免疫疾患や精神疾患は目に見えづらい疾患でつらさも理解されづらい代表的な疾患だと思います。
普通に歩いているようにみえる自己免疫疾患やうつ病の人より骨折して松葉杖を使いながら歩いている人がいたら松葉杖を使って歩いている人の方がつらそうだなと思えます。わかりやすいので理解しやすいかと思います。
つらさの比較をしたいわけではありませんが実際には慢性的な自己免疫疾患、精神疾患の方の方が相当きつい状態だと思います。
体もそうですが治るのかわからない、治らないという思いで日々過ごしていくというのは私には想像を絶するほどつらいことだと思えます。前向きに…などの言葉をかけられると気持ちを理解してくれないと余計に思ってしまうかもしれません。
言葉をかけた人にそんなつもりはなくてもです。
前向きになってもらいたいという気持ちも本心から言われた人もたくさんいると思いますがもうそろそろ前向きになってもいいんじゃない?というような気持ちが混ざりながらだと本人さんはそういった相手の気持ちに敏感に反応しやすいと思いますので逆効果になるのが大半かもしれません。その場でそうだね。ありがとうと態度に出さなくても心の中ではどうやって前向きになれと…このつらさでそう言えるの?そう思っている人は多いかもしれません。
私は毎日筋肉痛や生きてきた中での1番ひどい倦怠感などを想像し、それが治らず続いているような気持ちで過ごされているんだろうと思うようにしています。
日中仕事に行けたとしても疲労度はとんでもないんじゃないでしょうか?さらに精神的負担も凄いと思います。両方同時に襲いかかってくるってどんな方向から考えても想像出来ないぐらいつらいとしか思えません。
仕事も出来ない程に重症化されてたら仕事に行けるだけ羨ましいとも思えてしまったりもすると思います。自分よりは健康に思えるので自然な事だと思います。
その頂点にいるのは健康な人だと思います。
なった事がない人にはわからないというのは本当だと思いますしならないとわからないのも本当だと思います。
しんどいのもわかるけど…だけど…
したくても出来ない…だけど…
この両者が本当の意味で心からわかりあえることって無理なんじゃないかなって思っています。
無理なんじゃないかなとは思うけど互いに近いところまでは寄り添えると思っています。
ずるい、思考が偏ってると思われるかもしれませんが心も体も健康な人から寄り添う姿勢が強くないと病気を患いながら健康な人に寄り添う事はとても難しい事だと思います。
体がつらいせいで心も健康ではありません。
心がつらいせいで体も健康ではありません。
両方つらくなってしまっている状態である事が多いので病気になられてる方から健康な方に強く寄り添う力がありません。頑張ろうとしても力が弱っているので継続的に気持ちを維持する事も壁が非常に高すぎると思っています。
精神疾患患者さんのうつ病なども治りはしますが現在高いレベルでのうつ病を患ってる人にとっては心の病気として指定難病レベルで一生治らないと思っている人が多いだろうし治ると思っていてもなかなか治らず本人さんが望んでいる理解はされにくく自死を選んでしまう方もいます。
心も体も元気な方からするとなぜ…となります。
もっと相談すれば…話を聞けば…
そんなことしなくても生きてりゃ楽しい事がそのうちあるのに…
たくさん思う事はあると思います。
全員にあてはまらないとは思いますが死を選ぶ程の苦しさがあって生きるより死んだ方が幸せだと思えないとなかなか出来ることではありません。
ほとんどが突発的に行うとは思いますがその突発以前にずっと考えているんだと思います。
体が健康でも心がとてつもない病を患っている証拠だと思います。
体の痛みや苦しみの病気で例えても世界一苦しんでしまうたえられないような病気や事故のような苦しみが続いているぐらいつらいと思います。
これ程の気持ちになっている患者さん側から寄り添う余裕はないと思っています。
膠原病などの慢性的な疾患を患っている患者さんは精神的にもとても追い詰められているので世界で1番つらいと個人的には思っています。
そんなにつらい症状なのに世界的に理解が全く追いついていないのは大問題だと思っています。
私の妻が病気になったからつらさを理解してほしいと訴えているわけではありません。
こんなにつらい病気が世の中にはあるんだと思い知った事が大きいです。
感謝と言う言葉は使いたくないですが人の痛みをここまで知る事が出来たのは妻が病気になったからです。
同じ発言になりますが自分がならないと本当のつらさはわかってあげたいと願っても不可能だと思います。
膠原病や自己免疫疾患患者さんの中でも生まれ持ったポジティブ思考な人以外のほとんどの方は心の中では前向きになれていない人がたくさんいてると思います。
無理に前を向いて精一杯しているのにそれにあまり気づかずにもっともっと頑張ってもらうような世の中よりも寄り添える余裕がある人が寄り添える世の中であってほしいなと思っています。
病気になった方々が肩身の狭い思いをしてる事が圧倒的に多いと感じています。
甘くしてあげてほしいとか多目に見てあげてでもありません。
甘くしないといけない、厳しくしないとしないといけない、気にしないといけない、こういったものをあからさまではなくその時の気持ちによって使い分ける線引きが健康な方とは別の場所で使い分けられたら気持ちの面だけでも少しは楽に過ごせるんじゃないかって思っててそれはストレスの軽減に繋がるのでQOLにもとても影響するんだろうなって思いました。
ずっと消えない思いが心の中にあるってとてもつらいことだと思います。
本当のつらさはわかりませんがインフルエンザ後の倦怠感などは誰でも少しは理解出来るかもしれません。
こまちに聞くとそんなもんじゃないと言われるので比べられると怒らせてしまう結果にもなるのでそんな感じ以上が続いているのかなって頭に入れておけば体は多少動けても活発にはなりづらい気持ちが少しわかるかもしれません。
活発になりすぎて無茶をしてしまう気持ちも私は少しは理解出来ました。
少し気持ちが理解出来たからと安易に心配ばかりされるのもつらくさせてしまいます。
理解の強要をしたい訳ではありません。
私自身も理解出来ていないと確信しています。
きっと慢性的な疾患を患ってて出口の見えない方達は理解してもらう事が愚かだと諦めてしまっている方が大半だと思います。
家の中で椅子に数十分座る…これだけでも頑張って座ったんだ…こういう人達がいると思います。
健康な方からすると数回は理解出来てもこの光景を100回、1000回と見た時に同じ態度でいられるか疑問です。
私は全く同じではありません。その時々で冷たくあたってしまったり、またか…こんな気持ちになったりします。
今日も足の運動出来ないの?足だけでも動かさないとどんどんしんどくなるって!
言い方も強くなったり様々です。
言ってる途中に反省して言い方を変えたり話題を反らしたり試行錯誤しています。
1人で散歩行くけどついてくる?とか自分の体力が落ちてきたから車いす押して運動したいから乗ってくれる?とか自分の為ではなくて私のためについてきてくれるように思ってもらったりとか試行錯誤の毎日です。
それで外に出てくれたら外の景色も一緒にみられて幸せになるので本当に私のためにもなります。
何が正しくて何が間違いなのか?
そう考えて悩み、見て見ぬふりをして後悔して涙を流し、また正解を探し続けていて何かに気付いてを繰り返し、今でも正解を探し続けています。
だけどいくら探しても本人にとっても私にとっても正解なんてないんです。
正解がないので適当に振る舞いいつもの日常と変わらない生活を送る事を目標としています。
好きにさせるを優先させすぎてもどこかでバランスが崩れてしまいます。
私の場合は心が壊れました。
自己免疫疾患の方は精神疾患もとてもなりやすいと思いますが理解してもらえないという部分はとても精神に響いてしまうんじゃないでしょうか?
せめて近親者の方や親族の方は少しでも多く気持ちを理解してあげられたら本人さんは救われた気持ちになる日が増えると思います。
私は心配しすぎで失敗しています。
患者さんによっては心配される事がいやだったり普通に扱ってほしかったり心配されたかったり様々だと思います。
その場の本人さんに極力合わせるが良いと思いますが全く合わせられない場合は言い合いを避ける為に興味のないフリをしたりしています。
心配してほしそうなら遠慮なく心配して身の回りの世話もしていますしほっといて欲しそうなら放っておいてます。
私の妻の場合で自分に言い聞かせているようなものなのであてはまらない場合は本人さんの性格や状態で接した方が良いと思います。
私の本心の場合は心配しすぎたりしてしまうのもとにかく長生きしてもらって一緒に過ごしたいという気持ちからになります。
自分にとっての1番は本人さんにとって1番では必ずしもないと思います。
先を見た時には1番になる事も多いと思いますが何より今を大切にしながら長生きしてもらえたら嬉しいです。
今を優先しすぎると長生きという目標に反する事が凄く増えてしまいますが私が思っている最長の先を優先させてしまうのは妻に対して押しつけになってしまうと思っています。
例え長生き出来たとしても本人にとっては毎日制限され続けて苦しみが長引くだけ…苦しむために生きているんじゃないと思うのはごく普通の事だと思えると思います。
例えば余命1週間の妻や近親者、親友が寿司を食べたい、外の空気が吸いたい、ドライブしたい、散歩したい、たばこが吸いたい、お酒飲みたい、運動会を見に行きたい…いろいろ思いがあって伝えられたらこれをダメだと言うのはなかなか難しいんじゃないでしょうか。どれかはダメでもなるべく好きにさせてあげたくなりますよね。
病気の内容や寿命にもよりますが制限されながら暮らしていれば大体寿命が30年と言われてる人だとしても急性増悪などで歩けなくなったりもありえます。
本人さん達にとっては多少無理して寿命が縮まろうが制限されて生きるより毎日を出来る限り楽しく過ごしたいのではないでしょうか。
かといって無理をしたせいで思いもよらない事態に直面してしまうと後悔はすると思います。
その時は自由にさせてしまったせいでと近親者や友人は思いますし本人さんもそうなるんだと思います。
それもその場の後悔です。
きっと制限した側も制限された側もそれで長く生きられたとしてもあの時あれをさせてやればとかしておけばとか思うと思います。
どちらにしても後悔してしまうのならやりたい事をなるべく好きなようにしてもらってのんびり過ごしてもらう方が良いって結論になりました。
食事療法など他にもたくさん調べて食べたくもないものを食べてもらったりもかなり減らして必要最低限状態でも食べたくないなら別に良いよって伝えています。もちろん本心は食べてくれーって思っていますが…
この先不治の病でなくなるのを諦めたとかではありません。
現在の段階で免疫に関する事を調べれば調べる程に絶望的にもなりましたし食事もあれもこれも除いて食べないように…自己免疫疾患になると成分がどう体内で変換されていくかまで調べるようにもなったりもします。本当に専門家や博士か?と思う程に奥の奥までです。何をしても体調が万全にならなくて少しマシなのも一時的でした。それも気の持ちようだったんだろうなと今は思います。
今後も少しは調べてしまうとは思います。
期間は3年程度と短いかもしれませんが暇さえあればとことん調べました。
少しでも楽に、笑顔がみたいという思いが空回りしてしまっていました。
自分の気持ちの押しつけをしてしまっていました。
今でも笑った顔がみたいという思いは変わりません。
妻の場合は何より今が最重要で言葉では今さえ少しでも楽しめたらいつでも…そう言いますがほぼ間違いなく長生きも最重要です。
あまりにも無茶な今の要望もあるので絶対に却下!こうもなる事はありますが基本的にはほとんど寝たきりなので例え躁状態に似た状態でも本人にとっては今に変わりはありませんので出来る限りはしたいです。衝動が服など金銭的に負担大な事を連発する傾向があるので泣きたくなるぐらいご飯どうしよう…こんな事も起こります。
無茶な行動もその時は楽しめているのならストレスは緩和されているだろうし自分が苦しむだけならまぁいいやと思っていました。
だけど付き合いすぎて今度は我慢してもらうになり始めたのでそれはまたストレスを与える事に…
こういう行動も本当に服が欲しくて買っているんじゃないのでもっとうまいことしていきたいと思っています。
何事もバランスが重要だと思い知りました。
以前まで重要な優先度をつけていた順番は…
1 長生き
2 食事
3 ストレス
でした。
今心がけているのは
1 ストレス
2 長生き
3 食事
になります。
都合良い解釈になるかもしれませんがストレスを出来る限り感じさせない日々を送ってもらう方が長生きに繋がるんじゃないかと思っています。
そう思わないと心配性なので細かく言ってしまうので気が気でないというのもあります。
少しでも長くいたいけど笑顔も見たいしでわがままですね…
楽しく長生きしてもらってその間に不治じゃなくなったり完全に進行が止まったりを望んでいます。
妻の今をなるべく優先してもらうには見て見ぬふりをするのも必要な事だと思っています。
思っていますが気持ちが長くは続きません!本心は少しでも長く一緒にと思っているので感染症対策があまりにも適当すぎたりなのを見続けると出てしまったりと日々奮闘中です。
気にして対策を徹底してもらうと今度は病気なんだという気持ちを強めてしまう事にもなったりもしてしまうので本当に自分は何がしたいのやら…という感じです!
いつもよりつらそうにしていれば元気そうな姿を見せないようにとか
いつもより元気そうなら家事も掃除も知らんふりしたりしています。
元気でも家事がしたい日や家事に時間を費やしたくない日もあるので難しいです。
こんな事ばかり考えていますが食事療法や免疫の事を調べまくっているよりは遥かに良いと思えます。
そんな暇あるならもっと私を構いなさいとか自分の好きな事をしておいてとかそう思ってくれている素振りもあったので自分自身の時間の使い方を考え直している最中になります。
もっと適当に過ごして笑っていればよく笑うようになってくれるかもしれません。
本当に笑顔がみたいだけなんです。
人は欲深いので笑顔が見られたらまた新しくもっと!になるんでしょうがその欲については良い事なので良しとしています。
夢は家族で遊園地に行く事で目標は家族で笑って買い物に出掛ける事です。
自分のわがままのために無理矢理外に歩いて連れ出す事もいいんじゃないかって思ってます。
そんな強引に連れ出す勇気はまだまだ無いですが自分自身も幸せな気持ちを増やしていかないと妻の笑顔は近づいてこないのではないかって思っています。
やっぱりバランスは大事ですね…