2020/06/12
起きた。今朝は冷やし鮭茶漬け。蒸し暑くなってくるとよくやる。あまり食欲がないときでもしっかりカロリーを取れるので重宝している。雨が降ったり降らなかったりしている。そろそろ梅雨の様相だ。晴耕雨読という。自分にとって晴耕が何にあたるかはよくわかっていない。頭を耕しているという意味で数学かもしれない。雨読の方は、文字通りで、雨の日に本を読むということはよくある。
1時半くらいまでには寝て9時半頃に起きてきたら最高だろうなという感じでいます。こういうとき本棚の前をフラフラするとだいたい何かピンとくる本があってそれを読むんですけど、今ピンとこないので、さてどうしたものか、という次第です。
— でふ (@defplus) June 11, 2020
昨晩(まだ今晩?)寝る前に読んだ本なんですけど、ミンサガの攻略本がおもしろかった。おもしろいよなぁ……。
— でふ (@defplus) June 11, 2020
昨日の話題から引き続いて、ちょっとまたゲームに惹かれつつある。自分はかつてゲーム開発者であったという側面がある。大学を卒業後(当時は数学科に戻る覚悟がなかったので)、残りの人生は好きに生きようという、今思えば甘ったれた動機から、受託開発のプログラミング会社を作って日銭を稼ぎつつ、少人数開発のゲームをつくるという生活を5年ばかりやっていた。
結局、5年経ったところでゲームの一本も完成にたどり着けなかった(80%まで行ってたのだが……)ので、もう受託開発一本で稼いで行こうぜ派と、そもそもゲーム開発やりたくて会社やってるんじゃなかったっけ派に、社内で分裂してしまった。と言いつつ後者の派閥が僕一人だったので、じゃあ会社畳みましょうということになってしまった。苦い思い出である。
会社の預金残高から解散費用を除いた全てを、受託開発派の方々にお渡しし、代わりに自分はゲームまわりの権利を引き継いだ。受託開発で稼いで行こう派の方々は、間も無くそれを元手に自分たちで別の会社を起こしたらしい。特に連絡などはとってないが、風の噂では健勝でやっているようである。この件には僕にも複雑な気持ちがあり、それ以上のコメントがうまく出てこない。したがって口をつぐむことにする。
ついったー始めてからのここ10年。知り合った方々がの創作したゲーム(あるいは絵や音楽)というものに多く触れてきました。その方々の、日々の言動や感性、価値観や人格といったものと作品とのつながりは、やっぱり感じられます。
— でふ (@defplus) June 12, 2020
ひるがえって自分はどうだろうかと言うと、やっぱり持てるもので利用可能な「頭」主導でやりがちで、理想主義的傾向が強かったり、「手」を動かす場面でも実装よりコード整理が好きだったりと、「どんどん完成させていったほうがいいよ」という界隈の善いパターンと、相性の悪い性格だと認識してます。
— でふ (@defplus) June 12, 2020
とはいえ、それを技術でカバーするのも人間の為せる業で、だからこそ僕がやるなら「先に進んでいくこと」を努めて習慣として立ち上げないとな、と。性格が向いてないの一言であきらめられるなら、30万行も書かなかったですし、そういう試行錯誤してきた自分を、どうにか出口まで導いてやりたいのです。
— でふ (@defplus) June 12, 2020
現時点で言えること……。自分の理想は以前のような形式的無謬さより、思いやり的なものに重きが移りつつあるので、多くの糸によって編まれて精密時計のようなメカニズムを内包しているにも関わらず、縫い目の見えないような、そういうクォータニオンを作りたい/作れる/楽しんでいただきたい、です。
— でふ (@defplus) June 12, 2020
それからさらに10年、Twitterであった様々な人たちの交流に救われてきた。「救われてきた」以上の言葉が見つからない。自暴自棄になった時期もあった。だが、その苦しさの何十倍もの様々ないいことを、受け取ってきた。だからこそ、自分を立て直し、もう一度、できることからやっていこうというスタンスにまで戻れたのだ。
ゲーム作りたい自分もいて、そいつはいま寝かせてあるんですけど、ちょっとそのときの気分で起床させてできる、というものでもなくて、やるなら習慣として立ち上げないと自分の場合はうまくいかないから、なかなか折り合いつかないです。このことは契機ごとに思い起こされて苦しい。
— でふ (@defplus) June 11, 2020
おそらく「それ」を最も楽しみにしているプレイヤーの一人が、長年の付き合いから僕個人の理解者でもあり、「でふさんそんなに器用でないから、研究やるときは研究しかできないと思いますよー」と言ってくれたことには、並々ならぬ感謝と恥入りを覚えました。必ず「それ」で恩返ししたく思います。
— でふ (@defplus) June 11, 2020
これも本当のことなのだ。開発開始から15年経って未だ完成しない幻のゲーム『クォータニオン』のタイトルを、いまだにbioに入れて「応援しています」と言っている人がいるのだ。いくらなんぼでも15年はないやろ、と思っても、日銭を稼ぎながら少人数で開発していた初期が5年、無一文から再開しバイトしながら自分1人でコツコツ開発を進めていた中期が5年、なぜか僕が数学科の大学院に入って研究を始めることとしたため開発を保留(pending)している末期が5年で、合計15年である。体感では一瞬だった。
驚くべきことに、何年かに一度は広大なネットの海からこの開発者のフグを見つけ出して、「あのゲームどうなりましたか?」と尋ねてくださる方もいる。未完成ながらも誰かの記憶に残るものを、人生の一時期を投じて作ることができたのだ、という感慨は、他のいかなるものとも比較ができない。
そして「クォータニオン」のユリルです。こちらはカナさんに特別にお願いしてつくっていただきました。キャラの三面図が無かったため、イベントイラストから立体を想像してもらう無茶振りにもかかわらず、胸部の模様や腰のスカート、ウェービーな髪まで、ディテールを再現していただきました。すごい! pic.twitter.com/YBjX5fVnvE
— でふ (@defplus) September 1, 2019
(経緯)この4月にイベントでカナさんのお人形をスカウトした際「もしユリルのお人形があったら、クォータニオンの開発を再開するとき象徴になってくじけないのでは」と思いついてしまい、気がつくと数千字の依頼DMを出していて、カナさんをビビらせてしまうものの、制作していただけることになった。
— でふ (@defplus) September 1, 2019
こういうものをお願いして作っていただくくらいには、自分の心の奥に創作の火が灯っている。僕はいつ立ち上がるのだろうか。軽々と申し上げられない。そのときの気分で、期待を煽るようなことを口走って、失望させたくない。それでも、とも思っている。
さて、皆さんにお願いがあります。
もし、あなたが今日のこのnoteを読んで、僕に何か声をかけてもいいよという、余裕がありましたら、noteのコメント欄、TwitterのリプライまたはDM、どのような手段でも良いので、お聞かせください。古くからのお知り合いの方でも、まったくの初めての方でも、構いません。
この件については、開始からあまりにも長い時間が経ちすぎていて、自分一人の考えではどうしても同じところを堂々巡りしてしまうのです。あらためて新鮮な声をお聞きしたいと思っています。あいまいなお願いとなってしまい申し訳ありません。
自分のことは最後は自分で決めます。それゆえお気軽にお声がけください。
どうかよろしくお願いいたします。
(日々の習慣については本日に限り省略します)
(2020/06/13 へ続く)