地元アイデンティティについて
「出身はどちらですか?」
全国から人が集まる大学に入学してから、友達が増える度、新たなコミュニティに入る度、必ずと言っていいほどそう尋ねられる。
出身、地元というのは、特に初対面における話のネタとして使いやすいかつお互いを知るために重要な情報である。
しかし、そう尋ねられる度に、何とも形容し難い苦痛に襲われるのは、自分だけだろうか。
母の実家がある福島の病院で生まれて、宮城で出生届を出し1年ほど過ごした後、父の転勤の為、高知、福岡、鹿児島でそれぞれ2、3年ずつ過ごした。そうして9歳の頃、小学4年生に上がる年に東京に引っ越してきた。そこから現在まで、人生の半分を東京で過ごしてきたことになる。
そうした背景で、出身を尋ねられると、なんと言えばいいのか迷う。
生後僅かしか住んでいない「宮城」ではないだろうし、そこでの生活がよく記憶に残っている「鹿児島」と言っても3年間しか住んでいないし、最も長い年月を暮らしている「東京」と答えるのが適切であろう。
とは言え、他の東京出身者は自分の2倍ほどの年月を東京で過ごしているため、そう言った人々と同じカテゴリーに入るのは主観的にも客観的にも違和感があるだろう。
更に、大学で知り合った地方出身の人に都内を案内できるわけでも全くない。自分がインドア派であるということもあるが、およそ10年間というのは様々なもので溢れている東京を知り尽くすに十分であるはずがない。
私の地元とは、一体どこなのだろうか。
当然自己の内面に答えを求めるのが妥当かもしれないが、「苦痛」の原因を暴くには多少の他責思考も許されるのではないだろうか。
まだ「苦痛」を実感し分析するに至らなかったときのことだが、初対面の人に出身を尋ねられ、出生届を出した「宮城」と答えた。
すると、自分が高校まで宮城で過ごし、大学入学のタイミングで東京で一人暮らしを始めたという誤解が生じた。
そうして、東京に長いこと住んでいるが転勤族で、宮城で生まれたけれど、小学3年生までは四国や九州を転々としていた、と自分の来歴を簡単に説明する必要があると分かった。
そうして最適解を得たはいいが、苦痛は全く拭えなかった。
それは疎外感に由来するのだろうか。
多くの人は、生まれ育った地元があることを当然視し過ぎているのではないか。
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