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退院1年の今私は歩いています。

毎日寒いとか雪が降りそうだよなど、冬は寒さに震え夏は灼熱地獄に耐えるという何かしら試練と向き合う日々、皆様はどうお過ごしですか?

私はというと、去年の2/4に某病院を退院した一年前こうしてパソコンの前でボサノバなどを聞きながら投稿しているなんて、想像もでみませんでした。痛みと激やせの為フラフラで、何をしていてもどこかが痛いのです。

痛いって不快ですし、苦しく痛みで眠れない
痛みで笑いたくない
痛みで外にすら出たくない
痛みでご飯すら食べたくない

そこに精神的痛みが加わり、精神が参っていました。
いきなり、歩けなくなり右足が全く使えず車椅子すらうまく乗れないという・・・リハーサルもない人生の転機という。。

退院時、迎えに来てもらった人には「別人だね」と驚かれました。
おばあさんが、車いすで手を振っている・・・それが私であり54歳でした。
誕生日が2/9でしたので、最後の54歳の退院日というわけです。
退院してからも、肝臓内科や歯医者に通いとにかく整形外科も含め
4つの病院へ通うという、通院地獄でした。
間に、肝臓を調べるため検査入院をしたり整形外科の病院を変えたり歯科の病院を変えたりなど私は、通院の一年だと言っても過言ではありません。
何度PCR検査をしたことでしょう・・・

ですが、体型は嬉しいほどに元に戻り15キロは痩せたのにほとんど戻ったという状態です。食べる意欲はメキメキと回復しまして、リハビリと言いながら美味しいものを作る!という事に力を入れています。(いい事だよね)
歩けなくなり、一生松葉杖となりすごく大分落ち込みました。
これでもか!というくらいの落ち込みで、もう這い上がれないんじゃないか?と悲観するほどでしたが、2023の1月のある日私は開眼したのです。

どうやって?とかなんで?と医者に聞かれましたが、よく分からないけど突然パカっと扉が開いたようでした。
多分、今までの経験が何らかの自分の心に修復を促したんじゃないのかな?いろいろありましたから・・・

親による虐待
家出
未婚出産
歌手デビュー
自己破産
結婚
未知の他分野経営
リストラ
主人の脳梗塞
他分野新規事業
主人の死
再婚
離婚
右足不機能
身体障害者
相続権問題

なんでしょうか、私は前世に重罪人だったのでしょうか?
静かに生きることが出来ない人症候群だと思います。(自分判断)
それでも生きていくわけなんですが・・・いつまで生きるかなど知りませんが前途多難。
ですが歩けているのです、30Mしか歩けなかったのが100Mになり
車の運転が出来歩行器から、外国製松葉杖に代わり5センチ短い右足には厚底の保高という厚みが付き歩く速度も速くなっています。

肝臓などもくまなく検査され、投薬が功を奏しているので今のところ倦怠感や異常はみられてないのです。
ただ、右足にはフランケンシュタイン並みの傷が無数にありこれでは大浴場などに行くと皆さん引くと思うので、流石に公共浴場にはいけませんが命があるのだから良しとしようと思います。

今だ、電動車いすで座っているのにコートを脱ぐため立ち上がると周りの人のぎょっとする表情に笑いそうになりますが気にしないでください。
長距離が歩けないため、電動車いすに杖が2本刺さっているので障害者用のトイレが使っている場合、杖で女子トイレに行く事もあるのです。

最近とても困っている事があるんですが、多目的トイレに入ると恐ろしい程汚してある状態に出くわします。
床も便座もびしょびしょでおまけに、流していないという状況があり私は入ってしまった以上床は拭けるのであればペーパータオルを足で扱い、便座も消毒スプレーがあれば綺麗に拭いて最後の汚物も流すという事をやっています。
ただ、メンタル的に嫌になりなるべく杖を使い女子トイレに行くように心がけていますが仕方がないのでしょうが、不快です。

昨日は、病院で採尿をするため障害者用のトイレに入りましたところ尿がこぼれてびしょびしょでした。車椅子も汚れてしまい困り
除菌スプレーは必需品となり、大変手間もかかります。
見えない不便と気が付く状況になったので、ここに書いてみるというのもお知らせの一つかと思いました。

エレベーターなどでも、ベビーカーのお母さんが私の車椅子にご自分のベニーカーをぶつけて先に入ろうとされたり、自動ドアを手でボタンを押すタイプを押したところ車椅子を横切り先に割り込まれたお母さんもいましたが、急いでいるのでしょうが、それはないでしょう。半分切れました心の中で・・・。お邪魔にはなりたくありませんが、並んでいますのでご迷惑にはならないように気を付けているつもりです。今までは全く考えつかなかった目線ってすごく違うんだと実感しています。

洋服や化粧品も買いに行くのが苦痛でもあるのは、お邪魔になるからという気持ちが心の負担になる事もあります。
また、不自由な生活のお世話をされている方も気苦労が多いと思いますのでお世話されている側も、感謝の気持ちを忘れないようにしたいものです。
まだ私は、食事も家事も一人で生活することも出来ますので救われていると思いますがやはり、肝心な時には人に頼っています。
これって、高齢者になると似たような生活になるのではないでしょうか?
周りの人に声をかけてもらえるように自ずと、受け入れる体制や考え方も身につけていたいものです。

まだ、この状態になって一年しか経ってないわけでこれからもっといろんな問題が起きたり嬉しい出来事も増えるはずだから嫌われないように、おしゃれして明るさだけは忘れないように生きていこうと思う次第です。

次回からは、一人で松葉杖のみで病院へタクシーで通うという目標を立てました。運転免許の更新や親知らずを抜くという恐ろしいオペが今月内にあるよという事も書いておきます。
3本全身麻酔で抜くんです。。。。やだすぎるこわすぎる。。どうか夢であってほしいですが、またPCR検査するわけですから現実なんですよ。(ため息)やらなきゃ終わらないのが現実なんですよね。(涙)








私の望む世界を自分なりに表現したいと思います。大体実話でございますのでよろしければ、読んでいただけましたら小躍りしたいと思います。足が不自由になってからより書きたいと思う事が増えてまいりました。私には背中に翼があることを隠せない性分なのです☆