いろいろなおしたい身体症状はあるが、満足してより満足のあるおもしい生活を、人生を。
そして前だけ見て継続した治療の効果が大きく、そのおかげで状況が悪くても続けること、粘り強く、根気といった予想外の効果も現れてくれた。 その効果と個人でおこなった努力がくみあわさり、仕事のほうで雇い止めにならない位はまともに出来るようにねじがまわり出した。
結局たいしたことは出来なかったが、それでも全く努力しなかった自分には新鮮で面白く、それを契機に事実だけでなく考察をする習慣づけをした、つもりくらい。 それでもこの時間は貴重なもので、これがないと出来なかった。気が付くと知能の低さや知識不足を補い、前後関係を読む力などが着いて行った
自宅時間を余儀なくされる時に、試みたこと。時系列に、すべて時間を記して行動の記録をとる。文学作品でない本を読む。現在起きていること、過去に起きたことを調べたり調べ直す。服部君射殺事件はたたき込まれていたけれど再び、次にコロンバインの襲撃事件はどうか。面倒でもきちんと纏めておく。
そして薬が全部出てしまったところでなんだと言うのだ。もっともっともっとつらく人間らしくない暮らし(その部分に関しては)に耐えて来たのではないか。大したことはないだろう。元気なうちに外に出てさまざまなことを見聞し行動し、一方で知識や素養を身につけるのは面白いことだろう。
ステロネマほかことごとく駄目だったのは調子の良くない時、それが刺激になって諦めたからである。それから時間は経っているものの、今の時期に継続しないと効果もわからない。薬価が高くなるので「持続可能」かもきびしいところだ。それでもなお、生活の質をあげるための提案であろうしー。
自由に外出したい。外出に出来るだけ支障のない生活にしたい。その点を繰り返しお話することよりこれまでと異なる処方が始まったばかりで、ステロイドを含め坐薬のみにしてみる。これまで経口だけで来た時期が長いから念のため飲み薬を少し処方する。試して継続しないと分からない。
前から分かっていたことだ。直腸に炎症が残り続けることでどれだけ暮らしにくくなるか。そして、以前から聞くように若いときの症状は強くても加齢と共に和らいでいくーそれには該当しなかったようだ。要はずっと、全く慣れることの出来ない落胆や失意に悩み続けているのだ。
体力的にハードな日々が続き漸く昨日の午後で一区切りとなった。眠れていなかったり毎週金曜辺りになると逆食の症状が出て食欲ががくんと落ちた。更には急に起こるどうにもならない腹痛。電車で途中下車するのはお馴染みのことであった。最後は酷いくだしようで気力はあるのだが悩んだ。
基本的に面白い人、頭の良さが感じられる人は感心しますし学びがありますが、何というか診療ですので・・・ ということをいかに傷つけず失礼にならないように伝えるかはこちらの工夫のしようだと考えます。当然ながら目的にかなっていなければ意味がありません。全ては残された人生のためなのです。
さらに他で生憎の長い休診により20日間、通えていないことにも調子があまり安定していないことと、そこでうまく続けられるのか疑心暗鬼であることからよい状況ではありません。この疑心暗鬼さをことばで上手にあらわさないとなりません。
昨年から暗雲垂れこめていたけれどかなり厳しい状況であるようです。そして見通しが立たないことも複数で聞き、たしかなようです。 定期できちんともらえていた日常から離れていくことに、そしてそういう状況を知らない、あるいは知らずに済んで過ごせることにも複雑な気持ちです。
問題はふたつあります。ひとつは他に変えて様子をみてそう上手くいくものかという単純そうで深刻なことです。副作用なども懸念されます。ふたつめに大手の門前にお世話になってもそこで供給は続くのか、そして一度途切れた利用履歴によって優先度が下がり元で「分け前」の用意がなくなるとかいう・・・
世間ではよく知られていないのかも知れません。数十年服用のサラゾスルファピリジンが今後処方が困難と言われています。三行半突き付けられたといおうか、手持ちがあるうちに大手診療所の門前に移行するか、他のまだ供給に余裕のあるものへ移行を相談、と言われています。
昨年からのもうれつな苦しみは消すことが出来ないまま。 どうしたって消すことはできない。 生きている限り。 こころの救済を願いながら、今日も。
賢かった女性もいたなあ・・・早熟で考え過ぎてなんだろうか。まだあどけなさの残る思慮深く可愛らしい様子が浮かんで来て、何をそんなに思いつめたの、と思う。彼女はもういない。年賀状のメッセージを思い出すと言いようのない悲しみだ。思いやりの深さを率直に。忘れまい。忘れない。