ただ謙のみ福を受く
中国の古典にある言葉。
今の中国情勢をみてると、とても中国発とは思えないほどの言葉だなと思う。
人は謙虚であるべきとまでは言わないけど、謙虚であり続けたほうが徳をする(福がくる)、というのはこの言葉の通り。
『あのひと謙虚だよねー』
なんて言われる人は、たいてい優秀だったりする。それに、謙虚な人ほどウチに秘めたるものの強さを感じる時もある。
ちなみに、謙虚と卑屈、は違うと思う。
辞書をひいてみよう。(デジタル大辞泉)
卑屈=必要以上に自分を卑しめる。(卑しめる=下品な、とるに足りないものとして見下げる。)
謙虚=控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。
(へりくだる=相手を敬って自分を控えめにする。)
つまり、黒字部分をつなげると、
卑屈とは、必要以上に自分をとるに足らないものとして見下げること。
謙虚とは、相手を敬って、すなおに相手の意見などを受け入れること。
とも、捉えられる。卑屈とは自分であり、謙虚とは相手である。利己と利他、このあたりに深みがある
では、なぜ謙虚でい続けることを難しい(必要ない?)と感じるのか。それは、人が常に競争にさらされているから。人は競争の結果、自分が優位にたてば相手を思い通りできると思い込んでしまう。
勘違いしたリーダーやマネージャーなんかがそれ。
本当の意味で思い通り(というか、一つの目標に共に向かうこと)になるには、謙虚でありつつも、野心をもちつつ前に進めていかなくてはならない。
謙虚と野心は表裏一体。
多くの偉人はこれらを併せ持っているんじゃなかろうかと感じる。自分はそこまでの存在になれるのか?なりたいのか?と問われると、そうは思わない。
ただ、偉人たちの生き方は、自分の人生をより良くする学びになる。
ただ謙のみ福を受く
もし、今の中国がその方向性で取り組んでいくならば、アメリカを打ち倒す時もそう遠くはないのかも知れない。
ただ謙のみ福を受く、と、言うは易し行うは難し。
今年は特に心に留めておこう。