耳を澄まし、触れて生まれる植物とのケア関係
Deep Care Labがお届けする、サスティナブルな未来をひらくクリエイティブマガジン『WONDER』では、持続可能性につながるビジネスやプロジェクト、気候危機時代の生き方のヒントになる想像的な実践や活動をされている方にお話を聞くインタビューシリーズを連載しています。
今回は、プランツディレクター/アーティスト/園芸学研究科博士課程である、鎌田美希子さんに、植物と人間の関わり方についてお話を伺いました。
今回のインタビューのお相手
研究からアート活動まで、領域を横断しながら日々の生活に植物をインストールする
ーー今日はよろしくおねがいします!早速ですが、鎌田さんはプランツディレクターという肩書きの他にも、研究やアーティストといろいろな活動をされていますよね。それぞれどのような活動で、何を大事にしているのかを教えていただけますか。
今は、仕事場やモデルルーム、個人宅などに植物をインストールして植物を増やすことがお仕事の一つです。
最近は植物を「かっこいい」とか「おしゃれ」という文脈でインテリアとして置くことがブームになっているんですけれど、植物をインテリアとして扱わないことを自分のモットーにしています。かっこよくておしゃれな空間を作るために植物を置くって植物を”モノ”として扱っているようで嫌なんです。たとえば、「この場所にはこの植物が似合うからこれを置きたい」という話が出ることがあっても「この植物は寒さに弱いからここの地域は難しいですよ」とやりとりをしたりして、その場所で適切に育つことができる植物を提案させてもらっています。「かっこよければいい」ではなく、ともに生きる者としてきちんと植物を扱いたいんです。
その一環で、多肉植物がブームになった2015年に【Tanicushion®】というプロダクトをローンチしました。当時サボテンが人気になって、お部屋の中やオフィスにサボテンを飾りたい人たちが結構いたんです。古くから園芸業界がサボテンは枯れない植物のように売り出していたこともあり、水のいらない植物のイメージが広まっていたことも影響していると思います。でもサボテンって、外じゃないと基本的には育たないんです。日照が少ない場所では細くなって枯れてしまうものなので、室内だと死んでしまう・・・。それを啓蒙したいと思ったのをきっかけに、本物の多肉植物は外で育てて、室内は【Tanicushion®】を飾って彩りを出してもらえるように、と作りました。
そこから「植物の効果」について興味を持つようになったんです。
緑化を事業にしていく中で、どうしたらみんな植物を取り入れたくなるか、ビジネスの世界ではどういう売り文句があったら植物が増えていくのかを考えたいと思い、千葉大学の園芸学研究科の博士課程で研究を始めました。
オフィスを対象に、植物があることで人がどんな影響を受けるかを研究しています。ただ、コロナ以降オフィスでの研究が全くできなくなってしまって、次を考えているところなんですが・・・。
また、アーティストとして表現活動も3年ほどやっています。私がやっていることや研究をなかなか人に広められずに悩んでいたときに、展示をしてみないかとお話をいただいたのがきっかけです。実際にやってみて、幅広い層の人や普段接しない人たちにも展示を見てもらえるし、心に残る体験を生み出せることを実感しました。自然界にある素晴らしい現象や植物・微生物が果たしているものすごい大仕事を、見た人の心に残るように作品にして展示をしています。
モノとして扱わない、植物との望ましい関わり方
ーーオフィスなどの場所にお仕事で増やしていく植物と、ご自身のお庭などに植えられる植物では、鎌田さんの向き合い方に差はありますか。
まず、手元にあるものは毎日みてあげられるので身近にも感じますが、お仕事で関わる植物は自分の手を離れてしまうのでそれ以上関与できないところが大きな違いですね。
お仕事で関わる植物は、みんなが育てやすく室内環境にあった植物を選ぶ傾向が高くなるので、結構似たものが多くなって幅が狭くなってしまうんです。
一方で家の庭で育てている植物は、自分も知識があるし手もかけられるので、育てるのが大変なものや珍しいもの、マニア的な要素があるものや植物園にしか置いていないものなどもあります。そういう意味でも、お仕事で関わる植物と育てている植物は全然違いますね。
ーーお仕事で関わる植物に関しては育てやすいかどうか、という基準もあるんですね。たしかに実際に育てていく人のことも考えなくてはいけないですよね。
みんながみんな植物を好きなわけではないですし、知識があるわけでもないので、間違った育て方をしてうっかりして枯らしてしまうこともあると思うんです。植物が枯れてしまうと悲しいじゃないですか。一回そういう体験をしてしまうと「もう無理!」となってしまう人もいるので、1番最初は育てやすいものや絶対枯れそうにないものを多めに入れてあげて、週に1回だけの水やりで大丈夫ですよ、と安心感を持ってもらうようにしています。特に玄関口やオフィスの中など、一人の人だけがケアするわけではない場所に育てやすいものを多く入れるようにしてます。「植物ってこうケアをすればいいんだ」という感覚が掴めてくるとそこからさらに興味が湧いていくんじゃないかと思って。
ーーハードルを下げて、植物と向き合いやすくしてあげるんですね。
先ほどおっしゃっていた「植物をモノとして扱わない」姿勢にも大変共感しました。鎌田さんとしては、どのように人と植物が関わり合っていくといいと考えていますか。
身の回りに植物がたくさんあることが当たり前になればいいと思っています。
今、私が都市の中に住んでいることもありますが、植物が生きられる場所が限定的なんですよね。マンションの植え込みのスペースにしか土がなくて、それ以外は鉢植えなら育てられるけど…という状態。もっと土があちこちにあって、そこに雑草でも何でも多種多様な植物が植わっていたらもっと面白いのになと思います。
今って街路樹も決められた種類しか使われていなかったり、マンションの植え込みもサツキなどピンクに花が咲き、年中葉がついている常緑樹で、刈り込めるタイプが多いんです。
たくさん流通しているから、造園屋さんも植えやすいんですけど、それゆえ単一になっていて。 それ以外の植物が生えたら、管理の一環で抜かれてしまったり、人間の都合で選ばれた植物しかない状態です。それにはとても違和感を持っています。もっと多種多様な植物が共生していて、それを利用できる他の生物たちもたくさん現れると楽しいですよね。
先ほどのように、最初は簡単なものを育てるところから植物に関わっていき、徐々に自分の好きな植物は何だろうと考えたり、いろんな植物を育てられるようになる。そこから、この植物を育てるためにはこの環境じゃだめだ、と感じて土がある場所を求めていく…。そんな風に価値観も変わっていくと、もっと豊かな暮らしになると思っています。
ーー人間の都合で選ばれた植物しかないことへの違和感は、どういうところから感じ始めたのでしょう…?
ずっと田舎にいたので人の手の入っていない土地が周りにたくさんあるのが当たり前でした。いろんな植物や動物が生きる余白がたくさんあったし、季節ごとに食べられるものもたくさんあるし...。そういう環境の中で育ったので、東京に住み始めてすごく人間中心なデザインだと感じたんです。他の生物をものすごく排除するじゃないですか。虫=全部悪い、といったように。選ばれた1種だけが生きられる環境っておかしいと思うんです。食物連鎖があって、微生物たちが分解してくれて、光合成があって、本当はみんな共生し合って世界ができているのに、人間に選ばれし種しか生きられない要塞を築いているように感じます。
不都合なものは排除される都市社会で、見えざるものへの想像力を促す
ーーアート作品である『(in)visible forest』は植物を中心として、その周りの生態系を意識しながら思索し実験している印象があります。植物から視点を拡げて着目した理由やきっかけがあれば教えてください。
(in)visible forestは、展示する空間の広さ、使っていい材料や費用の制限があって、実は植物をたくさん置けなかったんです。どうしようか考えていたときに農学部時代に受けた微生物の授業や実験のことを思い出して、植物とつながりあっているけど見えない世界を取り扱ってみようと思いました。
ーー微生物や道端の花など人が目を向けていないものも含めて、「見えないものへ想像力」を促すことと、ご自身の元々の軸である植物を増やす活動が、どのようにつながっているのでしょうか。
植物も好きですけど、きのことか動物、虫も小さい時から好きで菌もとても身近にいたんですよね。小学校の裏に林があったんですけど、1年中その中で遊べるからどの季節も様子を見ていました。例えば、秋に落ち葉が降り積もって、冬を超えて春から梅雨の時期になると分解されてなくなる姿や、朽ちた木にカビやきのこが生えていき時とともにボロボロになっていく様子。生きものの死骸が分解され、土に還る光景。そうした風景を目の当たりにしてきたんです。でも、都市の中ってそういうところを見せないですよね。汚い面を隠しがちというか。
私たちは目に見えることや自分にとって都合のよいことに左右されがちなんですけれど、排除される者の中にも大事なことがある。たとえば昨今も、菌と細菌とウイルスって全然違うものなのに「殺菌」という形で「目に見えないもの=怖いもの」と一括りに排除されていたり、人間にとって不都合だから”雑草”とラベル付けされる植物もいる。でもそれらもちゃんとした生き物で、それぞれの多様な働きが密接に関わり合い、切磋琢磨して生きているはずなんです。人間にとっていいものだけを都合よく扱ってはいけないはず。そうした知識をつけることや、「雑草」と一括りにするのではなく、一つ一つの植物にストーリーがあると知ることが大切だと思います。
こうした視点がインストールされると、実は都市の中でいろんな植物が生きていることに気付けるし、都市の中を歩いても「こんなところに苔が生えている!」と思えて、楽しくなるんじゃないでしょうか。そのためには、まずは好奇心と関心を持つことが必要な一歩ではないかと思い、最初にお話した増やす活動にもつながっています
生き物として、見て、触れ合うことの大切さ
ーー目の前に生えている植物は何か、どう生きているかに関心や注意を向けずに、一つのいのちとして見ようとしていない。雑草というラベル先行で見てしまっている、と聞きながら反省していました...。
そうですね、生き物として思えるかがポイントだと思います。
ーーモノとしてみるのか、生き物としてみるのか、その見方にヒントがあるように思いました。生き物として植物に向き合うときと、モノとして植物に向きあうときのケアの仕方や実際の触れ方に違いはあるのでしょうか。
研究でオフィス緑化を扱っていますが、大きいオフィスだとリース屋さんが植物を持ってきて、2週に1度お水やりに来て、弱ったら他の植物と交換するというサイクルの中でしか植物に触れないことが多いので、オフィスで働いている人たちは、植物が生き物かどうかなんて気にしていないのではないでしょうか。「視界に入る植物」以外で関わりを持たないことが多いと思います。
都市は分業で成り立ち、不都合なものや自分に関係ないものは見えなくなっていく性質があると思います。植物も同様で、自分が責任を持っているもの以外は見えないし触れない。そうなると当然「生き物」としては見なくなっていきますし、変化にも気づかなくなります。もちろん枯れたり弱ってくると、見た目に変化が出るから気づく人はいると思うのですが、そうやって汚くなりかけたらパッと新しいものに変わってしまうので、なんなら「植物=いつも緑で綺麗なもの」と認識している人もいるかもしれません。
ーーインテリアとしての植物の見方が固定化されてしまうと、それ以上の関わりが生まれなくなるんですね。
そうなんです。自分でデスクの上に置く植物を選び、お世話をすることで愛着を持ち、ストレスが下がるという研究結果もあるのですが、なかなか知られていないですよね。
何よりオフィスは仕事をする場所だから、植物をケアするまでの労働はしたくない、枯らしてしまうと嫌だといったニーズから、基本的には先ほどお話したリースでの導入になっています。
ーー以前インタビューした糞土師の方が、野糞をした後にお尻拭く葉っぱの話をされていた時に、「自分は葉っぱ1枚のことすら知らない、触れ合いから無知を知った」とおっしゃていました。タッチする・されるというのはキーワードですね。
そうですね。「生命の熱を」の展示にも繋がりますが、視覚ではなく指先の感覚を通して、微生物たちの存在を熱で知覚することをテーマにしています。文字や視覚から入ってくる情報と、体で感じる情報は心への波及の仕方が違います。たとえば森の中に行った時に、すごく気持ちがいいと思う感覚がありますよね。あれって温度が20何度で、湿度が70何%で風速がこれくらいだ、という情報から知覚の仕方ではなくて、空気感を自分の肌を通して感じるだけで気持ちいい、と思うもの。なので、視覚・文字など多角的な情報は削ぎ落とし、触覚に焦点をおきました。
お客さんの反応を見ていても、みなさんすごく喜んでいて、「あったかい」「ずっと触っていたくなるようなぬくもりがある」と言ってくれて、触れることは大事だなと思いました。たまに公園とかで、木に抱きついている人とかいますけど、あれも心地よさがありますよね(笑)
みんな、特に考えたりせずとも、植物を見たら触れるようになれば、愛着が湧くようになるかもしれないです。次の研究では、オフィスに植物を置くことで人間がどういう効果を得るかだけではなく、植物に霧吹きをするなど、ちょっとしたケアの実践を導入して、愛着を持つような仕掛けをした上で、どう人間の心理に変化があるかを調査してみたいと、考えています。
植物の声を聴くとは?言語化できない、植物とのコミュニケーション。
ーー先ほどのケアの話と通じるのですが、ケアの文脈だと「聴く」ことが重要です。例えば、赤ちゃんが泣いているときに、まだ言語的にはニーズを伝えられないけど、何を語っているかをお母さんは聴き取ってレスポンスする。人でなくても、ともに生きる犬や猫の声も聴くことができます。そう考えた時に、植物の声を聴くとはどういうことなんだろうと思ったんです。
鎌田さんは、植物と話すとか、声を聴くとか、コミュニケーションを取る時に何を感じていますか。
観察は日々していて、新芽が出てきたらそろそろ春かなとかは思うんだけど、何を指標にしているかと言われると...難しいですね。
ーー観察...普段の様子を知っているかどうかも関わるかもしれないですね。例えば、お母さんが赤ちゃんの声を聴くこともいわゆる日々の様子を知っていて、そうではないアラートが出たり、様子を察知すると「どうかしたのかな」と思うし、その逆で「いつもよりご機嫌ね」とか「今日したことの何かが良かったのかな」と思う。鎌田さんは、なんでもない状態を経験上知っているのかもしれませんね。
確かに、意識していないけど蓄積されている知はあるかもしれません。「葉っぱが落ちたな」と気づいて、なにかが足りていないと思ったり。メタボリズムで枯れていく葉っぱと、何かたとえば日照や水が足りないなどの不都合が原因で落ちる葉っぱがあって、そういったことに関しては意識せずとも原因がわかってしまいますね。
ーー逆に、植物が喜んでいると感じる時って、どうしてそう感じるんですかね。
生き生きとした雰囲気ですよね、言語化が難しいな...笑。
ーー雰囲気を感じているから視覚情報だけで判断できないし、気を感じる世界になってきますよね(笑)
そうなってきますよね。自分が育てている植物に関しては気配や輝きで判断している気がします。だからお散歩中に遭遇した木が元気かどうか確かに見分けがつかないかもしれません。やっぱり一緒に生きているというか、家で自分の目が届く範囲にあって特別な関係性かどうかが、状態を感じるためには必要かもしれません。
ーーありがとうございます。
鎌田さんと同じとまでは行かないと思うのですが、そうやってセンシングする能力や気配を察知する能力って、一般の人はどうやって身につけられると思いますか。
いや〜もう知識と経験ではないでしょうか (笑)
世話する時間を積み重ね、その過程での失敗から学んでいくしかありません。私も植物を枯らしちゃう事もあるので。寒い日にうっかり室内に取り込み忘れて死んでしまった植物もいて、喪失感を感じて自分を責めますが(笑)、だからこそ次はそうならないようにどうするか考える。そこを含めた経験ですかね。そしてそこに至るために、好きになって、興味を持って、観察して、ということが欠かせないと思います。
ーー生き物として、植物を見る視点をもち、経験を積み重ねていくことの大切さを学びました。ありがとうございました。
おわりに
お話の冒頭にもありましたが、ついインテリアとして「かっこいい」「おしゃれ」という文脈で植物を見てしまっていた、という人は多いのではないでしょうか。私もそうでした。植物を生き物として見ることから始め、触れ合い、やがて愛着が生まれるという過程を踏んでいってみたいと思いました。
また、人間の都合の良いものしか選び取られていない環境だと言う言葉に、はっとさせられました。
都市をはじめとした大きなスケールで見た時に、人間と植物の望ましい関わり方とは一体何なのか。さまざまな発見を得られたインタビューでした。
ありがとうございました。
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