屋久島が教えてくれた森・里・都市のつながり そして人間ができること
Deep Care Labがお届けする、サスティナブルな未来をひらくクリエイティブマガジン『WONDER』では、持続可能性につながるビジネスやプロジェクト、気候危機時代の生き方のヒントになる想像的な実践や活動をされている方にお話を聞くインタビューシリーズを連載しています。
今回は、「心に自然を宿そう」がコンセプトの合同会社モスガイドクラブ/モスオーシャンハウス代表、屋久島で人が来れば来るほど自然が豊かになる仕組みを生み出す取り組みを展開している今村祐樹さんに、モスの活動と、自然とわたしたち人間のつながりについてお話を伺いました。
今回のインタビューのお相手
自然を知らない都会育ちの人間が屋久島に導かれたワケ
ーー今日はよろしくおねがいします。早速ですが屋久島へはどういうきっかけで移住されたんですか?
今村:出身は大阪で、大学を卒業した後、東洋医学の出張整体の会社に就職しました。僕たちの体って自然に近づけば近づくほど健康になるのではないかと。でもいろんな事情が重なって春先には辞めてしまいました。いきなり無職になってこれからどうしていこうと思ったときに、自然に興味はあったけれど都会育ちだから書物を通じてでしか自然のことを知らないと気づいたんです。だったら自然の中に身を置いて過ごしてみようと、沖縄の座間味島でウミガメのボランティアを募集していたのでアポも取らずに行ってみました。
ウミガメの産卵ピークって新月や満月なんですが、自分が行ったのはちょうどその間の時期。行ったはいいけれど仕事がなかった(笑)。自然を生業にするってそういうことですよね、人間の都合で動いていない。それが自然のリズムだと教えてもらった最初の体験でした。そこから、しばらく手伝わせてもらって。それがとてもいい経験だったんです。そこで、他の島も見てみようと思って流れるままに旅をしていきました。
でもお金が尽きてしまって大阪に戻ることにして、船で鹿児島のとある港までいきました。ここがまた何もない港で、朝5:30についたからお店も全部閉まっていて。凍えながら入った漫画喫茶に置いてあった雑誌の表紙に「屋久島」と書いてあったんです。それで「屋久島か!」と。
その日の高速船とフェリーはもう運行が終わってたので、翌日行くかどうか考えてたら、偶然元の職場の上司から電話がかかってきたんですよ。「お前どうせプラプラ旅してるなら、帰ってこい」って。「あそこには戻りたくない。絶対帰らない・・・!」と思って屋久島行きを決心しました。あのとき電話をかけてきてくれた元上司にはほんと感謝しています(笑)
翌朝フェリーで屋久島に行って、泊まった宿でそのまま住み込みで働かせてもらうことになりました。
屋久島に着いた最初の日に宿のおじさんからいいきなり「車に乗れ!」って言われて、その人が「オアシス」と呼んでいた川に連れていってもらったんです。川の水があまりにきれいだったので飲もうとしたら、ふざけて川に突き落とされて思いっきり水を飲みました。そのときに感じたのが「怖い!」ではなく「うまい!」だったんです。
川の水を飲んで「うまい」って感想が出るなんて思っていなかったし、今思うとその水との出逢いが屋久島に住むきっかけですね。すごくきれいな川に出逢ったからこそ、自分の育ったふるさと川はなぜあんなにも汚かったんだろう、何が汚してしまったんだろう、と思ったし、このきれいな川が流れる仕組みを知りたくなった。「自然」をその角度からまずは見てみたいと感じたんです。これ、今だから言語化できるんですけどね(笑)
当時の屋久島はガイドブックもなくて、旅行誌に見開き1ページで温泉とビジターセンターくらいの情報しかありませんでしたね。だから来る人も旅好きの学生や、山好きのおじさん...けっこうマニアックな人が多かった。ガイドをやっている会社もまだまだ少なかったので、山や森を案内する仕事にチャンスがあると思いました。特に僕の泊まっていた宿はお金のない学生が多く滞在していたんですが、無謀な登山をしていて危なかったんです。彼らが払えるくらいの料金で安全管理もしながら、屋久島はいいところだとシンプルに紹介するガイドをやるようになったのが僕の原点です。その宿を出るときに仲間と「モスガイドクラブ」をつくりました。
自然については、最初は何も知らなかった。でも、だからこそ、自然とともに生きてきた素晴らしい人々と話し、活動するなかで自然観が育まれていったように思います。
水と共に生きる縄文杉の圧倒的な存在感に感じた、いのちのつながり
ーー屋久島で暮らすようになったのは、屋久島の水を喉や全身で感じたことがきっかけだったんですね。現在は屋久島の自然と人をつなげるお仕事としてモスガイドクラブをやっていると思いますが、観光ガイド的な役割からスタートして、今の「自然と人をつなげる」というテーマにはどうたどり着いたのですか。
今村:まず、おそらく知識がなくとも屋久島の自然が「気持ちいい」という感覚は伝わるのではないかと思います。モスを一緒にやっているメンバーも「自然は多くを説明せずとも気持ちよさはわかる。そういう気持ちいい自然だからこそ残していきたいと感じられる」と言っています。
アカデミックな観点から見た自然のよさではなくて、感覚で気持ちいいと思えるような場所を紹介することを最初から大事にはしていたんです。この気持ちよさをまず味わわないと、難しいことを言っても「残したい」と思えないんじゃないかと。だから、屋久島ガイドの弟子になって知識を習得していくのではなく、言葉にならない屋久島のよさを、なんとかして紹介したいと試行錯誤していきました。
この「楽しい」「気持ちいい」からスタートしてるっていうのは実は大事だと思っていて、何年もやっていると、そこに経験が積み重なってちょっと偉そうなことも言えるようになるんだから不思議なもんですね(笑)
今の活動につながっている体験をお話すると、屋久島のランドマークの縄文杉やもののけ姫の舞台の白谷雲水峡には、年間何百日も足を運んでいたんですが、あるときふと誰もいないときに縄文杉を見てみたいと思って、夜に縄文杉に会いに行ったんです。その日がちょうど新月の、真っ暗でなにも見えないときで。真っ暗闇の中にものすごい生き物の気配というか、なにかが”ある”のだけは感じるんですよ。1対1で対峙しながら、縄文杉が過ごしてきた何千年もの年月と、そこに関わるいのちの気配や重みを感じました。昼間に何百回も見ている存在なのに、初めて出逢ったかのような体験でした。
一番印象に残ったのは、唯一聴こえた水の音。昼間は人がいっぱいいて聴こえなかったんですが、縄文杉に行く道の手前に小さな沢があるんです。その沢が縄文杉のあたりを流れている唯一の水の流れ。この水があったからこそ縄文杉が生きてこられた。この水が一番大事なものなんだ、と思えました。杉は日本で一番水を必要とする樹木で、水なしでは絶対に何千年も生きられない。なので、水と杉は絶対に切っても切れない関係なんだけど、それまでの自分は縄文杉と沢を別々のものだと捉えていたんですよね。真っ暗になったときに初めて、縄文杉と水の流れが一体として見えてきた。そのことが、「縄文杉はひとりで生きているわけではない、いろんな命のつながりの中で生きている」と言葉では何度も言ってきていたことを、本当に理解した瞬間でした。
その沢は屋久島の一番大きな川の源流部です。一番大きな川っていうのは、雨によって削られ深い谷ができ、一番水が流れ、動いている場所なので、言わば屋久島の”大動脈”。その場所に、屋久島のシンボルが生えている。縄文杉は素晴らしいけど、一番大事なのはこの水の循環なんだ、これこそが屋久島のいのちを支えているものであって、これをないがしろにしてしまうと屋久島は屋久島たり得ない。屋久島の価値は水のめぐりと循環。縄文杉を育んできた、この生態系のことを言葉にしながら伝えていかないといけないと思いました。そしてそれらを消費するのではなくて育んでいく、それを自分はやっていかないといけないと強く感じたんです。この原体験をきっかけに「自然と人をつなげる」というテーマに行きついて、今のいろんな取り組みにつながっています。
ーー縄文杉を屋久島のシンボルとして記号的に消費するのではなく、それを取り巻いているいのちのめぐりに目を向けること、それを育むことを活動にしている。それが、自然と人をつなぐことを掲げるモスの取り組んでいることなんですね。これまでの活動を通じて、自然に対する「人間の役割」についてはどう考えておられますか。
2006-8年くらいに屋久島ブームがきて、これまで観光客が年間20万人くらいだったところから、最大で50万人近く来るようになりました。あっという間に自分のいたフィールドが荒れていったんです。苔はなくなり、登山道の木は枯れるは倒れるわ…みんな自然に癒やされに来ているのに自然はどんどん崩壊していく。自分は自然と人をつなぎたいのに、今のままだと自然を消費することから逃れられないと思って。
そこで、人が来れば来るほど自然がダメになるのではなく、来れば来るほど自然がよくなる仕組みを考え始めて、2008年に活動のメインだった縄文杉と白谷のツアーを辞めました。自分たちがやるべきことじゃないと思って。モスの拠点からできることをまずはやっていこうと、自分たちの食生活から変えたんです。
ーーえ、食生活からですか?
今村:実はギャップがすごくあったんですよ。自然のことを伝えているのに自分たちは朝も昼も登山弁当を食べて、帰って酒を飲んで、ろくな生活をしていなくて(笑)。自分たちの体が自然の健やかさから離れたところにあった。自然を語るのにそんな状態って気持ち悪いと感じて、食べるものを見直したり、手作りの朝ごはんを持って森で食べる「美味しいごはんツアー」をしたり、美味しい水を汲みに行ってフェアトレードのコーヒーをいれる「美味しいコーヒーツアー」をやるようになりました。山の中で自然との一体感を感じたあとに、里に降りてきて宿で過ごす時間も自然の中での体験につながるように、日本の郷土食やシンプルな調味料でご飯を出すようにも変えていきました。山で自然を感じたのに、里に降りたらジャンクな世界、って魔法が切れるような感じがするじゃないですか。日常の暮らしが自然をつくるので、暮らしと自然とがつながることを意識したかったんです。
里のいろんなお祭りにも、参加するようになりました。この地域では山ん神祭りという山に感謝する日があります。その日は山に入らずに一緒に感謝するショートツアーをしたり、里の祠のお参りに行って、掃除したり、お祭りのときにつくられる郷土菓子を一緒に作ったり。また、焼いた炭を屋久島の海に沈めることで海の浄化に挑戦もしてきました。
人が来れば来るほど良くなるという理想はなかなか進まなかったけれど、試行錯誤しながらまずは自分たちが明らかに変わっていったんです。
暮らしを変えて感じた、“自然と人”が同じテーブルに着く感覚
ーー食事を変えたり山の神への感謝をしたり、自分たちの暮らしの方をまず変えてみて、どんな変化を感じましたか?
今村:「自分の体も自然なんだ!」っていう気付きが大きかったですね。「自然と人をつなげる」ってずっと思っていましたが、それまでは「自然」と「人」を分けて考えていたんです。でも自分の体も食べるもので変わるし、いろんなつながりで出逢った食材が自分に入ってきて循環するのと同じように、屋久島の自然も循環して生きている。人も自然も同じなんだ、屋久島の中で体験した自然の仕組みが自分の体の中にあるんだ、と実感したことが変わっていくきっかけになりました。世界遺産にしか自然がないわけではなくて、ここで暮らす僕らも自然。境界がなくなっていく感覚を得られるようになったんです。
ーー最初に話されていた東洋思想の話にも戻ってきた感じがしますね…!
今村:そう、結局つながってくるんです。自分たちも自然であるなら、自分が気持ちいいことをやっていけば消費していくこともなくなるはず。でも僕たちの中に「自然」と「人」を分ける感覚がある限りコラボレーションは生まれないと思います。同じ仕組みがあるから、自分が気持ちいいと自然も気持ちいい、同じテーブルに着く感覚なんじゃないでしょうか。
そういう視点でみていくと、屋久島の中に世界遺産地域の豊かな生態系と全く真逆で、人の暮らしによって元気がなくなっていく場所があることに気づいたんです。山奥は川が驚くほどきれいだけど里はなんとなく元気なく淀んだ川があったりとか、畑や道路沿いでは薬によって草が枯れた風景がひろがっていたりとか。きれいな場所だけ案内していると「屋久島はきれいだねー」となるけれど、実は人の暮らす里に近づくほどに自然の多様な生命の営みはも壊れていっている。この里とどう関わり合って、僕らが屋久島の山奥の自然で感じたようなことを創造していけるのかを考えないといけないと思うようになりました。
すべてひと繋がりだととらえると、世界遺産だけでなく道路沿いの里の風景もとても大事なものになってくるので、いま、道路の風景づくりにも取り組んでいます。これまで行われてきた一年に一回、植物を根こそぎ刈り取ってしまうような草刈り作業の結果、たった1種類の強い雑草しか生えていない状況だったところをいろんな植物や生き物が生きられる風景に再生したいと思ってここ数年ずっと手をかけてきたことによって、やっといろんな植物が生えてくるようになりました。
ちょっと手をかけると自然は答えを返してくれる。世界遺産の風景を守るのも大事だけど、目が向けられていなくて元気をなくしていく里の風景に手をかけて多様性を生み出していくこともとても大事だと思っています。
「道をきれいにしてくれてありがとう」って草刈りしているとすごく感謝されるんですよ。山をどれだけ案内しても集落の人からは誰からも感謝されないけれど、草を刈ってゴミを拾うと感謝される。耕作放棄地とか高齢化で手がかけられないみかん園の収穫や草刈りのお手伝いもさせてもらえるようになって、広大な農地に除草剤を撒かずにぽんかん園を維持することができた年などはほんとに嬉しかったです。
屋久島全体がひと繋がりだと考えたとき、畑の課題をクリアしていくのはすごく大事で、お客さんにも関わってもらってます。もちろん世界遺産のエリアにも連れて行くけれど、里にも足を運んで草刈りを一緒にしてもらったり。この畑の恵みがもたらされるのは、川の源流から地下に水が流れ、ここで生きようとしてきた人が汗水たらして開墾して、何十年もかけて農作物を作っているから。人が手掛けてきた畑も屋久島の一部だからそこもより健やかに生命が育まれるようにお手伝いをしていく。屋久島の海と森と川のつながりというテーマでツアーを組む中で、山にも行くし、海岸でゴミも流木も拾うし、県道の草刈りもするし、ぽんかん畑にも行く。そしてこれが全部つながっていることを示すんです。
この全体性を見せることでお客さんもとても喜ぶし、ありがとうと感謝もしてくれて、縄文杉のいいところだけ連れて行ったより充実感もあって、里の風景も育まれていく。
最後にお客さんに話すのは、この森川海のつながりがあるのは屋久島だけではないということ。みんなが暮らし生きているということは、それぞれの住む場所にこのつながりが存在してるからなんです。なので帰ったら、自分の家の近くの川がどこから始まりどこで終わるのか気にしてみてほしいし、それらを育むということにも少しでも関わってくれたら嬉しいと伝えています。
僕らが大事にしていることは「anchor your nature」、心に自然を宿そうということです。自分たちの中にある自然に錨を降ろしてつながって、その目で改めて自分の周りを見つめてみることで屋久島での体験とそれぞれの生きる場所の見方をつなげていきたいんです。
スコップ一本で土壌を耕し、いのちがうごめくひとつの大地を作る
DCL:縄文杉だけでなく里の風景も含めた繋がりと全体性を大事にされていると共に、自分自身も自然と同じであると感じること、屋久島で獲得したその感覚と自然に対する見方を自分の住むまちにも拡張できるように、きっかけを提供されているように思いました。
風景づくりをしていくときのことを伺いたいのですが、自然に対する人の介入の仕方は色々あると思います。今お話いただいた全体性もふまえてどうやって「いまここにはこの手入れが必要だ」と判断しているのでしょうか。
今村:全国で環境再生の「大地の再生」をしている矢野さんとの出会いが大きかったです。矢野さんは「スコップ一本でできることがある」「土の中ですべての植物は根っこを介して同じ大地を共有してるので、人がスコップをいれてその環境が変われば周りも全部つながって変わっていく」とおっしゃっているんです。
矢野さんと一緒に活動をすると、この人はほんとうに「スコップ一本で変えられる」ということを信じているって感じられるんですよ。その想いがとても大事で、つながっていないと思っていればつながらない。でも本当につながっていると信じているから変化を生み出していると思うんです。僕らも、宿をやっている海辺の土地をより良くすることが、屋久島の源流の森から海まで、ひと繋がりのいのちを良くしていくことだと信じて整備しています。
屋久島の縄文杉もそうですが、土から上で生きているわけではなくて、土の下でいろんな生きものとつながっているんですよね。屋久島は岩が隆起した島だから土壌が数十センチしかない。そのわずかな厚みにすごくたくさんのいのちがうごめいていて縄文杉を支えている。土の中の微生物や菌類が、もっと広く見ると海から運ばれてきた水蒸気が雨となり、太陽の光や季節の風が吹くことで土の中の微生物と出逢って土壌が育まれ、いのちが生きている。つながりをもたらすものと、めぐりをととのえて育むもの、それら二つが合わさって土壌というものが形成され、その土壌をみんなが共有しているんですよね。
それを知っていくと、やっぱり本当につながっているんだなって実感できるんです。海辺の宿と縄文杉は確実につながっている。だから矢野さんが言っていることもしっくりきた。スコップひとつで、目の前の場所をいろんないのちが生きられるように変えていく。それには炭をいれたり、呼吸しやすい環境にするとかいろいろなやり方があるんです。
人間が生まれてきた存在意義を考え続けながら、自然との対話を実践するのみ!
DCL:その信念、今村さんの場合だと屋久島の中を歩き回ったり、水とともに生きている縄文杉を実感した体験が下支えになっていると思うのですが、都会にいたとしても「いのちが全部つながっている」と信じられる実感は、どうやったら得られますか。
今村:それは、外に出て触れていくしかないと思います。知識は無限にあるけど触れないと自分の知恵にならないし、わからないなりにやってみる、実践してみるしかないんだと思います。間違うかもしれない、やってみて植物が枯れてしまうこともあるかもしれない。けれど、植物の声を聴けてなかったと感じたら次にどうするかが大切。
(参考記事:耳をすまし、触れて生まれる植物とのケア関係)
正解なんてないし、その人の感性でしかできないことがあるんだと思います。マニュアルみたいなものはできた瞬間に意味がなくなってしまう。
だから、スコップひとつで変えられることを知ったのであれば、間違ってもいいからやってみる。そこで初めて対話が生まれる。植物と人間が対話できないと思ってたら一生対話できないですが、やり続ければ聞こえるようになっていくんですよ。これは人間の可能性、自分の感覚を信じているってことでもあるんです。
極論で人間が邪魔者だからいなくなればいいという話もたまに聞くし、屋久島も人が出ていけばいいって議論が実際に昔あったんです。でも「人ってもっとできるから、馬鹿にするな」って思って。なんで人間がこの地球に生まれてきたのか、その存在意義を考えるべきだし、もっといのちを豊かにするために考えてできることがあるはずなんです。
まず、外にでて自然と関わる。教室にいても何も変わらない。東京でも大阪でも緑はあるし、苦しい環境に生きている街路樹に関わっていくことで見えてくる世界もあるはずです。その街路樹は縄文杉と同じくらい価値があるはずです。その一本の木を元気にしてあげることがすべてにつながっていく。そうして未来に希望を持って動く人と一緒に考えたいとも思っています。だから、明日にでも一緒に屋久島で作業しましょう(笑)。
未来の体験に価値を見出してお金をめぐらせていくpay forwardという概念
DCL:屋久島でも自分の周りでもやれることがあると信じること、そしてとにかくやってみることが大切なんですね。
今村:若者がやらないといけないとも思っています。僕ら中年はあと数十年しか生きないから僕らは橋渡し。でもそれが役割なんだと思うんですよ。自分はバトンを渡すための良い立ち位置にいると思っています。うちの親父の世代は団塊の世代で、戦後なにもないところから歯を食いしばっていまの都市を彼らの正解として作り上げてきた。都会も自然もどっちも望まれて作られてきた世界であって、ボーダーはないと思うんです。里山的な場所でも都市にいてもできることは無限にあると信じています。
DCL:いまお話いただいたバトン感覚がいまモスで取り組まれているpay it forwardにもつながっていると思ったのですが、未来へ贈るpay it forwardについても教えてください。
※ペイフォワード(恩贈り)
モスでは現在体験の対価としてお金を受け取る従来の仕組みから脱却し、めぐりとつながりをうみだすツールとして未来へ”お金”を贈る取り組みを実施している。
https://moss6.com/payitfoward/
今村:屋久島にきて20年目になって、めぐりとつながりをどう育んでいくかを会社のメンバーとも大事にしている中で、お金の支払いシステムだけがめぐりとつながりを育んでいないと思っていたんです。とてもいい時間を過ごした人に「お会計を」って言った瞬間に、プライスレスな時間から魔法が解けてしまう。
めぐりとつながりを大事にしているのに、違和感があるってずっと思っていたんです。自然っていろんな人の思いによって今この時代に受け継がれてきて、そして未来の子供たちからも預かっているものなのに、「この体験はこの値段」ってこれまで僕らはあまりにも簡単に決めすぎていたんじゃないかって。だからそれやめようと思い、僕らが提供している体験には値段がついてませんと伝えるようにしました。これから先に生まれてくる子どもたちが僕らが日々味わっているような自然とともにあるゆたかな時間を味わえるように、今じゃなくてこれからの体験を創造するために。未来へとお金を贈ってみませんか?とゲストに問いかけるシステムにしてみました。
お金を払う行為が、単なる対価交換ではなく、目の前の資源を消費することにお金を払うのか、未来を育むことに価値を感じてそれの表現としてお金を払うのか、何に価値を感じてお金を払うのかを考える機会の提供になればと思っています。お金のある人はドンペリに100万円払ったりしているけれど、それは何を育んでいることに繋がるのか考えてみて欲しいんです。
目の前の空気を美味しく吸えて、それを育んでいる人たちに価値を表現するのがとっても大事だと思っているので、pay it forwardというのは「あなたはこの先どういうものに価値を表現してお金をめぐらせていくのか?」というひとつの問題提起なんです。
そして、ここでお金を支払った以降も、他の場所でその人が何にめぐりを生み出しているのかを考えるきっかけになっていればいいと思っています。値段の裏側にある過去から未来までのすべての想いを表現しているのがお金だと思っているので、それを受け取りたい。だから、滞在する中でそういったことを感じわかってもらえるように、屋久島の未来を作っていくために、ちょっとした草刈りをする。そんなふうに時間を作っています。この全体性を伝えていくことにこれからも丁寧に取り組んでいきたいと思っています。
ーー現代を生きる私たちの価値交換のツールではなく、過去も未来もひっくるめての自身の価値観の表現としてのお金、という捉え方なんですね。とても刺激になりました。
今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。
おわりに
Deep Care Labでも以前合宿で屋久島のモスオーシャンハウスを訪れ、今村さんのガイドで森・川・里・海、そして都市がつながっていることを体感させてもらいました。屋久島というフィールドを起点にしながら自分たちの住んでいる土地や、自分自身が自然であることに想いを馳せる豊かな経験でした。
興味関心のあった自然というものを理解しようと実践の場に飛び込み、自分のフィールドを持ちながら実験し、試行錯誤し感じた疑問や違和感を流さずに向き合おうとされてきた今村さんだからこその実感値と手触り感のある言葉に溢れていたと思います。心揺さぶられた方、体感してみたいと少しでも興味が湧いた方はぜひ屋久島に一緒に行きましょう。
こうして自身がつながっている土地を通じて自分の気づきをシェアするガイド役になってくださる方々がいて、そのおかげで都会に住む私たちもさまざまなつながりに気づくことができる。そしてその気づきを自分たちの暮らしの中でもどう実践できるか、考えていくためのうつわとしてDeep Care Labがいるのかもしれない、その可能性にも改めて気づくことのできたインタビューになりました。今村さん、どうもありがとうございました。
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Deep Care Labでは、あらゆるいのちと共に在る地球に向けて、気候危機時代を前提にしたイノベーションや実験を個人・企業・自治体の方々と共創します。取り組み、協業に関心があればお気軽にご連絡ください。