心療内科に行く話。
昨日、カウンセリングを受けてきた。
言われたことと今感じている感情を忘れたくなくてここに書く。
今、私は仕事をセーブして働いている。
精神的に不安定で、頭が働かず、些細なことにも過敏になっているから。
たとえば、職場で「○○って今どうなってる?」「○○頼める?」「MTGに入って説明して」と、ごく当たり前の仕事の会話をされた時に焦りや不安という感情がまず一番先に沸いてくる。
一言で言うなら「嫌だ」である。
この状態で何かすることのストレスを想像してみて欲しい。
少し大げさに書くと、拷問のようなことであると言えると思う。
嫌だ、不快だ、やりたくない、やってほしくないことを永遠とされ続けている状態。
不快度の大小はあれど、本質的には同じこと。
だから病むわけで。
それはつまり、自分の心の声を無視していて、意識が外向きだからだと先生に言われた。
外向きの意識と内向きの意識
人は嫌なことがあると、ある行動をとるらしい。
ちなみに嫌なことの時だけ。
あーだこーだ考える
自分でなんとかしようとする
「仕方がない」と我慢する
上の3つを「そんなこと当たり前じゃん。みんなそう思ってるでしょ」と思った人は、外向きの意識になっている。
もちろん私もそうだった。
今上手くいっていないのはどうしてだろう?
何かすべきことや手立てがあるんじゃないか?
私が努力不足だから?何か足りないから?
今の私ではこの現実を受け入れるしかない…やろうとしても、できないなら仕方がない。
まさにね。
でもこれを考えて直そうと行動しても根本的な幸福度は変わらないんだって。
例えば私は、外向きの意識で「職場を変えれば変わるんじゃないか」とか「住む場所を変えれば何かいいことが起こるかも」とか「時間が解決してくれるのかな」とか…言い換えると私が生きる理由を悶々と考えて、探していた。
そして、全てが徒労だということを自分で証明できる。
「職場を変えれば変わるんじゃないか」
5年務めた会社を辞め、今の仕事に就いた。もちろん良かれと思って。
前の会社のせいもあって精神的に不安定になったと思っていたから当然と言えば当然。
でも今の現状を見てみると、職場を変えたところで症状は改善していない。セーブしてもらえているおかげで多少は良くなっているが、解決にはなっていないし、新しい職場になったことで増えた悩みもある。
幸せかと聞かれたら明らかに「いいえ」だ。
「住む場所を変えれば何かいいことが起こるかも」
これに関してはそもそも実行に移せるほどの気力や体力がない。
やりたいと思っていても出来ない部類。
というかもはや希望的観測にすぎない。
確証もソースもない。笑
これに関してはきっと「色んなものから逃げたい」とか「何かを変えたい」が正直な気持ちだと思う。
「時間が解決してくれるのかな」
これも半分希望的観測。
私の病気が明確に始まったと自覚出来たのは2019年の年始頃だった。
もう4年近く現在のふわふわ状態なのだ。
ただ、体調に出始めたのは2022年の10月頃だったように思う。
3年間、体内でじわじわと見えないところで蝕まれて露見したのが2022年。
分かりやすい不眠と動悸や不安症のようなものが出始める。
そこで私は病が自分の手を離れたと思った。
自分ではもうどうしようもないと感じた。
寝たくても眠れない。
大丈夫だと思いたくても思えない。
やろうとしても出来ない、ミスをする。
好きなことも、好きだと思えなくなる。興味がなくなる。つまらないと思うようになる。
今の自分のことを、自分のことではないように感じる。
自分をどんなに頑張って鼓舞しても、体が言う事を聞かなくなった。
心と体が離れてしまった。
このままじゃきっと、本当に最後の手段を取ってしまうのでは…。
色々と「考え」て、このままではいけないと思い病院に行く決意をした。
つまり、時間は過ぎているだけで根本的には変わっていない。
辛い思い出ならば時間が過ぎて薄れ、忘れていくかもしれない。
でも私が今抱えているものは、生きている限りずっと私の中にある。
だから時間では解決できない。
ここまで聞くと、八方ふさがりでしょ?
どうしようもないでしょ。
そんなに辛いなら、死んで楽になりたいと思うのは自然なことだと思う。
私も安易に考えたけど…死ぬには死ぬで、まだ決定打が足りない気もするし、友達も悲しむかなとかね。親不孝だなあって。
でも同時に「なんで生んだんだ」って考えちゃうこともあって。
そう思う自分も嫌でまた自己嫌悪になったり。
またそうやって自分の気持ちを傷つけていった。殺していった。
ここまでまるっとあーだこーだ考えること、だね。
誰にも責められてない。
全部自分で考えてること。思ってること。
そしてこれを書いてて感じる気持ちは「悲しい」だ。
書いてて泣いてる。
内向きの意識ってなに?
では反対に内向きの意識とは何か。
同じように嫌なことがあった時に自分の気持ちに正直になることだそう。
共感する
肯定する
本音を表現する
まず沸いてきた感情にそのまま共感する。
「悲しかったね」
「辛かったね」
「嫌だったね」
「怖かったね」
「その気持ちとってもよく分かるよ」
そして、肯定する。
「悲しんでいいよ」
「辛いと思ってもいいよ」
「嫌だと思ってもいいよ」
「怖いよね、そう思うことは間違ってないよ」
「大丈夫、嫌いだと思っていいよ。あなたは悪くないよ」
最後に、表現する。
声に出して「嫌だ!!!」とか「大っ嫌い!」とか「ベッドから出たくない!!」「仕事したくない!」などなどその時感じている感情をそのまま出して駄々をこねる、らしい。
らしいというのは、今自分でもまだ練習中で効果を実証出来ていないからである。笑
クッションをボコボコ殴ったり、手足をじたばたさせたり、大声を出したり、とにかく自由に表現すると良いみたい。
幼児退行に似ていて、ちょっと恥ずかしい…が、これをすると心が軽くなるらしい。
たしかに映画などでも海に向かって大声で叫んですっきりしたり、小説では憑き物が落ちた、みたいな表現をすることがある。
叫ぶ前と叫んだ後で別に取り巻く環境は何一つ変わってはいない。
でも、叫んだ後のその人の気持ちが変わっている。
おそらくそういうことなのだと思う。
心が軽くなると、安心感が深まって現実がうまく回っていくようになるんだそうだ。
というか、現実世界は多分元々なんとなしに回っていて、そこに自分がポンっと入れるようになるイメージが近そう。
この話聞いたらどう思うだろうか?
なんか、かなり出来そうじゃないか?
自分の心に気持ちに素直になるだけだ。なーんだ簡単。
やってみよう!ってすぐに思った人は多分相当素直で純粋な人間で、おそらくほとんどの人は私と同じように「そんなことで変わるわけないじゃん」と感じたと思う。
安心して。これは先生に聞いた。
確かに信じられないかもしれないけど一つだけ確実に言えるのは、今まで自分の思考で道を進んできた結果が今だということ。
今が大満足ならそれでもいいけれど、外向きの思考をしてきた結果、今のアンハッピー状態なわけだ。
であればその方法をやり続けたら今の現実が続いていくということが確定する。
だったら信じられなくても別の方法をやってみる価値はあるんじゃないか?ってこと。
しかもノーリスクで。
スッと自分の中で納得できた。
それはそうって感じ。
だからやってみる。
私のやるべきこと
自分の気持ちを表現することに専念するだけ。
他に何もしないでくださいって言われた。笑
例えば転職しようとかそういうのは外向きの意識だからしない!ってこと。
そして、それを持続してやっていくと自分の気持ちが安心して元気に強くなる。
充実した日々に自分自身が感じるようになってくる。
そう感じるようになると行動も変わる。
別に自分がよしこうしよう!って思わなくても、考えなくても、自然と変わる。
それが根本的に変革していくってことなんだって。
頭で考えなくても、実際にもう行動してるからそこには理由とかもない。○○しなきゃいけないからこうしようで動いてないってことだね。
そうなることが多分生き方としての理想なんだろうなあ~。
頭でっかちになりがちな自分はまた頭で理解しようとするからその癖を矯正しながら自分とうまく付き合っていけたらいいなと思う。
同じように悩んでる人がいたらちょっとでも手がかり、足がかりになるといいな。
実験結果は…いつか書きたいと思ったときに自然と書きにくるかもしれない。
おやすみなさい。
何か気に入ったものがあれば、サポートしていただけると嬉しいです。