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【日本三文オペラ】大阪市城東区の在日コリアン集住地!伝説の「アパッチ部落」を訪ねて【夜を賭けて】

日本第二の都市・大阪には、太平洋戦争中に大日本帝国陸軍の極東アジア最大の兵器工場大阪砲兵工廠が存在していた。現在の大阪城公園や大阪ビジネスパーク、UR森ノ宮団地、大阪地下鉄の森ノ宮車庫などになっている場所である。戦争末期に広島や長崎に原子爆弾が投下された挙げ句、終戦前日の昭和20(1945)年8月14日に145機ものB29が飛来し、650発の1トン爆弾を用いた集中爆撃によって596万平米もの広大な敷地を構えていた工場はその殆どを徹底的に破壊された。終戦後も長らく砲兵工廠の跡地は危険な不発弾が散乱し、人の立ち入りもまともにできず、ひたすら荒れるに任せていた。

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敗戦ムードの中で庶民にとって貧しく悲惨な暮らしが続いていた日本社会がいよいよ“戦後”を脱しようとしていた昭和29(1954)年頃から「神武景気」を迎える。かねてから朝鮮戦争特需などを理由に金属類の需要が高まり鉄の価格は高騰していた。そこでとりわけ差別と貧困に苦しんでいた当時の在日コリアンが目をつけたのが、手つかずの砲兵工廠跡地に残っていた大量の金属類だった。自らの命も顧みず、夜な夜な川を潜っては敷地に侵入し、鉄を掻っ攫う。当時の新聞紙はそんな彼らの振る舞いをアメリカの先住民になぞらえてアパッチ族と称した。

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