【長屋王の呪い】近鉄奈良線移設で変貌する平城宮跡とバブルの負の遺産「旧奈良そごう」を見に来た【ミ・ナーラ】
今からおよそ1200年前に日本の首都だったのは、平安京のあった京都、そして1300年前に日本の首都だったのは、平城京のあった奈良、そのくらい義務教育でみんな学んでいるような有名な歴史のお話も、実際に両方見比べてみると、観光資源のボリュームから都市の規模から食文化から、色々京都より見劣りしている感が強い、その事も県民自体が良く分かっているのが奈良なんですが、奈良県民が京都に抱く嫉妬心のようなものは首都圏で言うところの埼玉県民の田舎コンプレックスというよりも、日本をライバル視する韓国のそれに近い感覚かも知れない。そんな奈良の地名が朝鮮語の“ナラ”(国)から来ている説を唱える者もいるそうだが、これもありがちな「ウリナラ起源説」であると異を唱える者もいる。
で、やってきたのは奈良市にある「平城宮跡」(平城宮跡歴史公園)。奈良公園から西に5キロにあり、奈良時代の74年もの間、日本の首都「平城京」が置かれていた場所。1998年に「古都奈良の文化財」として東大寺などと同じく世界遺産に登録されているが、いっちょまえの観光名所だろうと思って実際来てみると…ガラーン…何にもありませんやん…今回はこの平城宮跡と周辺の街並み、そしてその近所にある、バブル期に莫大な初期投資のもとブッ建てられた高級百貨店・旧奈良そごうだった商業施設「ミ・ナーラ」を見物にやってきたのだ。
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