【西城秀樹が育った街】かつて広島駅前にあったもの…戦後の闇市時代から生き続けてきた「愛友市場」とその跡地
“遣唐使”ならぬ「検討使」との呼び名も高い現在の日本国首相・岸田文雄の地元(本人の出身地は違うけど政治家用語として)、広島市…またの名を「平和都市ヒロシマ」。“世界で唯一の被曝国家”、“過ちは繰り返しませぬから”、と毎年8月にこの国では重苦しい“贖罪”の言葉が連なる。一億総懺悔、敗戦の傷、人類史上初めて原子爆弾が落とされた街…さて今年は広島が地元の岸田首相の意向が色濃く反映されたせいか、2023年5月に「広島G7サミット」が行われる予定だそうですが…
今を遡って2011年10月…我々取材班は山陽新幹線に乗って広島駅に辿り着いていた。はるばる東京から新幹線をケツが痛くなるまで乗り続けた(のぞみでも4時間近く掛かる)挙げ句、広島まで来て見たかった街並みが色々とあったのだ。日本のどの都市でも「戦後」という要素は街並みの変遷に大きな影響をもたらしているが、それが「原爆が落とされた」という特殊な経験を経た広島にとっては、殊更その傾向が強まるからだ。
ともかく東京からの長い移動で腹が減ったので駅ビル構内で飯を食おうと思ったが見事にお好み焼き屋しかなくて笑ってしまった。お好み焼きは広島風か大阪風かと議題に上がる事が多いがお好み焼きに関しては広島人の方が思い入れが強いようだ。
腹ごしらえも終えた所で街並み拝見。広島駅前から広島市の中心市街地へ行くには目の前にある広電こと「広島電鉄本線」の路面電車に例外なく乗る事になるが、その前にまず見ておきたいのが広島駅周辺にある全国屈指のレベルを誇っていた「戦後のドサクサ」的物件である。
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