【中央区ブランド】異様な荒廃ぶりを見せていた「湊二丁目の地上げ跡」がその後どうなったか【選ばれし民の街】
昔々、東京が江戸と呼ばれていた頃から、こちとらお江戸の中心でい!とチャキチャキのプライド丸出しで粋がる下町気質が隠せない「東京都中央区」の方々が、昨今大阪府市の議員等で作られている法定協議会がいわゆる“大阪都構想”の上で大阪市域を4つの特区に再編するにあたって、そのうちの新区名の一つを既存の大阪市中央区と同じ「中央区」に決めた事に噛み付いている。大阪府市に向けて名称の再考を求める文書を送付、それによると「70年掛けて作り上げてきた中央区ブランドが崩れる」んだと。
銀座、日本橋…世界の一流ブランドと日本中の一流企業のオフィスが集まる一流の街、そう我々中央区民こそが一流なのですよ、我々こそが「中央」を名乗る権利があるのだといわんばかりの“傲り”が見え隠れするようで、お前ら元々「東側の下町」だろうが!と、なんともモヤモヤした感情が湧いてきて胸のつかえる思いがしてならないので、今回はそんな「東京都中央区」の不都合な裏の顔とも言える、古臭い下町がバブル期の地上げ攻撃に遭って丸ごと廃墟と化し惨めな姿を長年晒していた、八丁堀駅近くの「湊二丁目東地区」の最近の姿をお届けするとしよう。
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