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【差別と逆境】満州帰りだった少年時代の赤塚不二夫が暮らした街…奈良県「大和郡山市」の“路地”を訪ねて

どんな人間でも生まれ育った環境によって理不尽な差別を受ける経験というものがある。海外ではよくある肌の色による人種差別、日本で言うところの身分制度の名残りから生じた部落差別、そうした差別で心が傷つけられて云々…という話は古今東西耳にするものだが、そんな“逆境”をむしろバネにして世の中でのし上がっていく人間だっている。

ボクの満州―漫画家たちの敗戦体験 (赤塚不二夫 著)

とりわけ当方が印象に残っているのが漫画家の赤塚不二夫(1935-2008)だ。昭和10(1935)年に満州(現在の中華人民共和国北京市密雲県古北口)に生まれ、敗戦後に命からがら日本に戻ってきて、母親の故郷である奈良県大和郡山市(当時の奈良県生駒郡矢田村)で暮らしていた事がある。その“満州帰り”の暮らしの最中、現地住民に露骨な差別を受けたと赤塚は回顧している。

終戦直後の日本国内には沢山の引揚者が着の身着のままで祖国に辿り着いては糊口を凌いで苦しい生活を強いられていた。しかし彼らは純日本人であろうと引揚者というだけで「外国人同然、非国民」などと容赦なく差別の対象にもされていたのだ。

大和郡山市の西部を流れる富雄川です

その話を聞いて、一度現地に訪問してみたいと思っていた。場所はJR大和路線大和小泉駅から北西に2キロくらいのところである。住所の上では大和郡山市にあたるわけだが、郡山城がある市街地からはやや外れている。大和川支流である富雄川を跨いだ西側、奈良盆地と隣接する生駒市・生駒郡平群町との間に連なる矢田丘陵を背後にひかえた一帯となる。

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