日記: 不可解参(狂)に行きました。
上京して良かったと思いました。楽しかったです。
前日の夜
緊張して全然眠れず。今迄のライブならば緊張するのは開演前あたりなのだが、今回、初の花譜ライブ現地参戦、さらには、初の音楽ライブ現地参戦ということで、修学旅行の前夜のような異様な緊張に襲われる。深夜0時をすぎても部屋をうろうろしたりTwitterを見たりするのを止められず、ようし流石に寝ようと布団に入ったところで荷物の準備を全然していないことに気がついた。
緊張するとえずくタイプなのでひたすら部屋の中で一人、おえっおえっと繰り返した。ちょっと涙が出た。結局寝られたのは午前2時ごろ。
開場前
起床
2週間ほど続いていた睡眠習慣の破滅(参考:8月20日のツイート)を無理やり抑え、無事、当日の午前7時45分ごろ起床することに成功。夢は見ず。午後4時とかに起床することを繰り返していたので、朝のあたたかい光と共に覚醒する心地よさを久々に味わった。これが、『生命』か……。
武道館へ
物販開始の少し前に到着。既に途轍もない数の人間が武道館に集結していた。まるで夏祭りみたいだ、と思ったが、いや実際に夏祭りのようなものであったかと納得した。
やさしく暖かかった太陽光線はもはや殺人光線と化し、こちらの細胞を隅から隅まで破壊し尽くさんと、容赦無く電磁波を浴びせてくる。こちらの防御策としては、ポカリスウェットを飲みながら、雲が庇ってくれるのを祈ることだけ。日傘を持っていなかったことをこれほど後悔したことはない。
一時間半ほど並んで望みの品(パンフレット等)と夏はコレ!桜味アイスクリーム***うまい!***花譜印アイスクリーム=不可解な季節感=おいおい!さくら味って!季節感のさくらんかよ!ってね!アイスクリームを入手。この環境で冷たいものを食えるのは普通にありがたかった。(今になって考えればこんなクソ朝っぱらから並ばなくても余裕で入手できた筈)
その後、ヤクザみたいな風貌のオタク達と一緒にカレーを食った。気分は債務者。「ゴジラS.P(小説版)」が花譜に対するらぷらすの存在を考えるうえでの副読本になるのだと主張したが軽くあしらわれた。そもそも誰も読んでいない。
ゲルハルト・リヒター展
午後2時半。ヤクザと別れ、時間があったのですぐそこにある東京国立近代美術館に行く。ちょうどゲルハルト・リヒター展が開催されていたので見てみることにした。
展示会場にでっかいグレイの鏡が置いてあったり、そしてそのグレイの鏡が「グレイの鏡」という作品だったりした。覗き込んでみて、さすがにそろそろ髪を切らなくてはならんなと思った。同じ部屋にあった「ビルケナウ」はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で隠し撮りされた写真の描き写しを完全に上書きして描かれた抽象画である。それをさらに「グレイの鏡」を通じて見ていると、自分が何を「見て」いるのか混乱した。鏡なのか、絵なのか、その下の絵なのか、その元となった写真なのか、そこに映された風景なのか、それとも。
「見る」とは何か? そういうことを主題にした作家であるらしい。
花譜を「見て」いても同じ気分になることがあるなと連想した。「花譜の全体」から次々と視点が絞られて、遂に「花譜のオリジン」からまたその内面に至るまでの、どの層を私は見ているのか、見ていると思っているのか、見ていると思わされているのか、見ていることにしているのか。ときどき自分を疑う。
これは雑にすぎるコジツケかもしれないけれども。
開場
再び武道館。そこらへんに見知ったオタクがいないかと見渡してみるが、そもそも私が顔を知っているオタクは片手の指に収まるかどうかという程度しかいない。
あまりにも人間が多いものだからいったん離れた場所で待機。少し減った頃を見計らって単身、突撃した。結果、午後5時40分ごろ着席。隣に座っていた金髪の人が、「お、やっと来た」と言っていた。私と反対側の隣の人に言ったのだと思っていたが、もしかすると私に話しかけていたのかも知らん。だとすると無視した格好になって申し訳なかったなと今思った。
前日夜から続き、ゲルハルト・リヒター展のあたりでは収まりつつあった緊張はここにきてピークに達する。心臓は激しく打ち、指は震え、思考は回らなくなる。昨晩の吐き気も再来する。
ひとつ前の列に座っていた少女が普通にパンフレットを開封して読んでいた。正気か?
不可解参(狂)
(そんなに記憶力が良い方ではない。パンフレットに載っているSET LISTを参照して思い出しながら書く。間違いを書くかも知らん。)
午後6時。例によって豪華なオープニング映像とともに開演した。気分が高まる。
「魔女」が始まった瞬間、爆音! 爆音?! 爆音!!
今までヘッドホンやイヤホンで音楽を聞いていた私はここに至り、音楽は「耳で聴く」だけのものではなかったと思い知らされることになった。花譜の歌声が、バンドメンバーの演奏が、(どこにあったのか知らん)スピーカーから放出され、日本武道館の空気中を伝わっていく。気がつけば地面すら揺れていた。座席が震えていた。私の全身の骨という骨、肉という肉を伝って、ひたすら「音」が流入してくる!
花譜が所属するグループであるV.W.Pは度々、「音楽は魔法だ」と主張する。いくつかの意味が塗り込まれているだろうその言明の妥当性はここでは議論しないが、私は少なくとも、これに関する恐るべき、しかし当然に既知の事実を、知識としてでなく経験として納得させられた。すなわち、「音楽は圧力だ」ということ。音は定義上、媒質中を伝わる疎密波のことである。要するに、圧力の変動が空気や水や鉄板を通じて拡散する現象のことである。私は全方位から文字通りに叩きつける暴力的なまでの「音」に恐怖した!
しかも、これは不意に頭上を通過した電車の轟音だとか、きったねえ街を走り回るきったねえ暴走族の騒音だとかいうものではない。花譜の歌だ。花譜の音楽だ。「魔女」、「畢生よ」、「夜が降り止む前に」────MVを何度も何度も見返し、歌詞の意味を考え、今までに何十回と聴いてきたハズだった花譜の歌が今、ライブアレンジも相まって、衝撃的な爆音と化して私に殺到していた。この曲たちと共に過ごした時間や、この曲に込められた(私が勝手に込めた)思いが、心臓の奥から引き摺り出され、血流に乗って私の全身に充填させられていく。
視線を巡らせば、規則正しく色を変え、明滅するペンライトの群れが、観客の腕に乗って、音楽のリズムに乗って、まるで一つの生命体が脈動するかの如くにうねり回っている。なるほどな、と私は思った。音楽ライブに参加した人間が口を揃えて一体感がどうとか言うのは、こういうことだったか。そして私もまた、この巨大な生物のひとつの細胞として活動することを得ていた。そのなんと光栄なことか!
ここで私が書いたようなことは、すでに何度も音楽ライブを現地で体験してきたような人にとっては至極当然当たり前、今更衝撃を受けるまでもないことかもしらん。しかしこれは私にとり、曲がりなりにも18年間生きて、そして培ってきた「常識」が破綻して吹っ飛んでいく瞬間だった。「常識というものは、18歳までに習得した先入観のコレクションである」と言ったのは誰だったか。これは、私の過去が、先入観のコレクションが塗りつぶされていく瞬間だった。私は、初めて浴びるこの狂気の祭典に取り囲まれ、始まりからほとんど正気を失い、ギャアと叫んで柵を乗り越え、2階席から飛び降りようかという心であった。
顔をステージに向ける。そこには花譜がいた。3階建ての特徴的な舞台。立体的に配置されたバンドメンバーたち。その中に花譜はいた。いた! 「いる」という感覚は、私が今まで、花譜にずっと覚えてきた感覚だ。
花譜は存在する。花譜は生きている。花譜はただ端的に人間である。MVや喋る動画、実景に合成された画像、Twitter、配信、ラジオ、そしてライブで、花譜は(ある意味で)確かにそこに「存在」していることが「立証」され続けていた。確かに花譜は「不可解」で「どこにもいない」存在かもしれないが、確かな実感を持って大地を踏み締めるただ一人の人間でもあるという確信を、私は捨てたことはなかった。
しかし今迄私は、その光景を配信やブルーレイの録画でしか観られていなかった。それが、その年齢ゆえに自分というものの境界が不明になっているという印象もあった花譜は、いまや確信と共に、そこに「存在」した。ステージに踊る花譜は、私の思いを裏付け、ただそこに在った。ような気がした。気のせいかもしれないけれど、そんなことは、知らん。
かように花譜の実在を示すことのできる、想像を絶する創意工夫と技術の高さには、舌を巻くばかりだ。左右上方のモニターには実写合成によってほぼ遅延なしに、花譜が武道館のステージに立つ様子が映し出されていた。これが配信で流されている版なのかしら? いい時代になったもんだな。いやマジで。
「命に嫌われている」カバーを含む連鎖や、始まりの曲、と銘打っての「糸」のあたりに至ると、その曲毎に代表される花譜の今までの歩みが脳内に展開され、さながら今までの花譜の「総集編」であり、かつその「進化系」のようであるなと感じた。なるほど花譜のワンマンライブが「劇場版・花譜」と(私だけによって)称されるのも納得である。その曲に結びついた私の具体的体験にすら花譜が直接侵攻してきたような思いがした。ふだんMVを観ても音源を聴いてもそんな気分にまではならないから、これもライブという異常な空間の為す業なんだろう。多分。
そういう意味で最も私の心に残るのは「私論理」である。2019年末〜2020年始にかけて開催された「花譜展」のテーマソングであるこの曲を、私が初めて聞いたのは、他ならぬ「花譜展」の会場でのことだった。当時、高校一年生。花譜を知ってからおよそ半年。いまこれに行かないでどうするのだと、関ヶ原から西に数百キロメートルの地点で、虚無譲りの無鉄砲を発揮して私は決心した。終わる気配の見えない冬の課題を掴んで単身、電車に飛び乗って、東京は渋谷、3.5Dを目指した。(実際はついでに特撮のD.N.A.展とかゴジラヘッドとかも観に行ったのだけれど)
渋谷駅で降り、冗談みたいな人流に押し流され、何度も道に迷い、何度も野宿を覚悟しながら、ついに見つけた「花譜展」の文字。壁に書かれた「KAF」と「RIM」のサイン。壁に掛かって目まぐるしく変わるファンアート展示。花譜からのメッセージ。「私論理」のMV。
初めて「空間」として浴びる「花譜」に恐れ慄いた当時の私の詳細な心境は、もはやどこかのあっち側に流れ去ってしまっているから推定するしかない。それでも覚えているのは、あの会場の効きすぎの暖房。日本武道館の熱気が、あの暑さと重なって私は、なんだかあの日に引き戻されたように思った。そういえばまあまあの期間、花譜を追ってきたけれども、明確に「花譜の空間」に入るのはあのとき以来だったか。あの頃の私と今の私は違う人間だけれども、いざというとき感じることは一緒なのかもしれない。
緊張からくる吐き気は消滅していた。いつの間にか。
その後、可不やたなか、大森靖子といった面々を召喚しては歌っていく。花譜の歌声がもつ適応力をまじまじと感じる。「化孵化」「流線形メーデー」では花譜と可不との歌声の協調性の高さに改めて驚かされた! それは可不の出自からして当たり前かもしれないが。「イマジナリーフレンド」は、大森靖子のモーレツな力に全てが食い尽くされるのじゃないかとはじめ危惧したが、結局は花譜もモーレツと化し、二人でがっぷり四つの大相撲を成立させていた(と思った)。花譜と大森靖子とダンサーがステージ上で各々モーレツとなり、視線が忙しい。
こうして座席に縛られたまま問答無用に連続でしばき回されるのは映画館っぽいな、と思った。配信だと途中で止めるのも自由なのだし。
DJパートやSINSEKAI STUDIOのメンツとのコラボ等を経て、V.W.Pが出現。謎の寸劇が3DCGアニメーションとして開始されたのはかなり愉快だった。モニターからは遠い席だったので細部まで観ることができたわけではないが、V.W.Pメンバーの3Dモデルを使ってああいうシッカリした3DCGアニメが作られるのは率直に嬉しい。私は3DCGアニメが好きなので。(細かい台詞は忘れたが、)「あと120分だって!」「えーーーッ!」とか言ってカメラが車体から上空に向かってすっ飛んでいくシーンはちょっと小っ恥ずかしくなるくらいに「幕間の茶番劇」だった。こういう調子で30分くらいのアニメ作って公開してくれないかしらん? けっこう需要あると思うんだ。……………………
……………………おい! 誰だお前! 名を名乗れ! な〜に「みなさんご存知」みたいなツラしてるんだ! 名を名乗れ! 名を名乗れ! 敬語を使え! 敬語を使え! いま貴様が対面しているのがどなたらと心得るか! 何が「お嬢様方」じゃ! 頭が高いぞ! 頭がァ! なれなれしい口を叩くんじゃねえ! 誰だお前! 誰だお前! いや本当に誰なんだよお前! いや、本当に、あの、君は………………誰なの………………? え? らぷ、え? え? え?
え?
ここに茶番劇のストーリーを完全無視した理芽が乱入していよいよ私の脳は混乱を極める。君は勉強をしろ。
続いて、「V.W.Pメドレー」と「共鳴」の二つ。V.W.Pの関与したパートは全てが愉快で、気分を高揚させるものばかりだった。V.W.Pは普段から重苦しいテーマを比較的シリアスに歌うことが多い(よな?)。そんなV.W.Pを召喚するにあたってこの選曲をしたのは、まさにこの「楽しいお祭り」を盛り上げるためか。いつか誰かが言っていたのを覚えているが、花譜に対しての(あくまで「花譜に対しての」)V.W.Pは、デビューからしばらく「孤独」に歌うことの多かった花譜が得た「仲間」、換言して「友人」のような存在だという(この二つの用語を分離して考える向きもあるがここでは考慮しない)。実際、V.W.Pが暴れる第三部は「FRIENDS」という題名を戴く。パンフレットによると。
そういう思いで彼女らの会話や、楽しげなダンス、そして合唱を聴くと、なるほど感慨深い。私も友人をたくさん持とう。手遅れかも知らんけれど。
そして一人に戻ってからはもう圧巻だった。「過去を喰らう」は、私が初めて知った花譜の曲だ。そこから続く「海に化ける」も含めて、最も思い入れの深い花譜オリジナル楽曲たちに含まれる。今まで何十回、何百回と聴いてきたし、ライブ配信でも何度となく聴いた。私にとってある意味で、これは花譜の代表曲といえる。
「否応なく大人になる」という事実に対するわりと普遍的な恐怖、拒否、拒絶を歌ったのが「過去を喰らう」だと思う。まさに「15歳的」であるというか、ちょうど15歳だった頃、友人が「大人になるのが怖い」としきりに言ったのを覚えている。
そんな曲で始まる三部作は、かつての15歳が18歳(19歳)になるタイミングで完結した。15歳-->18歳という年齢の上昇に伴って一般に、人間は大きく変化する。らしい。まさにその変化や、伴って生じる葛藤を歌った3曲が、ちょうど15-->18歳の花譜によってリアルタイムに間を開けて発表されたというところに、この3部作の持つ意味があるのじゃないかと思う。
2019年7月に私は、15歳で「過去を喰らう」を初めて聴き、なんやかんやあって2022年8月に18歳で武道館に来、「人を気取る」を聴くに至った(「海に化ける」は公開された時期に私が猛烈な多忙に襲われていたこともあり、リアルタイムでは聴けなかったが)。
今の私は、あの頃の私とはだいぶ違う。大学生になった自分など、想像すらできなかった。悩みの幾らかは消え、幾らかは残り、新しいのも幾らか生じた。花譜もそうだったのかどうかは花譜しか知らないし、他人が推察してあれこれすることは無理だ。
しかし花譜がこの3曲を歌い上げることで、今の私のような類の者に「寄り添」うことができたのなら。これらの曲を順々に、時間をおいて聴くことのできた者が、自分の人生を見つめ直し、必要に応じて新しい方向を向くキッカケとなったのなら。少なくとも自分について考えるキッカケとなったのなら。そんなに楽しいことはないのじゃないかと思う。
18歳。子供と呼ばれるには高すぎ、大人と呼ばれるには若すぎる年齢だ。それでもそろそろいい加減、自分の足で地面を踏み締め、前を向いて、堂々と歩くべき年齢だろう。悩みを抱えているとしても。
そうあれと花譜に命じられた気がしたので、その通りにしたいと思った。
楽曲「不可解」も三部作となって「完結」する。そして最終曲。
画面に表示されていた文字列「virtual singer KAF」が「virtual singer songwriter KAF」になったときには変な声が出た。こひゅっ、と。自分が削っていたものの正体に気がついたときのちいかわみたいな声。
マイディア 作詞・作曲:花譜。
なんということか! これこそ私の求めていたものだ!
私は花譜というコンテンツを、次のような比喩を使って考えることがある。
「花譜という高い塔が建っていて、その天辺から様々な資源が供給されている。各々の建築家たちはその資源を使って周辺の土地に好き好きの建物を建てる。結果、塔を中心として同心円状に、無鉄砲な街が広がっていく」
「資源」とは花譜の歌声や、花譜という人間の置かれた状況など。こうして広がっていく街が、「花譜というコンテンツ」の全体を成す。
これが不完全なモデル化であることは認めるが、私は花譜に、この「建築家」の側にも回ってほしいとずっと思ってきた。花譜という媒体を使い、様々な解釈で様々な作品が作られていくのは楽しい(「組曲」はその代表的な試みだったと思う)が、花譜自身が、花譜を使って、どんな作品を作るのかということに私は強い興味を抱いていた。花譜の内に秘められた、花譜でしかあり得ない思いを、見せてほしいと思っていた。
不定期更新のInstagramでその言葉を見ることはできるが、やっぱり「楽曲」として表現するときに、花譜が何を、どんな言葉で、どうやって表すのかということをずっと知りたかった。花譜のメイン・コンテンツはその歌唱だから。
そうして花譜が歌った「マイディア」は、恥ずかしくなるくらいストレートで、びっくりするほど優しい歌だった。先の6曲で爆発しそうになった心が、じんわり溶けていくような。
花譜という存在でいること。花譜という存在でいることを知られること。応援されること。知ること。応援すること。その全部に対する感動、感謝、戸惑い、恐怖。花譜がこの曲に載せた思いが何であるかは、例によって花譜以外には知り得ない。しかし、自分にかかわる全部を肯定するような、最終的に前向きな意志を、私は確かに感じた。
こうにも美しい歌を聴かされて結局、多言は不要かと思う。花譜がこの歌を作り、そして歌ってくれた。この事実に対しただ一言、「すばらしい」と呟くに留まる。
花譜の口からも説明されたが、このライブのタイトルは「不可解参(狂) CRAZY FOR YOU」だった。あなたに夢中。あなたにぞっこん。あなたに首ったけ。
なるほど「狂」、つまりCRAZY、MADという単語にふさわしいこれはライブだった。本当に、来て良かったと思った。
(参考:自分が削っていたものの正体に気がついたちいかわ)
帰路
ほとんどボーゼンとしていた。脚が痛かった。自分が何を観たのか整理がつかなかった。整理をつけようとも思わなかった。ただ素晴らしいものを観た、と思った。花譜を好きでいて良かったと思った。ZONeを受け取り、スタッフに誘導されるままに道を歩き、電車に乗って帰った。夜だった。
翌朝
午前11時に目が覚めた。自室の布団の上で、横向きに寝ていた。翌日が期末考査なのに一切勉強をしていなかったという夢を見ていた。ちょっと嫌な気分だった。脚の痛みは嘘みたいに消えていた。窓からは、すでに朝のそれではない強さの太陽光が注いでいた。部屋は静かだった。鳥のさえずりを除いて、ほんの少しの音もしなかった。
何もかも全部が夢だったのじゃないかと思った。
喉が渇いていた。ちょっと伸びをしてから、水を飲むためにキッチンに行き、コップを取る。ふと網棚を見ると、綺麗に洗われたアイスのカップが、ひっくり返って乾いていた。
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