ラージャマウリ監督のドキュメンタリー『モダン・マスターズ』を見たんだ
『モダン・マスターズ』を見た!
友人に進められて『RRR』を見てハマり、『バーフバリ』のカッコよさに心奪われ、マヒシュマティ国民になった、ごく普通のベテラン女子(なんならお母さん)な私。
ラージャマウリ監督のドキュメンタリーがNetflixで独占公開されると知り、いてもたってもいられず、「はじめてのネトフリ♡」ということで、Netflixに加入して、『モダン・マスターズ』を見ました。
今回は、その感想文です。
画的な美しさを優先する監督
今回、ラージャマウリ監督のドキュメンタリーを見て、驚いたことは、監督は、時間の流れや物理的に辻褄が合わなくても、画的に美しいことを優先する(ざっくりした意訳)ということ。
例えば、さっきまで右にあったアイテムが、次のカットでは左にあったりするのは、現実ではありえないこと=変なのだけれど、画的に美しいなら、それの方がいいよね☆というスタンス。連続性というルールを無視しても、観客が気づかないほど、カッコイイ映画を作る方が大切なんだ!という心意気らしいのです。
ツッコミどころは全部メタファーだと思ってた
いえね、日本のラージャマウリ監督のファンは、『RRR』も『バーフバリ』も、ツッコミどころの多い作品だと言いながら、愛してることは知っていて、私も、ややおおざっぱかもしれないインド的な雰囲気も含めて、ラージャマウリ作品を愛しているのだけど、私は、「監督のツッコミどころ演出は、全部メタファーだ。隠された意味がある!」と思っておったのです。
ラーマがベッドから落ちた方向にも意味がある!(メタファーになってると思うんだ)
たとえば、ビームが通称アニマルアタック(マッリを救出するために、総督邸に乗り込む、映画中盤のハイライト)に挑む前に、兄貴(ラーマ)に自分の本当の名前や目的を告白して、部屋から去るシーン。
ラーマは、毒蛇(マルオアマガサ~)の毒にやられて瀕死。しかし、ビームによるエリクサー並みの薬草の力でなんとか一命はとりとめる。だが、依然として意識が朦朧として、危険な状態のラーマは、ビームの後を追おうとするが、ベッドから落下する・・・ならば、当然、ラーマはビームの去って行った方向(扉のある側)に落下しないと変なのだけど、実際は、扉とは反対側にある、積み重なった本の中に落下!(盛大に本の山をぶちまける兄貴は、それはもうかっこいいというか、ボロボロのお姿ゆえに、切なくきゅんとなる場面なのですが…)これ、メタファーと思うのです。
つまり、ラーマが〈不自然な体の動き〉で、英語の書籍群に突っ込んだのは、ビームに対する友情や信愛の情という〈自然な感情の動き〉を抑えて、英語の世界(イギリス文化=イギリス軍)の中に戻り、父との約束を果たすことを選んだラーマの内面の動きのあらわれなのだ―――!!
と思っていました・・・。
ええ。私は、本気でそのよう思ってましたので、監督が、「画的な良さ」を優先しただけだったと知り、違ったんかーーーい!!となりました(笑)
ただね☆もし本当に、ラージャマウリ監督が、画的なことのみを考えて、上記のシーンやら、無限に取り出せる矢筒やらを作ってたとしたら、むしろ、そっちの方が真の天才というか、ガラスの仮面の北島マヤ的な天性の才能ということで、恐ろしい子っ(白目)ってなるな♡と思ったりしています。
なので、ますます「ラージャマウリ監督ジャイホ―!」ということで、早く新作が出るといいなぁと思うのでした。
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「モダン・マスターズ」では、ラージャマウリ監督の作品で衣装を担当されている奥様との出会いやプロポーズ等のエピソードも聞くことができます♡(二人の恋愛エピソードとしてだけでなく、監督の理想とする女性像が垣間見える気がして、素敵なお話でした。)『RRR』や『バーフバリ』、ラージャマウリ監督のファンの方なら、きっと、楽しめるドキュメンタリーだと思います。来日された時にインタビュー取材された映像も多いので、あ、ここ日本だ(銀座かな?)みたいな目線で見るのも面白いと思います^^