好きな鬱漫画①『おかえりアリス』押見修造

こんにちは、蜂です。

突然ですが漫画が大好きな私の中で、個人的な精神の支えになっているのが私が勝手に呼称しているジャンル「鬱漫画」です。ある電子漫画サイトの方では既に鬱漫画という呼称を当然のごとく使っていらっしゃるので、私が認知していないだけで既に一般に通用する言葉なのだろうか、とも思います。

私の考える鬱漫画の定義とは「(主人公の自覚に拘らず)何らかの原因で人生を精神的・肉体的に破綻させる(ないし破綻させかける)ことになる物語を基盤に置いた漫画作品」という曖昧な定義に留まります。実際のところ、何が人にとって「鬱」な感情を想起させるかは場合によるので、私自身も完全な定義をあまり決めつけたくないというのもあります。

いずれにせよ、好きな鬱漫画について語りたいという考えに変わりはないのでそろそろ本題に移らせていただきます。今回の作品は、著名な「鬱漫画家」押見修造氏の作品『おかえりアリス』(講談社)です。

『おかえりアリス』(講談社)

※この記事には『おかえりアリス』の内容に関するネタバレとも言える描写があります、本作品を未読の方はご注意ください。またこの記事には性的な描写があります、苦手な方はご注意ください


本作のあらすじ


簡単にあらすじについて説明させていただきます。

自己肯定感の低い少年亀川洋平洋ちゃん)と、魅力的な美少女三谷結衣、爽やかな印象の好青年室田圭圭ちゃん)は、幼稚園児時代からの幼馴染で三人は中学校でも同じテニス部に所属し練習に励んでいた。

洋ちゃんは女性的な身体つきになった三谷に性的な感情を抱くようになり、自慰行為の際に彼女の姿を思い描くようになる。しかし、ある日校舎の影で接吻を交わす三谷と圭ちゃんを目撃してしまい、三人の関係性は音を立てて瞬く間に崩れ落ちていく。その後、圭ちゃんは突然転校。洋ちゃんは三谷に対して複雑な感情を抱くようになり、二人は上手く話せなくなってしまう。

高校進学初日、洋ちゃんは三谷と恋愛関係を持ちたいと望むようになり積極的に彼女に話しかけようとする。その途端、金髪の美少女が馴れ馴れしく洋ちゃんに腕を絡ませる。実はその正体は圭ちゃんだった。圭ちゃんは同級生に対し「男は降りた」として女装に関して口出しをしないように忠告する。

次第に三人の関係は性的尊厳と倒錯の欲望にまみれた泥沼と化していく。

本作の好きなポイント


私がこの作品に出会ったのは中学二年生の夏頃でした。

小学校高学年頃は実感もなく性的な話題について考えていましたが、中学生にもなると本格的に性的欲望に悩まされるようになりました。男子たるもの性欲ありきで当然のような風潮が根強く蔓延る現代においては、何となく自慰行為に手を出すことさえ当然のことのような感じでした。

実際に精通したときの感想は、死ぬほど気持ちが悪い。

自分が男性である(つまりは生物学的に誰かを妊娠させることができる)という重大な事実に恐怖と自己嫌悪を感じるようになっていた時期に、何のきっかけでか『おかえりアリス』を読み始めました。幸か不幸か。


本作品で取り上げられる題材は「性的自尊心」です。

主人公ともいえる洋ちゃんは、自慰行為で性欲を満たす内気な男子です。誰の眼もない場所で怯えながら性的妄想を膨らませていく一方で、いざ性行為に及ぼうとしても勃起できず男としての性的尊厳を傷つけられます。

三谷は、洋ちゃんからの好意につけこみ女としての性的自尊心を獲得していましたが、「男らしい圭ちゃん」に告白して断られた挙げ句、高校で女装をし始めた圭ちゃんに性的感情を覚える洋ちゃんに危機感を感じるようになります。彼女は自分の女としての魅力を主張しようと他人を利用し始めます。

最大の謎でもある圭ちゃんは、この「性的自尊心」の競争から逃げ出そうと女装をし始めた人物であるとも言えます。女装をすることで「男」から逃れようと試みますが、結局は「女」という性を借りることでしか自分らしさを獲得できないという最大の矛盾に気づき苦悩していきます。


私自身もまた、何処かしら圭ちゃんはみたいな人間だなと思っています。
自分の性欲や汚れた感情に強い嫌悪感を抱くようになり、最終的に女性的になりたいと考えるようになりました。しかし、結局は圭ちゃんと同じであり男を捨てることで現在の苦悩から脱却しようとするその場凌ぎの手段ではないのかという自覚が芽生えた瞬間もありました。しかし、世間から問答無用で押しつけられる性的価値観に服従するのはうんざりだったのも確かです。

女性の身体に対して性的感情を抱くのはどうしようもない問題だと割り切ってはいます。性欲を完全に遮断することは難しいですし、実質不可能に相違ないと考えるようになりました。しかし私は限りなく「女性になりたい」という感情を強く実感するようになりました。それがその場凌ぎの暫定的な解決策に過ぎなかったとしても。洋ちゃんを誘惑するとかの行動に出ずとも、性的自尊心の競争に巻き込まれたくないという感覚は圭ちゃんのそれと確かに一致するものがありました。だからこそこの漫画を軽んじたくない。そう思って最後まで読み切った時点で感じたのは、結局救いなんてないんだなあという実感でした。その最後はぜひご自身でお確かめください。

性からの解放とは何か

 
現代社会では男女間の性的同権が提唱されているものの、残念ながら男性が性的優位の立場に置かれがちな状況が発生します。ラノベにおける「無双する主人公」は多数の女性との肉体関係がお約束のようなものと化しており、ラッキースケベの対象は基本的に女性の胸部かスカートの中です。
自分がヲタクである以上、上記のような作品を娯楽として読む一方で、俯瞰的に自己の状態を観察していく中で様々な矛盾や奇妙なお約束への眼差しというのは一歩離れた場所に置かなければならないと思うようになりました。

『おかえりアリス』の世界で語られる「性からの解放」はあくまで三人の高校生の個人思想に起因する行動として描写されますが、根底にあるものは人間社会の虚構の中に監禁された人々の「不適合の自覚」だと思います。

欧米社会で提唱された性の五大構成要素である①生物学的性別セックス、②性自認ジェンダー、③性的志向セクシュアル、④恋愛的指向ロマンティック、⑤性表現エクスプレッション
私の中で整理すると①男性、②女性寄りではあるが基本的に決めていない、③女性の身体に性的感覚を感じるものの中性的なものへの志向が強い、④基本的に誰にでも感じる、⑤現時点では男性寄りだが個人的には女性服男子服関係なく着用したい、といった感じにまとめられます。

先程のあらすじの中で、圭ちゃんは「男を降りた」と発言していましたが、果たして彼は何を降りたのでしょうか。性表現からの解放だとしても、圭ちゃんは性表現を女性に切り替えただけであり「降りた」わけではなさそうな感じがします。物語の中で、洋ちゃんは「性欲の根源」として性器を切除しようと試みますが失敗します。彼は生物学的性別からの解放を望みましたが本当に身体の性別が「性欲の根源」なのでしょうか。三谷は自身の性的尊厳を保つためにセックスと恋愛を利用していきます。彼女は性の優越感に束縛されている感じがしますが本当に彼女は「不自由」なのでしょうか。

これらの疑問には適切な解答が存在せず、議論しようにも堂々巡りの内容となるはずです。「性からの解放」は存在しないのです。
何故なら私達が囚われてきた性という仮説的な論理は、結局は人類の先駆者により形成された虚像でしかないからです。虚構の中に監禁され「不適合」を自覚した私達は別の場所に逃げ場を探します。しかし、私達の目の前には先駆者によって開拓された別の「虚構」が広がっているだけ。誰かによって名付けられた地名を頼りに地図を辿って巡り合った別の世界で束の間の安息を得たとして、その場所に対する「不適合」を自覚してしまうと、また別の虚構へと逃げ出すしかない、その繰り返しです。嘘の世界から嘘の世界へと渡り歩くだけです。私達は結局、何処かの誰かが提唱した論理の枠組みの中で踊らされているだけに過ぎないのだと思います。

さわやかな漫画の印象

 
前述のような閉塞感に満ちた内容であるのにも関わらず、その絵柄は爽やかで美しい印象が描かれています。真っ白な朝陽を眼にしたとき、自然の美しい清々しさと憂鬱な一日の始まりに対する絶望感がこの絵の中に含まれているような気がする。あくまで個人的な意見に過ぎませんが。

絵柄に反して鬱々とした内容、という言い方は好みではありません。分かりやすく狂気じみた絵柄で暗い内容の作品を読むのは心理的に厳しい部分もあると思います。『おかえりアリス』は光と闇を混ぜ合わせて作り上げたような絵画的様相を帯びている、という感じです。なかなか適切な言葉が浮かんでこないのですが、要は世界の二面性を上手く映し出してるなと思います。

素晴らしいnote記事を見つけました


他に『おかえりアリス』について語っていらっしゃる方を探してみたところみつしまあかりさんという方のnote記事に出会い、的確な言語化が本当に秀逸で感動しました。私の記事よりこちらを読んでみてください。

自分が申し上げたいことを本当に綺麗に言語化してくださり、自分自身すっきりしました。読んだことのある方にも未読の方にも読んでほしい。

まとめになります

 
まとめとしては、本当におかえりなさいという感想です。
どういうことだろうと思われるかもしれませんが、どんな自分に対しても望まなかった自分に対してすら「おかえり」と言いたい限りです。
ぜひ『おかえりアリス』読んでみてください。

長文失礼しました。ここまで読んでくださりありがとうございました。



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