なぜ私は「今年の抱負」を重要視しているのか
こんにちは、きょうは「今年の抱負」についてです。
皆さんは決めていますでしょうか?「今年の抱負」
私は三年前から今年の抱負を考え、その一年間それを実行してきました。
結論から言うと、抱負のおかげでいろいろと貴重な経験が出来たと思うことが多いので良かった、のでおすすめです。
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私は日本人の典型的な保守的な思考の持ち主で、どこまでも変化を拒む性質があります。皆さんはどうでしょうか?
しかしこのままだと何も経験が積めないまま学生生活が終わってしまうのではないか?
そう思い大学一年の夏ごろ、初めて今年の抱負を作りました。
初めて考えた抱負は、「常に目新しい方を選択する」というものです。
このような抱負にした理由は、祖父母との会話が印象に残っていたのがきっかけでした。それは一年以上前の事をさも一か月前の事のように話していたからです。
まあいわゆる、お年寄りあるあるですね。
「年を取るほど一年が早く感じる」現象、みなさんも聞いたことがあると思います
調べてみればこれは『新奇性』の減少から来るものらしいです。
例えば50歳と10歳の人がいて、彼らの過ごした年月は5倍の差があります。簡単に考えれば、50歳の方は10歳の方より5倍の経験を積んでいることになります。
今日初めて見た花、あそこにいた虫、先生から聞いたはなし 10歳にはどれも新鮮に映る一方で、50歳の人にとっては目もくれないような話題、かもしれません。
実際に最後に道端に咲いている花に目をくれたのはいつだろうという人もいるでしょうし、虫なんて気持ち悪いから近づきたくもないという人もいるでしょう
しかし50歳の人にとっては、これらの行動すべてが、日々の時間経過を加速させている、と
つまりはそういうことらしいのです。
難しく言うと「新奇性による心理的時間の縮小の抑制」です
更に具体的に日常的な事柄に落とし込むと、要はこういうことです。
『私はいつもマックでダブチを食べている。今日もマックに来た。しかし今年の抱負にのっとって今日はビッグマックを食べよう』
そんな小さい事?と思われてしまうかもしれないですが、これがまたいいんですよ。
マックとベトナム料理屋を見かけた際、どちらに入るかというと、もちろんベトナム料理屋なわけです。
ベトナム料理屋にてオーダーを考えていると、「フォー」と「カエルとバナナの炒め物」が目に入りました。もちろんオーダーするのは「カエルとバナナの炒め物」です。
どうですか?ワクワクしませんか?私はすごいワクワクしました。
何でもない日々の中に、『小学生の時に行った遠足』のようなワクワクであふれているわけですから。
私は、これまでずっと保守的に生きてきたので、意図的に目新しいものに触れる機会はほとんどありませんでした。
こういった日々を過ごしていると「なんかyoutuberみたいだな~」と思います。
あの人たちは再生数を稼ぐために、日々、目新しいものにチャレンジするわけですが、それでも彼らの生活は楽しそうに見えます。だからこそ私たちはそういった動画を再生してしまう。
youtuberをやるわけではないですが、日々そういったワクワクに囲まれながら生活するというのも悪くないと、私はそう思っています。
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私と同じで、かなり保守的に生きてきた方はそう少なくないはずです。
皆さんもこれまで続けてきた生活があるでしょうから、いきなり今日からものすごい挑戦はできないと思います。
ですが小さい挑戦から始めてみてはどうでしょうか。
スタバのほうがおいしいからと、毎回スタバに行っているなら、久々にドトールに行ってみる、とか
いつも前を通るあの服屋は、正直自分の好みではないから一回も入ってないけど、試しに入ってみる、とか
もちろんすべてうまくいくわけではないですし、失敗もありますが
私は「新奇性のためだ」と割り切っています。
ちなみに上で述べたように「新奇性による心理的時間の縮小の抑制」以外にも、以下のような事柄の解消にも役立つと感じています。
日々の生活になんとなく物足りなさを感じている
ないものねだりばかりで鬱々とする
インターネットを見ても自分が持っていないものを持っている人ばかりで嫉妬してしまう
そんな人にもぜひ、お勧めしたいです。
では