会社の忘年会が開催されなかったことについて、思うこと。
ある12月中旬における職場内の会話
自分「今年は、課の忘年会やらないんですか?」
上司「う〜ん。なんとなく、自分も忙しかったし、時期を逃しちゃったんだよね。」
自分「出張でお客さんが来るときは、飲んだりしましたけど、全体で飲んだのは、4月の歓迎会だけでした。なんか、最近、ボランティアで働いているくれている人との間が、ぎくしゃくしているのも、飲み会をやって懇親を深めていないせいではないかとも思うのです。昔はよく飲んでました。」
上司「そうかもしれないね。忘年会は間に合わないから、次に企画するとしたら、新年会かな?」
(結局、新年会もやらず・・)
自分は、26年間、今の職場で働いていますが、忘年会をやらなかった年は、初めてでした。
忘年会をやらないという明確な意思決定はなく、何となく、やらなかったという感じだ。
そして、誰もやろうと言わない。
本来ならば、係長の仕事なのだが、係長も気づいているのか、気づかないふりをしているのか、わからない。
確かに、飲み会をやるのは、ひと仕事だ。
日程の調整から、来る人数を予測し、店を選び、回覧で参加者を集い、あいさつの順番を決めて、二次会まで用意しなくてはならないときもある。
そして、やったところで、社内の成績が上がるわけではない。
でも、日本人は、昔から、「同じ釜の飯を食う」ことで、仲間意識を醸成してきたのだ。
もっと、掘り下げると、同じ火(🔥)を使った食べ物を食べると、仲間になると考えられていた。
つまり、一緒に食事を取り、仲間意識を醸成するというのは、縄文時代からの伝統なのだ。
だから、忘年会は、一年を振り返り、互いの労を労う意味でも、やらなくてはならないのだ。
自分が入社した頃の職場は、御用納めになると、午後からは仕事をしないで、雑巾がけなどの清掃をしていたものだ。
しかし、成果主義が採用されるようになった頃から、そういう風習もなくなってきた。
なんだか、さみしい。
家庭や学校、職場は、日本の伝統文化を引き継ぐ大事な場でもあるといのに・・。
段々と、こういうところから、日本の伝統文化が崩れていっているような気がする。
もう一度、日本人の心に、「共同体」(会社や家庭、地域)を大切にする心が戻ることを願っている。