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境界知能の特集をみて
先日、仕事を終えてリビングに降りて行ったら、NHKで境界知能の特集をしていた。私はテレビを見る習慣は無いのだけど、思わず最後まで見入ってしまった。所々で引用されていた当事者である木村汐里さんの文章に引き込まれてしまったから。
番組には木村さんご自身が出演していて、買い物の計算ができずに困っている様子などが放映されていたのだけど、一方でこんなに上手な文章が書ける。
もしかしてご両親のどちらかが代筆されたのかな?とおもったのだけど、スタジオでアナウンサーとお母さまと3人でお話されていたときに、ご自身の言葉で伝えたいことがあふれてくる様子に、ご本人が書いたんだなぁと。
大学生のころ2年だけ塾というか寺子屋を運営したことがある。家庭教師先のお子さんが定期テストで70人ごぼう抜きしたら、彼女のお友達も教えてくれと言い出した。別々には無理とまとめて教えたら、その兄弟姉妹や友達も通ってきたのだ。
なんせ年が5つか6つしか離れてないから、話は弾んだ。子供たちも遊びの延長感覚だったのだろう。毎月誰かが新しい子を連れて来るから、すぐに一人じゃ教えられない人数になって、好きに使って構わないという格安の古い小さな昭和の戸建てを借りて、友人や塾講師のバイト仲間、双子の弟に手伝ってもらいながらワチャワチャとみんなで勉強していた。
ある日、人づてに紹介されたと、知らない女性から「中3の息子に勉強を教えてくれないか?」と電話がかかってきた。受験まであと4、5か月のタイミングだった。
いいですよ、と安請け合いしたら、「実は平仮名が7文字書けない」という。平仮名が書けなくて、高校受験するの?と驚いたけれど、一度いいよ、と言った手前、会いもせずにやっぱりダメとは言えなくて来てもらった。
今だったらきっと病名がついて、専門の教育を受けられた気がするけれど、当時は特別支援のクラスは誰の目にも明らかな障害のある子だけに開かれていたようにおもう。発達障害や境界知能なんて言葉も知らなかった。
だから外では一言も話さないけれど、家では話すことができたこの少年は、ただ特定の平仮名が書けないおバカな子、友達付き合いのできない変わった子、静かで空気のような子として扱われていただけだった。成績表はオール1。先生からは高校は難しいと言われていた。
教えてすぐに国語と社会で点数を上げるのは厳しいとわかった。文字は読めるけれど、文章を書いたり、登場人物の気持ちを類推する能力、歴史や地理の用語を覚える能力は皆無だったから。(平仮名はボードを見れば写せた)
語順並べや空欄補充などパズル的な要素がある英語の方がずっと見込みがあった。英語・数学・理科に全振りしたら安定して7割以上取れるようになり、高校に進学した。同世代とは最後までひと言も口をきかなかったけれど、私たち講師とは話すようになった。ユーモアのある楽しい子だった。何より驚いたのは、目に映るものを写真のように正確に描く能力を持っていた。
合格後、お母さんから長い長いお礼の手紙をもらった。「塾」が「熟」というように漢字の間違えが幾つもあったけれど、どうにか息子を人並みに育てたいという思いがあふれていて、涙した。
ご両親は善良な方たちだった。ただ、平仮名を書けない子のために受験会場にひらがなボードを持ち込む許可を学校に取るということは、私たちが言うまで全く思いつきもしないようだった。困りごとの解決のために学校や行政に相談しようだなんて、そんなことできるんですか?みたいな。その分、なんとか息子が自立できるようにという愛情から、この少年に対して少し厳しいところがあった。頑張ればできるようになると、信じていたのだろう。
NHKの特集でも、木村さんのお母さんも娘が境界知能だとは思いもしなかったから、なぜできない?努力が足りないのでは?と、酷い言葉をかけてしまったと悔やんでいらした。木村さんの中学のころのノートには英単語や漢字がびっしり。何度も何度も練習した跡があった。努力で解決できる話ではないとそのノートが雄弁に語っていた。
あの少年も40代半ばだろうか。二十歳そこそこで無知だった私たちは、高校に行くのが本人の幸せと信じてサポートしてしまった。定型発達と同じ道を歩ませてしまったことで、かえって本人の生きづらさにつながっていたりしないだろうかと、ずっと気になっている。
もし彼が今、木村さんのように狭間で困っているのなら。社会福祉の支えが届いて欲しいと願わずにはいられない。