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江戸・明治に学ぶ、働く楽しみ(農業、この手で育てる)

江戸・明治時代の人たちにとって、「働くこと」は稼ぐだけでなく、日々の楽しみの中核だったと私は確信しています。彼ら彼女らの働き方は、私たちの多くとは異なり、①自然のなかで、②家族や仲間といっしょに働き、③目に見える成果を得るものでした。
ワークライフバランスではなく、ワークもライフも楽しむのが江戸・明治時代の人たち流。この記事では、田畑での仕事からその様子を紹介します。



1.農耕栽培の楽しみ

狩猟採集ほどの瞬時の興奮はないかもしれませんが、農業には育てる楽しみがあります。
高知県の山村に住んで3年目の田畑さん(当時28歳)の働く様子が次のように書かれています。現代の話です。

〝彼(田畑さん)は、生きているという実感を持てるという。夏の暑さの中で滝のような汗を流しながら一日農作業をして、ようやく陽が傾きかけ一息つける夕暮れ時を迎える。ふと顔をあげ、山あいに集落が点々とする風景を眺めるときなどに得られる実感である。自らが田や畑に刻んだその日一日の作業の成果を確認しながら、満足感と充足感とともに幸せを味わえるひとときがある。都会のビルでの机仕事では得られない感覚だろう。〟

山田勇・赤嶺淳・平田昌弘編[2018]『生態資源:モノ・場・ヒトを生かす世界』昭和堂

収穫へ向けて作物が成長していくなかで汗をかき、その日の仕事を終え、沈む夕日を見ると、誰だってうれしいはず。
江戸・明治時代の人たちにとっては毎日のことでした。

稲刈り後の長野県上田市稲倉の棚田(ページトップは田植え中の千曲市姨捨の棚田)


2.続けられる仕事が農業の良さ

○ 強壮でなくてもできる?農作業

農業には年を取っても続けられるよさがあります。漁業ほど体力と瞬発力がいりません。
近代化がはじまったとき、農村の強壮元気な20~40歳の者たちは都会の工場へ出てしまい、農業は女性や老人に委ねられました。いまの日本の農業を支えているのもシニア世代です。

写真のタイトルは ”Women working in the rice fields of Japan”(1905)https://www.loc.gov/item/2020634462/

日本民俗学の創始者で農務官僚の柳田國男氏(1875-1962)は、農村では、いやいや働くのではなく、働くことが生きる価値だという人が多いと書いています。

〝労働を生存の手段とまでは考えず、生きることは即ち働くこと、働けるのが生きている本当の価値であるように、思っていたらしい人が村だけには多かった〟
注目すべきは次の文で、〝山野に物を採りに行く作業などは、その日によって遊びとも働きともなっている〟

柳田國男[1969]『定本柳田國男集 第16巻』、都市と農村(古風なる労働観)、筑摩書房

労働の成果ではなく、労働自体を楽しんでいたという考察です。
遊び、は言い過ぎとしても、農耕には働く楽しみがあります。


○健康にも長寿にもよい農業

精神科医の和田秀樹氏は、対談で次のように述べています。

〝長野県は、長寿県として知られていますが、長生きに貢献している大きな要因をご存じですか。実は、働くことなんです。長野県は高齢者の就業率がダントツに高いのです。農業県なので、高齢になっても農業をしながらうまくすれば一生働くことができます。自分の裁量でできる小規模の田畑があって、それを維持して働くことで、お金も得られる。それが働き甲斐となって温泉に行ったり、おいしいものを食べたり、孫にお小遣いをあげたりしているんです。これが心と体の健康にはとてもいいんですね。〟

樋口恵子、和田秀樹[2024]『うまく老いる 楽しげに90歳の壁を乗り越えるコツ』講談社

私は長野県松本市で2拠点居住(自宅は千葉県)をはじめて、和田氏が述べているような働き方や暮らし方をしている人が実に多いことを知りました。

ニコニコしながら、「できがいい野菜は子や孫にあげて、私らが食べるのは、できがよくないものばかりだね」「いいの、いいの、それが張り合いになるのよ」と会話をしています。

働いて、人さまのお役に立ったうえで、残った時間(余暇)も楽しむのが昔から続く私たちのスタイルだと思います。


○自給的農家の強み

長野県では自給的農家(売り上げが50万円未満)が54%を占めています(『令和五年度長野県の農業概要』)。
稼ぐためではなく、農耕を楽しんで自分たちが食べる分をつくっているのです。

多いのは農家で生まれた人がビジネスパーソンとして都市部で働き、定年後は松本に戻って家業を継ぐパターンです。
農業をしている人が高齢化しているのではなく、高齢になったから農業をしているのです。

農業など家業がある人は、家業を継ぐことが大きな選択肢になりますね。親が残してくれた貴重な選択肢だと思います。
都会の生活に疲れているのなら地元へ戻るのもよいし(そのような人はたくさんいます)、食べてはいけます。

定年後なら、儲けは二の次。仕事は自分のアイデンティティーになり、社会との接点になります。
家業は初期投資が不要で定年がない仕事、いつまでも続けられる・楽しめる仕事なのです。

自給的農家か家庭菜園か?
農家とは、土地が10a以上か年間販売額が15万円以上の世帯だそうです。


○農業を家業にする!

家業がなく農家でもないビジネスパーソンもあきらめることはありません。
数十坪の土地を手に入れ、自家用の野菜をつくり、食べきれない分は直売所で売っている人も多いです。農山村部にはITの仕事を請け負いながら農業をしている人もいます。

ささやかですが、家業、自営業のスタートです。農山村では先祖伝来の土地を手放すことを嫌う人も多いので、土地は借りてもいいのです。
地域で信用を得られれば、わずかな金額、あるいは収穫物のおすそ分けで貸してもらえます。貸し手は荒れ地にしたくないのです。

新たに自給的農家を立ち上げた好例があります。
私の知人は退職後、東京の家を子ども家族に格安料金で貸し、郊外で家庭菜園を楽しんでいます。家業とまではいえませんが、土をつくり、農機具や家に手を入れ、生活基盤を整えているのです。
子や孫は夏休み、お正月、お盆に訪ねてきます。子や孫には田舎(故郷)になり、勤め人を辞めたらそこで暮らせる選択肢にもなりますね。
失礼ながら小規模(20坪ほど)ですが、彼は子どもたちが受け継げる家業と家産をつくりました。

<補足> 家業のよさ
「家業」=「継ぐのが面倒」思っていましたが、松本市に住みはじめてそうではないことに気づきました。

江戸・明治時代の人たちは、家業(=代々続ける自営業)のために働きました。家業を伸ばせば家族のみならず、まだ見ぬ子孫も喜びます。そして、自分が生きた証になります。「曾祖父の○○衛門さんがつくってくれた畑だ」のように。

現在でも、自営業の人は当時の人たちと同じです。自分の力で家産(田畑やお得意さまなど家業のための財産)を増やし、伸ばした家業を子孫に引き継げます。引き継がない人も多いですけどね・・・。生きていく上での選択肢には、なります。


まとめ

自然のなかで働け、農作物の成長が見える農業は、オフィスでは得られない満足感を与えてくれます。
農業の良さは、体が動く限り、できる範囲で、続けられることです。
おいしい採れたて野菜や果樹を食べられるだけでなく、親戚へのおすそ分けもでき、直売所での販売もできます。
働いた成果が見えやすいのも良さですね。

ただし、オフィスで働くほどの収入を得るのは容易ではありません。
教育費などが必要な世代の方なら半農半Xからはじめるのもよいと思います。国や地方自治体もさまざまな就農支援をしています。

出典:『定年後を豊かにするシンプルライフ』ごきげんビジネス出版

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