【加護の光の存在と作用について】
現世でも特に我々、宇宙人類が棲息させて頂いている三次元界にも、加護の作用が働いています。
(にも)と表現を用いたのは、現世に当たる異次元界も同様に働いているからです。
あらゆる神仏は人間が創造したものです。
釈尊やキリストなどは実在した人物ではあり、崇拝対象とされておりますが、魂が加護の存在と同化したか?までは分からないことです。
ただ、確実に実体験として断言出来る事は、加護の光と作用は存在しています。
私自身、文字を綴る今も尚、体感しています。
勿論、万人は元よりあらゆる動植物を初め、石・草木・空間・時間・細胞にまで働いています。
では、加護の存在がいかなる働きをもたらしているか?人類に焦点を当てて触れていきますね。
加護の作用は産まれ流れて死にゆく過程に於いて、とても重要な役割を果たしています。
ですから最も大切な感情は、感謝になります。
生から死までのトータルを精算して、人生プラスマイナス0が、加護の作用の絶対条件です。
これは加護の存在に気づいていようと、気づいていまいが無関係です。
プラスマイナス0とは、どういうことか?を見ていきます。
あなたがひとつ良き行いをしたとします。
先の人生に於いて、必ずプラスが働きます。
あなたがひとつ悪しき行いをしたとします。
先の人生に於いて、必ず災いが働きます。
ではどうして、プラスを積み重ねても、マイナスを積み重ねても、プラスマイナス0なのかという疑問が生じますが、これは因果応報と云いますか、因果関係にあります。
詳しく触れますと随分と長くなりますから、次回に改めて因果関係とプラスマイナス0の作用の関係性に付いては、記載させて頂きます。
とても重要です。
背負うか背負わないか!も関連してきます。
加護の作用の働きにも段階があります。
これはあくまで主観になりますが、祈りが信じるに値する月日を超える自己への確信との連動にあります。
火事のようなものです。
祈りが信じるに値する行為を重ね、尚且つ加護の作用に反しない生き方を実践することで返りの働きが違ってきます。
信じるに値する行為を成した人間には、返りの働きは早いです。
災いは畳を焦がす程度で済みます。
信じるに値する行為を成さない人間には、返りの働きは遅いです。
家が全焼する程の破壊力で災いをもたらします。
信じるに値する行為の【信じる】といった部分の対象を、分りやすく二つに大別するならば、以下に当たります。
ひとつに神仏(存在は不確か)の先にある存在との連動。
ひとつに無信仰であっても、感謝を怠らない人間。
ちなみに余談になりますが、人類的善悪と社会的善悪と加護の存在による善悪とは、認識の異なる部分が随分とあります。
根本的に違う部分もあります。
加護の存在は確実に存在していますし、現世やあらゆる次元にのみ、存在している訳ではありません。
またまた余談になりますが、臨死体験は死ではないので、臨死体験者の死後の世界観は必ずしも正しい見解ではないのです。
そして人間は死の予感や死への前触れ、死へのあらゆる感情を体験は出来ますが、死そのものは体験出来ません。
死の訪れの刹那は、死んでいるからです。