デレラの読書録:千種創一『砂丘律』
歌集を初めて読んだ。
作者と現実の境界面に現れる31文字の言葉。
作者と現実が別々にあるのではなく、もしかしたら、言葉によって後から作者と現実が分離するのかもしれない。
ひとつのものが、言葉によって、ふたつに分離する。
作者と現実に。
作者と現実は元々はひとつだったけれど、今はふたつに分かれている。
作者と現実のあいだに境界面がつくられるようにして。
境界面で言葉が揺れる。
その揺れは、心の揺れなのではないだろうか。
現実にリアリティを感じられなくなってしまった心の揺れ、あるいは現実の不安定さ。
現実にリアリティが感じられないというのは、いささか語義矛盾かもしれない。
なぜなら、本来はリアリティがあることを「現実」と呼ぶからだ。
では、現実にリアリティが感じられない、とはどういうことか。
わたしには「現実が崩れる、現実が揺れる、現実が分からなくなる」ということ感覚が体感的、実感的にある。
それはまるで砂でできた城が崩れていくような感覚。
砂丘律とは、現実が揺れ動き、崩れ、現実がわからなくなり置いてきぼりにされるときに、「わたし」という実存までもが崩れてしまうことを防ぐための、唯一の方法なのかもしれない。
砂丘律というリズムに、韻律に身をまかせるということ。
日本から中東へ渡るひとりの人間の紀行文でありながら、実存の本質に触れる一連の歌。
それは、いまだに崩れそうなわたしの現実と実存を、31文字に封じ込めてくれるような、儚い賭け。