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デレラの読書録:石川宗生『ホテル・アルカディア』
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石川宗生,2020年,集英社
ホテル・アルカディアの支配人の娘、絶世の美女プルデンシアが声を失い部屋に閉じこもってしまった。
プルデンシアを救うべく、宿泊客である芸術家たちが、物語を紡ぎ始める。
物語は、物語内物語を呼び出し、メタにメタが重なっていく。
世界そのものを芸術品として展示しようとする蒐集家、手と呼ばれる掌編が書かれた大量の紙によって作られたアトラスという山々。
時を統べる王、あるいは、階段を登ることで救済される宗教。
イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』、ギョルゲ・ササルマン『方形の円』を思わせる、架空の不思議な都市の物語たち。
読者は不思議な物語を読まされることになる。
架空の都市、架空のホテル、架空の博物館、架空の宗教、あらゆるものが架空化される物語。
そうなると読者もただの読者ではいられなくなる。
どういうことか。
読者は架空化し、ホテル・アルカディアの客のひとり、あるいは物語の登場人物のひとりにされてしまうからだ。
まるでボルヘスの「バベルの図書館」だろう。
バベルの図書館には全ての本がある。
わたしの人生が書かれた、この記事を書くわたしすら物語化された本が収蔵される図書館である。
わたしたち読者が、この物語化、架空化の力から逃れる方法はたったひとつ、この魅力的な小説を読み終えることだけ。
しかしながら、わたしたちは無限化された物語を読み終えることはできない。では、わたしたちはどうしたら良いのか。
逃れる術がないなら、あと残されるのはこの物語を楽しむことだけなのである。
ここに薔薇がある、ここで踊れ。
わたしの踊りで、引きこもったプルデンシアの憂鬱が解けますように。