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韓国で「関東大虐殺」追悼スタンディングをしました(2024/09/01)
(筆者は在日韓国人3世です)
企画した動機
友人が関東大震災の朝鮮人虐殺についてドキュメンタリー映画を作った。事件の記憶と追悼行事を行う「ほうせんかの会」という団体を運営している女性に密着したものだ。
去年、事件から100周年となった。東京では追悼行事が開催され、多くの人が集まったと報道された。関西に住んでいる自分からすると東京は遠いなと思い行かなかったのだが、テレビ報道で同世代の日本人が追悼文を読んでいる姿を見て、自分も行けば良かったと後悔した。そこから来年は自分でも何か行動しようとひそかに思っていた。
そして今年8月、自分は日本ではなく韓国にいた。4月から放浪の旅をしていたが、イレギュラーな出来事が起こったのもあってしばらく韓国で滞在することになった。その間、去年少し顔を合わせていた運動家と再会して話したり、一緒にデモに行ったりした日々を過ごした。
9月1日が近づいてきた。日本の追悼行事に顔を出すことはできないが、韓国で参加できる行事がないか調べてみた。どんな様子で行われていたか日本の仲間に報告できると思った。冒頭で書いた映画を撮影した友人に聞いたが、知らないようだった。自分でも頑張って探してみたが、事件についての映画の記念上映会くらいしか見つからなかった。
とても残念だと思った。同じ朝鮮人の苦難の歴史なのに、韓国市民が関心を向けていない。ということは、これは自分がやるべき運動なんだと思った。私が運動を企画する時の理由はいろいろなパターンがあるが、その一つに「世界に絶望しないため」というのがある。なんでこんな大事な問題なのに誰も声を上げないのか、そう思う瞬間は運動家であれば何度も経験するだろう。そういう時、世界に、人間に絶望しそうになる。自分も同じだ。日本の運動へ不満ばっかりだ。
だから、自分で企画する。「何もアクションが怒らなかった世界」で生きていたくないから、自分が行動することで、「小さくともアクションの起きた世界」に変えるのだ。今回で言えば、韓国が「関東大虐殺の追悼行事が行われなかった国」になってしまうのが嫌だから、「追悼行事の行われた国」にする。私という人間の存在を使い、未来を変える。色んな運動を企画し実行してきたが、私は特別メンタルが強いわけではない。メンヘラとまでは行かないが、そこそこの落差で気分の上下があるし、なかなか変わらない社会に対して定期的に絶望的な気分になる。運動をしぶとくストロングにやり続けるタイプとは違う。だから自分の世界に対しての期待感を維持するために自分でケアをする。これが一昨年あたりから身につけた、かなり力技の精神安定術だ。そんなふうに誤魔化し誤魔化ししながら続けている。私と同じタイプの人間がいるかはわからないが、もしいたら使ってみてほしい。
準備
そういうことで一人でスタンディングでもしようかと考えていた。9月1日の3日前に会った運動仲間にその話をしたら、一緒にやるのはどうかと言われた。チラシも作ると言ってくれたので、自分は急いでネット宣伝の画像を作った。周囲に黙ってやって事後報告をするのでも良かったが、自分のInstagramくらいでは告知をすることにした。知り合いが見てきてくれたら嬉しいというのはあるが、何よりも自分の体験として、参加できそうだった運動の報告を後で知人のSNSで見るのが悔しいからというのが大きかった。なんだよ、誘ってくれたら行ったのに…ということが何度かあった。
フライヤー制作についてだが、「関東大震災時の朝鮮人虐殺…」となるとえらく長い文章になるので韓国語でどう書くか悩んだ。調べたところ韓国のWikipediaでは「관동대학살(関東大虐殺)」という表記でページが作られていた。シンプルで要点を掴んでいてわかりやすいので、以下の文章でも表記を「関東大虐殺」に統一させてもらう。そして今回の行動のタイトルは「関東大虐殺追悼キャンペーン」とした。はじめは「追悼スタンディング」にしようと思っていたのだが、友人からはスタンディングだと何をするのかイマイチわからないと指摘された。韓日間で、運動で一般的に使われる言葉に違いがあるのだろう。スピーチをするわけでもないし(私はまだ韓国語をうまく話せない)、音響機材を用意できるわけでもないので集会と言うことは憚られる。そこで無難にキャンペーンとしようと落ち着いた。
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開催場所については、何よりも在日朝鮮人の歴史を知らないであろう韓国の青年に知らせたいというのが動機として大きかったので、若者の街・弘大(ホンデ)でやることにした。あとは一緒にやる仲間が新村(シンチョン)もいいというので、その2箇所でやることに決めた。
日本の関東大虐殺関係のイベントでは、小池百合子都知事が追悼文を出さないことを批判する声が大きいが、自分のアクションではそこをメインにしないことにした。小池百合子を相手にすると、「日本向き」の運動になってしまう気がした。あくまで韓国の青年に知ってもらうことを第一の目標にしたかった。政治に関心の薄い人たちも、運動家の行動が自分たちを相手にしていないというのがわかると興味が薄れる。あなたを相手に訴えているんだ、という真っ直ぐな思いをぶつけなければならない。
加えて、この間私は運動家の意識が小池百合子の対応批判ばかりに行っているのに違和感を抱いていた。無論、事件が起こった地域の政治家が歴史を否定するような対応を取っているのは大きな問題なのだが、そもそも多くの日本人が関東大虐殺の歴史を忘れ去っているわけで、彼らに知ってもらえるようなアクションを行うわけではなく小池ばかり相手にするのは、運動として丁寧さに欠けていると思う。無関心な市民に対して歴史の周知という第一段階をクリアできていないのに、この間の小池の対応がいかに悪どいかが伝わるものだろうか。小池に怒りを持つのは正当だし、歴史を風化させまいと動く人たちには尊敬しかないが、運動において自分たちが行うべきスタート地点を確認する時間も必要だと思っている。
開催前日の8月31日は土曜日だった。ソウル支庁横では「ろうそく行動(촛불행동)」という大きな集会が毎週行われている。生活破壊・屈辱外交・対北挑発など問題山積みの尹錫悦(ユンソンニョル)大統領の弾劾を訴える、進歩派で最も大きな集会だ。私は仲のいい大学生団体と一緒に、情熱的なスピーチを聴いたり大迫力の歌唱パフォーマンスにキャッキャしながら参加していた。その間友人は、行く予定だった集会へ行かずにスタンディングのためのチラシを一人作ってくれていた。ほんとうにありがたい。時間がないしスタンディングでいいやと思ったが、チラシがあればより深く歴史を知ってもらうことができる。運動の「深度」が上がる。ピケットの画像も制作してくれた。デザインも凝っていて、とても気に入った。
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文章の意味は上から、
100년 전 오늘(100年前の今日)
관동대지진(関東大地震)
조선인 학살(朝鮮人虐殺)
침묵의悼을(沈黙の悼みを)
끝내야 합니다.(終わらせなければなりません。)
となっている。私の確認が雑だったのもあって、事件から101年目なのに100年前となってしまった。時間がないとこういうミスも起こる。
9月1日、行動当日
9月1日、当日。友人の大学へ行き、ピケットづくりを行なった。プラスチック板にA4用紙4枚で印刷した画像を貼り付けていく。作りながら、一気に「運動」らしくなるのを感じた。これまで自分の企画した運動では絵の具で文字を書いた横断幕や、カレンダーの裏にマジックで文章を書いた紙を段ボールに貼り付けたものなどは作ってきたが、こんなちゃんとしたものは用意してこなかった。準備したという感が出て、一気に運動の説得力が増した。日本に戻って運動する時は、ちゃんと時間を作ってピケットを作ろうと思った。関東大虐殺のものとは別に、友人が企画している日本軍性奴隷問題のセミナーのピケットも作った。これもスタンディングで使うという。趣旨が微妙に違うが、手伝ってくれた以上は無碍に断るわけにも行かず、とにかく時間がなかったのでそこでゴネるのはやめた。でも、後で少し後悔することになる。
チラシも作ってくれた。事件の経緯がわかりやすくまとまっていて、小池百合子の追悼文拒否の一件も含んでいる。小池百合子の顔がドーンと出ているのは、日本軍性奴隷問題のピケットと同様彼のスタイルなのでなにも言わなかった。心の中ではもう少し追悼の意味合いが強いものにしたかったが。裏にはセミナーの告知が載っている。宣伝くらい代わりにやりますよ、という思いで黙っていた。
新村(17:30-18:30)
時間になり、現場へ移動した。一つ目の新村(シンチョン)。U-PLEX(現代百貨店)前で行なった。道路を挟んで大きな歩行者天国があり、チラシは配りやすかった。ピケットを作ってくれた友人は車椅子を使っているのでチラシが撒けない。なので車椅子にピケットを貼り付けて、僕が一人で配った。「오늘은 관동대학살 101주년입니다. 기억해 주십시오.(今日は関東大虐殺の101周年です。記憶してください)」と言って手渡して行った。久しぶりのビラ配りに興奮した。少しして、別の運動の先輩が合流して参加してくれた。初めは小さな声でチラシを配っていたが、少しするとすぐやめてボードを持って立っていた。あとで聞いたら、「断られて心が折れた」と言っていた。こういうのは得意不得意があるので無理にやるべきでもない。運動をやり続けていればどこかで、「全然チラシ配り平気じゃん、通行人の反応なんて気にしなくていい」と思える瞬間が来る。それに、私は誰かの前だと勇気が出る。頑張ろうと思える。いや、そんな聖人君子じゃない。嘘偽りなく言えば、「カッコつけたくなる」のだ。僕はチラシ配り平気ですよ!何時間だってできますよ!優秀な活動家ですよ!と見せびらかしたくなるのだ(笑)。なので、僕のエネルギー源としても、そばに立ってくれるだけでありがたい。もちろん、誰よりも韓国の人たちに知ってもらうための運動なので、それを韓国の仲間がそばに立って一緒に参加してくれるのは素直にとても嬉しい。最初は二人だけかと思っていたので、3人になってとても勇気づけられた。チラシはどんどん捌けて行った。韓国でチラシ配りをするのなんて初めてなので比較はできないが、かなり受け取り率は高かった。みんな何の話だろう?と疑問に思ったのだろう。
近くで地域振興のイベントをやっていて、自分達がチラシ配りを始めたタイミングで司会が元気に喋り出し、コント混じりの音楽イベントをしていたが、私は全く気にならなかった。私たちの方が絶対に楽しいと思った。知られていない歴史を広げる、自分がいなければ無風だった場所に風を吹き込んでいる、これ以上に尊くて価値があるものはないと思った。先日書いた、「市民運動に大事なのは「楽しさ」ではなく、「意義を信じられているかどうか」だと思う。」のnoteに書いたことを、改めて実感した。とても有意義な時間だった。チラシは100枚弱を受け取ってもらえた。
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弘大(19:00-20:00)
新村での行動が終わり、弘大までバスで移動した。時刻は19時前。待ち合わせで人気の場所から少し行った広い場所でやることにした。店の照明でそこまで暗くはない。新村と同じように二人にボードを持って立ってもらい、自分一人で配りはじめた。しかし、チラシの受け取り率がガクンと落ちた。若者の街だけにそもそもが政治的なアクションが行われないような場所であろうし、夜ということもあって通行人のテンションも「楽しいディナータイム」になっているはずだ。人間には政治問題のチラシを受け取る人か受け取らない人かという2つのタイプに分かれると思っていて、そこには絶対的な違いがあると思う。それが冷やかしであっても受け取る人は受け取る人であり、リベラル的か保守的かは関係がない。目の前にチラシを出されて条件反射的に手を出せるような、感覚的な敷居が低いかどうかだ。他者に自分の思想に介入されることへ抵抗がある人は壁を作り、受け取らない。そしてそこからさらに環境という条件も加わってくると思う。友達と歩いていたり、夕食モードになっていたり。そうなるとたまにはチラシを受け取るような人も、さらに受け取らなくなる。
あと色々手伝ってくれた友人には申し訳ないが、やはりピケットの問題も少しはあったと思う。友人が日本軍性奴隷問題のピケットを用意したが、テーマがバラけて何の行動をやっているのかがぱっと見で分かりづらくなったと思う。せめて関東大虐殺のものが二つ以上あれば、通行人も自然と多い方を見るようになるので注目を引けた。「そのピケットは違う」と友人に断ることもできたので、自分のやりたい運動をやるなら仲間にも意志をはっきり伝える必要があると思った。
それでも同世代の韓国青年に「これはなんだ?」と疑問に思わせることができたのなら自分の目的はある程度達成している。そうやってしばらく配り続けた。少しすると先輩が場所を変えないかと提案してきたので、ぼちぼち歩きながらいい場所を探した。路上ミュージシャンなどがよくパフォーマンスをしている大きく広がった道があったので、そこを最後の場所に決めた。遮蔽物がなくなったのでピケットを見てもらいやすくなり、チラシの受け取りも若干良くなった。途中で2人ほどおじさんに声をかけられた。どちらも進歩派の人間のようで、友人の持っていた日本軍性奴隷問題のピケットの尹錫悦のイラストに反応したようだ。2人とも少し変わった人たちで、ベラベラと自分なりの文句を言って離れていった。話の途切れるタイミングを見て関東大虐殺について知っているか聞いたが、知ってると答えるだけですぐ別の話に移り、あまり関心を持ってはいないようだった。韓国市民のリアクションは薄く、あったとしてもこのぐらいの感じだったので、こんな面白い出会いがあった!というような報告はできないのが正直なところだ。
今回の行動でもう一つ反省点があるとすれば、日本語のピケットを作らなかったことだ。弘大は日本の方にも人気の観光スポットで、実際にチラシを配りながら何度か日本からの観光客とすれ違った。彼らにとっては観光で訪れたなんてことない日だが、ちょうど101年前には日本で無惨にも殺された人たちがいたことを知らせたかった。全ては時間のなさからの準備不足に由来するので言ってもどうしようもないのだが、次回やる時はこの反省を活かせるようになりたい。そんなこんなで50枚弱のチラシを残し弘大での行動は終了した。
夕食は安くてうまい「ナッコプセ」の店へ行った。牛ホルモンと、たことえびの入ったキムチチゲだ。やはり運動をやり切った後のご飯は格別に美味しい。最初は1人でやろうと思っていたが、結果として3人でやることができた。いい仲間を持ったと思った。
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9月2日
残りのチラシはピケットと一緒に持ち帰って、次の日に1人で延世(ヨンセ)大の前でも配ろうと思った。あまり世話になりすぎるのもどうかと思っていた。話をすると友人が、僕の大学でやりましょうと言うので結局連日の行動を手伝ってもらうことにした。翌日はチラシを30枚追加印刷して大学内で配った。80枚のチラシはあっという間に捌けた。友人の通う大学の雰囲気が良かったということはあると思うが、それでもやはり「状況」の違いは大きいと思った。生徒は弘大を行き交う人たちと同じような年齢層なわけだが、学生たちは大学へ勉強ムードで来るわけで、自然とチラシへの関心度合いも変わってくる。2日で230枚のチラシを配ることができた。途中ろうそく行動で何度か一緒になった年下の運動家の女性と会えた。どうやらこの大学に通っているらしい。楽しく話していたのだが、チラシを渡して関東大虐殺について知ってるか聞くと知らないと言った。韓国の進歩派の運動家でも知らないのかと驚いた。彼女と別れた後、この日も一緒に手伝ってくれた先輩に聞いたら、韓国の歴史の授業では朝鮮半島の出来事は教えるが在日朝鮮人の歴史はほとんど教えていないと言った。
まとめ
現在は韓日の交流が活発になっているが、それでもお互い知らないことがあまりに多いと思っている。日本の人々は植民地支配の歴史を全く勉強していないし、韓国市民は日本政治をある程度は知っているがそれでも足りない部分が多い。このギャップを埋める仕事をしたいと思った。東アジア-東南アジアを見渡した時、民主主義的な手続きのシステムがまだ残っていて、運動の自由度もある程度保障されているのは韓日の2国だけだろう。アジアの平和を考えた時に韓日が協力できなければ未来は絶望的だ。尹-岸田が進める、朝鮮民主主義人民共和国や中国を挑発するための韓日(+米)の国家連携ではなく、進歩派市民たちの深い繋がりが必要だ。課題と自分の役割を強く意識した韓国滞在だった。
(追記)
韓国国内の関東大虐殺追悼行事だが、調べたところこのニュースだけ見つかったので共有します。短いのでご興味あれば自動翻訳して読んでください。(自分は事後報道がほとんど、事前に教えてくれないといけないので困る…)
関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼祭| 京畿新聞