僕の悪い癖

僕は、自分のことをある程度優秀だと思っている。仕事においてもプライベートにおいてもうまく出来ていると思っている。仕事は、上司からもお客様からも信頼されていると感じるし、結果的に収入面での評価にもつながっている。プライベートは、妻と息子とも悪い関係ではないと思っているし、趣味も楽しんでいる。

でも、色々頑張った後、どうしようもなく疲れてしまう瞬間がある。とても大切な趣味なのに、なぜか「どうでも良い」と感じてしまうこともあるし、仕事についてすらそう感じることがある。

そうじて、色々上手くいって頑張った後にこういう気分になることがある。自分のTodoリストを上手く埋められて、結果も付いてきて、お客様から感謝の言葉をいただいて、いつもの筋トレとストレッチも完璧にこなして、趣味の読書も数冊読み進められた後に、なぜかふっとどうでも良くなる。

それでも、なぜか表面上は仕事もうまくできるし、人間関係を悪くしないだけの器用さも持っているみたいなのだけど、心の中は全部どうでも良い気持ちになってしまっている。そして、たまにポロっと、そんな気持ちが外に出てしまう。態度だったり、言葉だったり。

自暴自棄というと言葉としては強い気かするけど、一番近い日本語がそれかなぁと思う。定期的にこうなるので、悪い癖だと思っている。自分の限界を認識しないで無理しすぎるのが悪い癖なのか、無理した後自暴自棄な気分に陥るのが悪い癖なのか、どちらかは分からないのだけど。。。

そんな時は、プラっと美術館/博物館にでも行くとか、たまたま良い映画にであうとかで、回復したことがあるけど、なんか回復を意識してそういう場所に足を向けるのも違う、と思ってしまっている拗れた気分。

そこまで書いて、気が付いた。

僕は一つ一つ、目の前にあることを先を考えずに進めている時に安心するんだ。そして、成果を出すと疲れちゃうんだ。実は僕は優秀な人間なんかじゃない。社会から求められている理想的な人間なんかじゃない。

楽しいのは、本を読んでいても次の言葉が気になるとき。ギターを弾いてもその瞬間のリズムが自分と一体化していると感じた時、脚本書いている時も次のセリフを考えている時、仕事をしている時も読み取れないデータを一つ一つ整理している時。そして、散歩している時も足が踏みしめる次の一歩を歩いている時。

それらがカタチになって成果として表れた瞬間、気分は高揚する。成果が与えられると嬉しい。fbやTwitterで自慢したくなるし、「いいね!」が付くとありがたいと思う。でもそのあと、必ず疲れちゃう。

やっぱり、僕は一歩一歩目の前の道を歩くときに安心できる人間なのだと思う。もしかしたら、それは悪い癖かもしれない。将来的な展望や先を見て歩むことは良いことだし、必要なことだ。そこから目を背けたいのは逃げていることかもしれないし、悪い癖なんだろう。

でも、僕はこういう人間なのかもしれない、とも同時に思ってしまう。

せめて、疲れた時に人を傷つけない人間でありたい。自分とは違う人も大切にできる余裕を持った大人になりたい。

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