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第二十三話 帝都復興を揺るがした「3つの事件」

 野猪は、なおも突進する。
 今度は政友会崩しに狙いを定めて、森恪を訪ねた。
 森はこのとき、まだペイペイの一年生議員である。しかも、チョンケチョンにくたびれ果てていた。すでに触れたように、満鉄事件という疑獄騒動に連座させられて、党籍はく奪寸前まで追い込まれている。九月一日の帝都大震災のとき、政治家としては、死に体同然だったといっていい。
 しかし、満鉄事件の一審裁判は、大震災の翌月、帝都が大混乱に喘いでいるときに結審する。
 元満鉄副総裁の中西清一が背任罪で懲役十か月、山田潤二の上司・小日山直登に偽証罪で懲役二か月執行猶予二年という判決が言い渡された。これを不服として被告側はただちに控訴する。
 森恪は、免訴。掌を返したように、猛然と動き出す。
 森は、俄然、生き返る。札付きの新米議員にもかかわらず、政友会内部でメキメキと頭角を現して、事実上、党幹事としては走り回った。

 十河信二は、森に詰め寄る。
 「森! お前のところの政友会で、大反対の音頭をとっているのはどこのどいつだ! そいつをやっつけるぞ! やっつけてしまわなければ、とても復興の仕事などできん」
 「それはだな……、十河。小泉策太郎さくたろうさんだよ」
 小泉策太郎の選挙地盤は太田圓三の郷里、伊豆である。十河は太田と連れ立って、夜明け前に、広尾にあった小泉私邸を訪問した。
 「……小泉はまだ休んでおります」
 と、家人。
 「では、待たせていただきます」
 と、毎朝、玄関先で一時間でも二時間でも待つ。小泉が出てくれば、私利私欲を捨てて理想の復興をすべきこと、政友会の反対論が復興事業を遅らせていることなどを滔々と述べたてた。
 ついに小泉のほうが音をあげる。
 「後藤さんの大風呂敷には反対だが、君たちの情熱には負けた。これ以上議会では反対しない。もう勘弁してくれよ」
 ところが、すでに後藤大風呂敷大反対の大波は政局全体に波及している。小泉策太郎一人を黙らせたところで、どうにもならなかった。

 勢いに乗る政友会は、ここぞとばかりに帝国議会に大幅な修正案を提出する。その骨子は、区画整理費の大幅削減と帝都復興院そのものの廃止であった。
 ここに、山本権兵衛地震内閣は窮する。選択肢は二つしかない。修正案を飲むか。解散総選挙に打って出るか。
 「解散総選挙! 望むところではないですか」
 十河信二は、鼻血の出る勢いでおおいに後藤新平をけしかけた。
 しかし、後藤新平には勢力というものが、なかった。薩摩とか長州とかなどのいわゆる藩閥という旧勢力とは、まるで縁がない。党利党略というものが大嫌いで、「同志会」という非政友会系のグループを脱党して以来、およそ政党というものから距離をとって、孤立していた。要するに、実力、実績ともに群を抜く行政家ではあったが、数で動く政治の現場では、ほとんど無力だったのである。
 しかし、このとき、後藤新平は、動いた。山本権兵衛を担いで新党を結成し、政友、憲政の両党を打倒して理想の帝都復興を貫くことを考える。だが、肝心の山本権兵衛の説得に失敗して、あっさりと挫折してしまうのである。

 結局、山本内閣は政友会の大修正案を飲まされる。
 最後は、後藤新平が屈辱の修正案に同意した。こうして復興予算は、ついに四億円台にまで縮小されてしまうのである。
 わずか、十分の一!
 後藤新平は、長期戦を覚悟したらしい。これ以上の遅れは許されない。ここは政友会案を飲んで復興事業を緒につけよう。しかる後に、粘り強く計画を復活していくほかあるまい。
 後藤伯爵の女婿であった鶴見祐輔は、こう書いている。
 「イヤなら勝手にしろといって引込むのは、伯の性格ではなかった。
 火の出るように激しく闘った後、自説が通らないと、あっさりこれを撤回して、多数の決した案に、もう一度火のような情熱を打ち込んでゆくのが、実行家肌たる伯の性格であった」

 十河信二は、いたたまれない。後藤新平の動き方がまどろっこしくてならない。
火の出るように闘って、しかし自説が通らないとなれば、席を蹴って立ち去る。それが若き十河信二の流儀であった。十河は太田圓三と策を練る。
 「太田さん、後藤新平は天性の行政家だが、悲しいかな、政治力がない。焼土全部買い上げ案など凡人には思いもよらないが、実行力のともなわないアイデアは、しょせん絵に描いた餅です」
 「十河、後藤さんには実行力のある側近政治家が必要なのだよな……」
 「……森恪は、どうでしょうか」
 と、十河。
 「後藤のアイデアに、森の実行力。鬼に金棒じゃないか」
 と、太田も手を叩いた。

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