第二十八話 十河信二応援団
控訴審が開かれたのは、一審有罪判決から一年半後の昭和四年二月である。
この頃になると、「十河救済」をうたいあげる応援団がさらに大きく輪を広げていた。裁判所に提出された嘆願書には、井上準之助、小泉策太郎、仙石貢、勝田主計、鳩山一郎、森恪、岩永祐吉、河上哲太、五島慶太、今井田清徳などの政財界の大物が名を連ねた。
従弟の野間恭一郎も、黙っていられない。法廷で証言するために、極寒のシベリア鉄道に揺られて、長駆、ベルリンから帰国する。
大正十五年発行の『西伯利亜鉄道旅行案内』(鉄道省運輸局)を開いてみると、当時、ベルリン―東京間の旅程は十五日間、一等料金で片道五九〇円とある。野間は、激務と大酒癖がたたって次第に健康を損ねていくのだが、このときも欧亜往復の強行日程のために、いちじるしく体調を崩したらしい。
「純朴なる兄に他意なく、兄思いの十河信二にさらに他意なく、むしろ人情の赴くままに……」
元西条中学弁論部主将の弁舌は、あらためて法廷の同情を誘ったであろう。
種田虎雄は、控訴審でも引き続き特別弁護人を引き受けた。種田も、元来、胃腸が丈夫ではない。このときも、鎌倉で療養中であったが、法廷へ青白い顔で日参している。
すでに争点は、十河信二に収賄の犯意があったか否かという点に絞られていた。
種田は、まず復興局疑惑に関する十河信二の容疑はきわめて軽微であって、せいぜい参考人程度に止めるべきであったことを論証する。松橋と十河の出会いから詳細に陳述し、十河~松橋関係に贈収賄のからむ利害など介在し得ないことを力説した。公判記録を読み進めてみても、種田の弁論を支えた論拠は、「友情」である。
「……松橋は株で儲けてきては十河君にこれを散ぜしめて、衷心楽しみとしかつ光栄としていたのであります。十河君としても自分の目をかけた男がとにかく成功し、自分の主義や事業を理解してこれを多少にかかわらず応援してくれる事を悦んで居たのでありまして、この両君の関係はむしろ俗世間的の情誼を超越した、真に美しい友情の極致とも申すべきもので、古人のいわゆる〝断金の交 〟〝金蘭の契 〟と申しますのは、かくの如き関係をさすものであろうと考えるのであります」
種田虎雄の憔悴気味の顔が徐々に紅潮してゆく様子が目に見えるようだ。
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