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ニュートラルな「自己愛」とは。霊格が高い人だけが気付いている本当の自己愛。

自分の意見に自信を持つことは大事なことですよね。

しかし、他の人がどう考えるかは、他人次第でもあります。自分の意見が正しいと押し通すことは、ここで、すでにあなたと他人の間での意見が食い違っていますよね。

つまり、正しいと思っているのはあなただけということになるのです。

これは自己愛が強すぎるがゆえ起きているのです。

5次元に生きるにあたって、何よりも真っ先にニュートラルな自己愛を知る必要があります。

なぜなら自己愛も過ぎればそれは自分勝手になることもあるからなのです。

今スピリチュアルの中で自己愛が大切だと言われていることもあり、これを勘違いしてしまっている方も増えているのも事実です。

今一度、自己愛とは何かに立ち返っていただき、再確認し軌道修正していただければと思います。

これからますます軌道修正していけるかが鍵となってきますので、最後までお付き合いください。

自己愛が強いということは、自分自身に執着しすぎているということです。

執着することは依存心であり、悩みが多くなります。なぜなら、他人の意見を顧みず、ただ自分の意見を良しとする考えは、自分の意見を聞いてもらえない世界を映し出すからです。

自分のことしか考えない人を指す言葉として使われる「身勝手」という言葉は、自己中心的で自分の利益しか考えない人に用いることが多いことからもわかるように、他人のことを考えず、自分の都合や利益だけを考えて行動することとなります。

自分の思い通りにならなれければ不機嫌になることや、特別扱いしろと怒ることや、調子が良いときは良いように振る舞うけれど、調子が悪いと不機嫌に当たり散らすことや、調子が良いときだけ猫可愛がりするといったようなことです。

また、他人の都合を考えず、自分にとって利益があることだけをする人を指すことわざとして、「我田引水(がでんいんすい)」と言って、周囲の田んぼのことは考えないで、自分の田んぼにだけ水を引く様子から、自分勝手で自分の利益だけのために動くこと、あるいは動く人を指します。

その他「傍若無人(ぼうじゃくぶじん)」と言う言葉もあるように、人のことなどまるで気にかけず、自分勝手に振る舞うことです。

例えば、

・他人の予定や個人の事情などお構いなしに、「私!優先して!」とアピールが強いこと
・他人が大変かどうかは一切気にせず自分のことしか考えないこと

つまり他人に関心がないのです。

自分を認めて欲しいという思いが人一倍強いからでもあります。他人のことは考えないけれども、他人には認めて欲しいので、自分中心に物事を考え、自分の思い通りに運ぼうとするのです。自己愛が強すぎるのです。

もちろん自己愛はとても大事なことです。自己愛自体は悪いことではありませんが、他人への愛も持ち合わせていなければ、それは本来の自己愛ではなく、残念ながら、ただの身勝手な人になっていることに気付かれることです。

承認欲求が強いのです。

逆に「私は、他人に対して気を遣っているのだから、人は自分や他人にも、もっと気を使うべきだ」と要求することも増えてしまうわけです。

自分のことしか考えない人にとっては自分が世界の中心なので、他人の意見を聞き入れない傾向があります。口癖のように「あなたのためを思って」と言いながら、自分都合で話をしたり、相手をコントロールしようとすることです。

例えば、「あなたのためを思って」と言いながら、子どもの意見は聞かず自分の思い通りに子どもを動かそうとする親や、部下や上司の主張は全く聞かず自分にとって都合の良いように動かそうとする部下や上司も、他人の意見を聞き入れないというエゴなのです。

束縛しすぎるパートナーも、自分都合です。

お互いがそれで心地良いと思っているのであれば何も問題はありませんが、言葉では「あなたのことが好きだから」と言いつつ、恋人や旦那様や奥様が自分の思い通りに動かないと機嫌を損ねてしまうようなことです。

精神的未熟となります。

このような人が家族や会社など身近にいた場合、”私はそうじゃない”と思いながら、育った環境や親によって意見を聞いてもらうことがなかったことから、知らず知らずに主張が強くなり、「聞いてほしい!私の事わかって欲しい!」という思いが強くなり自分自身もそうなっていることがあります。

以前、私もこのようなことがありました。


私は自覚がなく自分都合で動いているとは思っていなかった出来事です。

夫との休日を有意義な時間にしたいために、Youtubeの動画を少しでも早く作成し終えたいという思いから、気が付けば、夫の行動をコントロールしていたことがあったのです。

そのことで夫と喧嘩になったのですが、その時にハッとしたのです。自分都合で動き、良かれと思い行動していたことが、実は自分の考えのみで計画し相手の考えを尊重していなかったのです。すぐに謝りました。

このような時、夫の意見を聞かず、「私は間違っていない!あなたとの時間を有意義にしたかっただけなのだから責められるのはおかしい!」となっていた場合、これは自己愛が強すぎるのです。

このように悪意はなくとも知らずに家族や友人を振り回していることもあるのです。もしかしたら同僚や部下が不快な思いをしていたりすることもあります。ここでお伝えしたいのは、スピリチュアルに生きるということが、いつも正しく間違うことをしてはいけないのではなく、気付けるかどうかのなのです。そう。軌道修正です。

「もしかして私は自分のことしか考えていないこともあるのかも知れない…」と自分のことを見てみることや、ご自身と向き合ってみられてくださいね。

他人の話を最後まで聞くようにしてみることです。

自分都合な場合、自分の意見だけを重視し、自分の言いたいことなど、主張することだけを考えているので他人が話そうとすると遮ることがあります。

主張を聞き入れてもらうことだけを考えるのではなく、主張が強いということは、あなたの心が意見を聞いてもらえなくて哀しんでいるからこそであり、心を癒すことや「尊重してもらえていない」と感じ「尊重されるべきだ」になっていることに気付かれることです。

「絶対にこれが正しい」と思っていても、違う角度から見てみると、私の例のように相手からすれば、それが決して正しくないことも多々あります。

過剰な自己愛ではなく、ニュートラルな自己愛に目覚めるためにも、正しい人になる必要はなく相手に興味を持てなくても良いので、過去に「あなたの立場にもなって物事を考えて欲しかった」あなたの心に寄り添い、意見を聞いてもらえなくて哀しかったことから、主張が強く「聞いてほしい!」になっていることに気付き、その上で、相手の立場で物事を考えてみる視点を取り入れてみることです。

幼少期より意見を聞いてもらうことが少なかった場合、悔しさから自分が正しいことを証明したくなることがあります。

そのため自分とは違う意見を聞いたり、聞き入れてもらえないとすぐに否定したくなるのです。

自分が正しいを握りしめていた場合、正しい間違っているの二元論の世界を生きることになります。

「受け入れられていない」と被害妄想が根付いているので「そうじゃなくて」と言ったことや「私は」などという言葉が先に出てくることが多くなります。これはあなたが受け入れられていないと感じていることから、相手を否定したくなる思考なので、人間関係でのトラブルや衝突が増えます。

否定は否定のぶつかり合いとなります。
肯定は肯定の受け入れ合いになります。

全てあなたが感じている世界を映し出しているわけですから、「相手から肯定するべきだ」といった勝ち負けで物事を判断していた場合、お互いが肯定しあえない世界を映し出すことになります。

自分のことしか考えられない場合は、他人の気持ちに寄り添うことができないので、自分自身も寄り添ってもらえません。

周囲の意見を肯定することで自分の間違いに気づいたり、新しい価値観、知識などを得られることもあるのです。

そこで、あなたご自身が幼稚な世界に居続けたいのかどうかをご自身に問われることです。自ら精神性を下げることはないのです。

他人の話を遮らずに最後まで聞くことで、他人がどう考えているのかを知り、その上で自分の意見を言うようにすることで自分を振り返るきっかけになることもあるはずです。ぜひ今日から、遮らずに聞く新しい習慣を取り入れてみられてくださいね。

そこで、スピリチュアルでは、あるがまま生きることと言われることも多いことから、単なるわがままとの違いを知る必要があります。

自分らしく生きることは、自分の思うがままに横柄に生きればいいという意味ではないのです。

あるがままを生きることとは。

✔️自分は自分であると人と比較しない生き方
✔️出来ないことがあっても良いんだと思える心
✔️人の目を気にしないで好きなことを心から好きと言える
✔️間違ってはいけないと心を縛らず心を解放し自由に生きる
✔️良い親として良い妻として無理するのではなく休めてあげる

などと言ったことです。

つまり自分の欲のまま意見を押し通すだけのわがままで周囲を振り回すことと、人の目を気にせず自分に素直に、魂が求めている自分の心の声を聞くことの違いです。

魂が求めている自分の心の声を聞いていることが、自分の欲のまま意見を押し通すだけのわがままにはむしろならないのです。

人に対して意見を押し通すわがままになれば良いということではなく、自分にわがままになることであり、誰かにしてもらうじゃなくて自分にしてあげることなのです。

そのわがままが、自然に人に影響を与え、幸せにするわがままならいいのです。そんなわがままなら、いくらでも言いましょう。

ですが、自由に生きれば良いというのは、傍若無人に、他人を無視して、自分が思ったことを無遠慮な言動で人を振り回す、わがままになればいいとうことではないです。

もちろん、かと言って、人の目を気にし過ぎて、自分の心の声を聞かず、自分にも人にも遠慮ばかりして自分を無視するのも違いますよね。

わがままがダメなのではなく、あなたのわがままならみんなが聞きたくなるような、そんなあなたならエゴイストではないから大丈夫です。

本来エゴは、人との違いを楽しむための「私は、私が」を持つためであり「私ならどんなことがしたい?」もしくは「私ならこうありたくないよね」などと気づく事ができる個を持たせるためのものなので決してエゴ自体が悪者なのではないのです。

しかし、いつしか「私ならどんなことがしたい?」と言った違いの良さではなく、違いの不足感や悲観的になることで「私なんて」もしくは「私のこと聞いて!」と言った方向に向いてしまったのです。

自分を嫌いになるためのではなく、自分を高めるためにエゴはあることに気付き、実はエゴは人間にとって「自分を愛する」ための大事な部分であることを知っていただければと思います。

まとめ

5次元に生きるにあたって、何よりも真っ先にニュートラルな自己愛を知る必要があります。自己愛を勘違いしてしまっている方も増えているためご自身が向かいたい方向とは真逆に向かっていることに気づく必要があるからです。

今一度、自己愛とは何かに立ち返り、再確認し軌道修正していけるかが鍵となります。

本来エゴは、自分を嫌いになるためのではなく、自分を高めるためにエゴはあり、実はエゴは人間にとって「自分を愛する」ための大事な部分なのですが、違いの良さではなく、違いの不足感や悲観的になることで「私なんて」もしくは「私のこと聞いて!」と言った方向に向いてしまい自己愛が強すぎてしまい、自分勝手に自分都合になっている事があります。

そこで、あるがままと、わがままの違いを知ること。自分らしく生きることは、自分の思うがままに横柄に生きればいいという意味ではないのです。

・他人の予定や個人の事情などお構いなしに、「私!優先して!」とアピールが強いこと
・他人が大変かどうかは一切気にせず自分のことしか考えないこと

などと言った感情は、自分を認めて欲しいという思いが人一倍強いからであり、他人のことは考えないけれども、他人には認めて欲しいという考えから、自分中心に物事を考え、自分の思い通りに運ぼうとするので、自己愛が強すぎることに気付かれることです。

ただ、スピリチュアルに生きるということが、いつも正しく間違うことをしてはいけないのではなく、気付けるかどうかのなのです。そう。軌道修正です。

「もしかして私は自分のことしか考えていないこともあるのかも知れない…」という心を持ち合わせながら、今日から人の話を遮らず最後まで聞いてみた上で、意見をしてみることを新しい習慣として取り入れてみてくださいね。

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