私が思う現実主義と理想主義の違い

タイトルが張り切りすぎていますが,今回はテキトーな記事になります。悪しからずご容赦ください。

まず,現実についてですが,ここでは現在の事実の略語として使います。ほぼ同じ意味としてとらえます。

次に,理想は「考えうる最も完全なもの」とググって出ましたのでそのまま使います。



ここから例え話で考えていきます。

ある鍛冶屋に,現実主義者の頑固な職人と理想主義者の頑固な職人が働いています。2人は協力して金槌を作り上げました。そこへ金槌を購入したいという人が現れ,購入しました。

金槌を入手した客は2人の職人の前で,早速貯金箱を金槌で割りました。その後,貯金箱の中身だけを拾って金槌は捨てました。それを見た2人の職人は激怒しました。
※私がテキトーに作った話です

この話の中で,現実主義者と理想主義者はともに激怒していますが,実は2人は違う観点で激怒しています

まず,2人とも頑固な職人なので,絶対に釘を打つ以外の目的で金槌を使ってほしくないと思っています。貯金箱を割る道具としては絶対に使ってほしくないわけです。なので当然,2人ともその客は許せないのです。

しかし,現実主義者と理想主義者の違いを考えると,現実主義者は貯金箱を割ったことに対して非難理想主義者は金槌を捨てたことに対して非難しています。例えが悪い気もしますが,両者にはこのような違いがあります。

では,現実主義者にとっての現実を考えてみます。ここでの現実は「貯金箱を割った」ことと「金槌を捨てた」ことの2つがあります。極端ですが,現実主義者は「金槌を捨てた」ことには怒っていません。「貯金箱を割った」ことだけを問題視しているのです。

理想主義者の場合も考えます。理想主義者は釘を打つ以外の目的で金槌を使ってほしくないと思ってはいるものの,その客が「貯金箱を割った」ことには怒っていません。釘を打つ以外の目的だけで金槌を使ってほしくないと思っているのが理想主義者です。なので「金槌を捨てた」ことに怒っているのです。


両者の違いをまとめてみます。

現実主義者は金槌の使い方が悪いと非難します。

理想主義者は金槌を正しく使わずに終わったことに非難します。


現実主義者のほうはわかりやすいです。本来の目的と違う方法で金槌を使ったことが問題です。頑固なので許しません。

理想主義者にとっては間違った使い方をさほど問題視していません。多様性を認めているということです。ただ,正しい使い方を一度もせずに終わったことに腹を立てています。つまり,間違った使い方から目を背けているわけです。

理想主義者にとって金槌の理想は「釘を打つ」ことです。別に「貯金箱を割る」ことはどうでも良くて,その後に「釘を打つ」ことになればいいなと思っているわけです。当然捨てられたら今後使わなくなるので,それこそ理想に反するということです。



かなり雑な記事になりましたが,突然気になった話題なのでまともに寝ずに考えていました。私自身は現実主義者だと思っていた時期がありましたが,今考えてみると相当な理想主義者だと自覚しました。

メモみたいな記事なのでこの辺で。

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