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世界観について心理と論理で考察してみた

私の周りの人は豊富な考えを持っていて,私には到底考えつかないことを歯切れよく話してくれます。そんなとき私は,つい懐疑的になって周りの考えを批評します。本当に正しいことなのかや,矛盾はないかなど気にしてしまいます。周りの人が私を説得したい気持ちはわかるが,どうしても真に受けたくないことを言われたりもします。その多くが,個々の世界観などの曖昧で掴みどころのない話題です。


まず世界観について,フィクションにおいては,現実的でない要素をどこまで認めるかという創作などをして世界観を形成します。それはそれでわかりやすいですが,私たちが持つ世界観はもう少し複雑かもしれません。

例えば私は,中学校の担任に宙に浮いたような世界観と言われましたが,小学校の担任には地に足がついた世界観と言われました。これは担任の捉え方の問題かもしれないですが,私自身は大して世界観に変化は感じていません。そこで考えられるのは世界観以外の何かが作用したということです。ある意味,「世界観」観の違いだと言えます。

性格的なことなど

正直に言うと,私は自分の世界観を他人と共有したい気はありません。ただでさえ理解されがたい私は,そんなこと共有しても意味ないし危険だとも感じます。他人に知られたら説明に困ることを書くために,見出し画像の文字を作りました。そんなわけで私は秘密主義と言えます。MBTIではINFPですが,INFPの方なら少しは共感してくれませんかね。

INFPはとりわけ世界観の強いタイプだと言われていて,理解されがたいという人も多いようです。その一方で表現することが好きだという性格もあって,秘密主義な私でも表現したい欲求は尽きません。共感はされたいが,私の世界観を軽率に解釈して欲しくはない,という葛藤にたえず陥ります。

少し論理学的に

世界観を曖昧で掴みどころがないと書きましたが,重要なのは定義不可能性です。「定義不可能な概念」を「証明不可能な命題(矛盾命題)」と「反例を持つ命題(充足不可能命題)」に帰着させて考えます。

証明可能性は実際に手を動かして証明可能か不可能か求められます。しかし,求められない場合は証明が決定不可能です。また,充足可能性を満たさない命題は反例を持ちますが,反例の存在が決定不可能の場合もあります。いわば肯定も否定も証明できない命題のことです。

自論ですが「証明の決定不可能性」と「反例の存在の決定不可能性」を認めた命題の場合,「定義不可能な概念」はまさに個々の世界観になるのではないかと私は思いました。

はしがき

心理的な視点と論理的な視点の2つで書きましたが,どちらも世界観を考える上で不可欠な視点だと私は思っています。ちなみに論理学は私が哲学を考える際に役立てています。主観ですが,MBTIでいうINTP(論理学型)の性格は,論理学的な思考とは本来的には違うように感じます。

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