幕を作る
noteアカウントを作った。
一昨年作ったはてなブログはまだ2件しか投稿してないのに。
忍者blogは6ヶ月放置されると出る広告が跋扈して久しいというのに。
Twitterアカウントにしても、こういうアカウントを作るのはだいたい名前を付けてアイコンを設定するところまでが一番楽しくて、その先に高揚感が用意されているわけではないよな、と思う。
その点、noteはプロフィールを設定するだけでバッチをくれるし、動線を用意してくれてるなというのは感じる。ニコニコの継続プレミアムスタンプを貰うたびに舌打ちをしてしまう僕のような人間のモチベーションになるかというとそうでもないが。
さて、それでも何かを書いてみようという気になったのは、最近あまりにも幕を下ろすスキルが落ちているな、と感じたのでリハビリをせねば、と思ったからだ。
仕事場では専ら「フタを閉める」と呼んでいる(会社固有の方言な気もしているが、社外の人に使う機会がないのでわからない)が、表現は別になんでも良い。「仕舞いにする」でも「終止符を打つ」でも良いが、放っておいたらダラダラと続いてしまうものに区切りをつけなければならないことは人生においてはままあって、意識して行わないとできない類のアクションだと思う。最近あまりにも手を付けたまま放置してしまっているタスクが多いので、思考の整理も兼ねて、モノを書こうと思ったのだ。
幕を下ろすという言葉を選んだからには劇を例に取ろうと思うが、演劇で幕を下ろせるのは台本という仕組みによって予め終わりが決まっているからであって、同じ舞台に立ってエチュードをする場合には演者の誰かが話を畳まないと幕が下りるタイミングはやってこない。
翻って自分の抱えている仕事を顧みると、最初から台本が決まっているものなんてごく稀、劇の時間だけが決まっているものばかりで、どう終わらせるかは演者(自分あるいは協働者)にかかっていることがほとんどだ。
話の筋の行方を有耶無耶にしているうちに勝手に幕が降りてきて劇が終わりになることも珍しくはないのだが、それをどうにか「めでたしめでたし」のナレーションくらいは入れてからカーテンコールに移る、くらいまではレベルアップしたいなぁ、というのが話の趣旨である。
失敗する理由は実は割とはっきりしていて、見切り発車をするのがよくない。8割くらいはそのせいだと思う。
料理をする時に何を作るかも決めずに火を付けたりしないし、運転する時にどこに行くかも決めずにエンジンをかけたりしない(書いてから思ったがこれはする人もいるな)のに、こと仕事になるととりあえずデータを取ろうとか、とりあえずできることからやろうみたいになるのがよくない。
時間に追われてて、段取りするより作業をした方が時間を有効活用できるから、と自分に言い訳をしてみたりするのだけど、カレーを作るのに鍋いっぱいの水を沸騰させる、みたいなことはやってしまいがちなので、途中の細かい道筋はともかくゴールだけは決めないといけないのは間違いない。
で、落とし所を見つける練習として、noteで色々とアウトプットをしていくのはいいのではないか、と思って、この記事を書いている。
堅苦しくプロットを練って、起承転結をつけて、みたいなことはまずは傍に置いて、記事のテーマと結論くらいは決めて色々書く練習から始めよう、と。
自分の映画の感想とか見ても、とっ散らかっていることが多いし、Twitterではそもそも結論のある話をしないので、そういう意味ではまとまった分量を書けるnoteはちょうどいいと思う。(はてブでよかっただろ、というのはあるが)
書きたいテーマみたいなのは何個かあって、「関係性はベクトルではなくて線分だ」とか「迷路の行き止まりを見つける学問」の話とか、ツラツラとまとまりのない文章なら書けそうな話題はあるので、ちゃんと終わらせ方を決めて、書いていければ、と思う。
(話は逸れるが昔のブログの元ネタ用のメモ帳を開いたら「pixivの逆カプ」「サッカー実況」「火星移住計画」という単語が並んでいた。何も覚えていないが、もしも思い出したら供養してあげよう)
さて、肝心のこの記事のオチだが、この記事を書き始めた段階では完全に見切り発車だったので、どう終わらせるかはたった今これを書きながら考えているところだ。