君に殺されそうで、君を殺してしまった【エッセイ】
背中に、冷たく鋭利な刃物が突きつけられている感覚がする。
僕は両手を上げて、「わかった、別れないよ」とその場しのぎの返答をした。
前年の大晦日、僕は地元の友達数人と焼肉屋に来ていた。
地元に残った友達は、みんな20代前半で結婚して子どもを作って、今は仕事に育児に奔走している。
「いつ地元帰ってくる?」というのがみんなの口癖だ。必要とされることはいつだって嬉しい。
僕が必要とされている理由は、面白いからだと自覚している。
学生の頃から、突拍子もないことをやって友達を笑わせるのが好きだった。
それがエスカレートして先生に怒られるまでがセットの遊びだ。
友達はそんな僕を、次は何をやってくれるんだろうと期待の眼差しで見てくる。
期待に応えないわけにはいかないじゃないか。
ところで、焼肉屋にはとても綺麗な女性店員がいた。
色白で背が高く、目は二重でまつ毛が長くキラキラとしていて、鼻と口は目立たない感じだ。
「可愛いね。バイト何時まで?終わったら遊ぼうよ」
気がついたらナンパをしていた。
後から言うのはダサいが、ナンパは成功しても失敗しても良かったのである。
「またあんのすけが突拍子もないことをやり出したよ」と、友達に笑ってもらえれば良かった。
「暇すぎて誰でも良いから遊びたかった」とのことだったので、お互い様ということでこれは許して欲しい。
付き合ってから判明したのだが、彼女の年齢は19歳だった。
一応、成人年齢引き下げに関する民法改正が施行された後だったので、合法ではあった。
お母さんが韓国人であること、冬休みだけ実家の焼肉屋を手伝っていること、母親の再婚相手の"おじさん"と上手くいってないこと、実家から逃げたくて京都の大学に通っていること、お金がなくてキャバクラと昼のバイトを掛け持ちしていること……いろいろな話を聞いた。
当時の僕は、彼女の状況を一変させる力もやる気もなかった。ただ話を聞くことしかできなかった。
しかし彼女は、僕にとても深く依存していった。
19歳の絶望に包まれた女の子にとっては、唯一差した日の光のように錯覚させてしまったのかもしれない。
僕は東京に住んでいて彼女は京都だったので、毎日電話をしていた。月に1回ほど、どちらかが相手の家まで行って直接会っていた。
僕は社会人で彼女は学生だったので、交通費などは全て僕が出していたと思う。
それでもこれ以上会う頻度を上げるのは、金銭的にも時間的にも難しいと思っていた。
何度も上記のことは伝えたが、彼女は「会いたい」の一点張りだった。
正直、これだけだったら、僕が面倒を見きれる範囲だと思っていた。だから付き合っていたのである。
しかし、これだけではなかった。
浮気して他の男の子どもを妊娠していた。
怒る、というより呆れてしまった。
とりあえず中絶費用は僕が出したが、本当にとりあえず、である。
その後は、喧嘩の絶えない日々だった。
僕はとにかく、一刻も早く彼女から離れたかった。
浮気する女は論外であるし、メンヘラと関わっていると自分までメンタルが沈んでくるから、切り捨てたいと思ったのだ。
当時の僕は思慮が浅く、一度でも不要と見做したものは次々に切り捨てていた。人間関係も同様に。
自分勝手と誹られても構わない、それが当時の僕の自己防衛であったし、どうにかして彼女から逃げたかった。
とある金曜日の晩、京都にいる彼女に電話で「別れ話」を伝えた。
当然泣き叫ばれたが、電話越しなのでどうってことはない。
いつものように切り捨てるだけだ。その後は浮気相手とでも勝手に生きていって欲しいと思っていた。
しかし現実は、僕の思惑とは無関係に動いていく。
適当に電話を切り上げて着信拒否に設定し、全てのSNSから彼女のアカウントをブロックすると、僕は久しぶりに穏やかな気持ちで眠りについた。
翌日土曜日の朝8時か9時だったか、インターホンが鳴った。
僕は防犯意識が高くないので、宅配業者かと思い、モニターで来客の顔を確認せずに解錠してしまった。
ドアを開けると、昨晩まで電話越しに泣いていた彼女が、京都に住んでいるはずの彼女が、笑顔で目の前に立っていた。
心臓が飛び出るとはまさにこのことだ。
「別れたくないから来ちゃった!」とのことだった。
部屋に入れないと、この場で騒いで警察も呼ぶと言われたので、仕方なく家にあげた。
キッチンを通ってリビングに案内するときに、後ろから抱きつかれるような格好となり、背中に、冷たく鋭利な刃物の感触を覚えた。
「別れるくらいなら殺す」
そう言われた僕は、すぐに昨晩の発言を取り下げ、付き合い続けることにした。
しかしこんな最悪な形で復縁したって上手くいかないことは目に見えている。
彼女もそんなことは分かっていたはずだ。
今思うと、彼女からの最後のヘルプメッセージ、絶望の中で頼れる人間が僕だけだったのかもしれない。
今となってはもう何も分からない。
復縁してからしばらくして、彼女は夏休みに入った。
2ヶ月ほど大学が休みになるので、その間ずっと東京の僕の家で同棲していた。
僕が仕事から帰って来ると必ずご飯を作って待ってくれていた。
それでも僕は、浮気して他の男の子どもを妊娠した女と付き合い続けるほど、懐が深くなかった。
僕が別れ話を切り出すと彼女が泣き喚いて暴れる、そんな日々の繰り返しだった。
ある晩、僕は限界が来て彼女の母親に電話を掛けた。
お付き合いをさせて頂いているが別れたいこと、彼女が浮気して妊娠したこと、中絶費用を僕が建て替えたこと、全て洗いざらい話した。
「もう終わり。親にだけは言ってほしくなかったのに」
そう言って彼女は、睡眠薬を大量に服用し、気絶するように眠りに落ちた。
睡眠薬をオーバードーズしてもただたくさん寝るだけということは経験上分かっていたので、僕も普通に隣で寝て、まだ眠っている彼女を置いて翌日は仕事に行った。
これが彼女と会った最期の時である。
仕事から帰ると彼女は居なくなっており、僕は自分を取り巻いていた問題が全て片付いたような気持ちになった。
彼女がいない家に帰るのは寂しかったけれど、また喧嘩をするよりはマシだ。
これから元のレールに戻って、一般的なサラリーマンとしての人生を歩んでいくのだ。
些細なことで道を踏み外してしまったが、まだ修正可能な範囲だと思っていた。
警察から電話が掛かってきたのは、その3日後のお昼だった。
ちょうど仕事の休憩中だった僕は、急いでオフィスから出て電話を掛け直した。
「彼女さんが亡くなりました。何かご存知ではありませんか」
自宅で自ら命を絶ったそうだ。
そこから僕の情緒はぐちゃぐちゃになってしまった。
僕が殺してしまった。僕が関わらなければまだ生きていただろうに。
僕が軽率に、遊び感覚で手を出して、勝手に自分の都合で切り捨てて、文字通り、殺してしまった。
しかし日本の法律では、僕は何の罪に問われることはない。
ただ交際していた女性が自死してしまった、哀れな青年だ。
ただ僕だけが自分の罪を知っている。
一生かけても償いきれない罪を背負ってしまった。
でも誰も僕を裁くことができない。
そうだ、彼女のお母さんなら僕を殺してくれるだろうか。だがなんのやる気も起きない。
猫の世話も出来なくなり、いったん親に引き取ってもらった。
仕事は3ヶ月休職した。大事な仕事を抱えていたような気がするけど、どうでもよくなった。
というよりは、何も出来なくなった。
これは、僕の罪の自白だ。
日本の司法では罪に問えないが、僕のやったことは万死に値する。
19歳の女の子を死に追いやった事実は消えない。
僕を裁いてくれる人が現れることを、ただ祈り続けている。