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国境の夢話

口伝が終わった翌々日(22日)の夕方
カトマンズ、スワヤンブナートから
ブッダガヤへ向かうバスに乗った。

6時集合6時半出発ということだったが
出発は7時頃だった。

スワヤンブナート:バスの車窓から

バスチケットの手配は、
ブッダガヤへ行くことが分かっていたJ先生にお願いしていた。
今回の口伝の情報もJ先生から頂いた。
ブッダガヤ仏心寺さまのご縁である。

J先生は
赤塚不二夫の漫画
昭和の熱血ヒーロー
やり手の現場監督
弱気に優しく強きに厳しい
等をあわせ持つとても頼り甲斐のある先生で

思ったことをすぐに口に出すので
ヘマをするとすぐに怒られる。
でも内側は非常に優しい方で、
優しいことをぶっきらぼうにするタイプ。
もうひとりラダックのお年寄りのお坊さんも一緒のグループだったが、
手配はさっさとJ先生がして、
食事もお茶も自分が貰うより先に
われわれに当てがってくれた。

筆者もしょっぱなから
来いといわれていたチケット販売店ではなく
バスが停まっている所へ行ってしまったので
最初から怒られた。

ごめんなさい。すみませんでした。

バスは空調のあまり効かないACで
窓が開かなかった。
空気取りの窓が天井に2つと
車体の右側中央の上に地味にあった。

大きめのバスだったけれど
50人くらい乗っていただろうか。
半分以上がお坊さん
それより少ない尼さんと
在家の人々(恐らく口伝を受けていた人々)、
普通にインド人らしい7〜8人の人々で、
バスはいっぱいだった。
座席に座りきれなくて
通路に椅子を置いて座っている人もいた。

チベット人・ネパール人・インド人の乗客と
外国人は筆者ひとりだった。

道中丸一日かかったが
1番大変だったのは最初の数時間で、
つづら折りの峠を越えていく時が頑張りどころ。

途中チャイ屋で休憩があり、
ネパールで最後のチャイを飲む機会があった。
最初は見ていただけだったけれど
飲み終わったお坊さんの言葉は
「美味い。ちゃんと牛乳使ってるぞ。」

火元も土作りのかまどで薪を入れて燃やしていて、
如何にもネパールの田舎のチャイ屋らしい雰囲気で、
思わず1杯頂いた。

道中田舎のチャイ屋さん。甘くないお茶も作ってくれる。

あっさりしているけれど
濃いお茶と牛乳の味もする
ネパール最後のチャイを味わって、
バスに乗って数時間。

朝方5時頃、バスが止まって動かない。
国境に近づき、
少し待たなければならないという。

ここら辺からは筆者の夢の話である。

一旦停止したバスはまた動き出し
また止まった。

ひとりのネパール人男性がバスに入ってきて、
乗客のIDを調べ始めた。
インド人はアダル・カードという身分証明書を持っている。
インドに住むチベット人のお坊さんも持っている。
普段はそれで良かったらしいのだが、
今回は選挙権も記載されているカードが必要だという。
アダル・カードがあっても選挙権カードが無い人は、ひとり300ネパール・ルピー。
それで問題なく国境通過ができるということで、何人かがお金を払っていた。

さて、バスの中で外国人は筆者ひとり。

イミグレーション(入国管理局)に行って
ネパール出国のスタンプと
インド入国のスタンプを押してもらわなけれはならない。

バスに入ってお坊さん達のIDをチェックしていた男性がパスポートを出してといい、
そのまま渡して、
2人でバスを降りた。
バスの乗務員のお兄ちゃんが、
インド側のパーキングの所で待ってるからと言っているのが、雰囲気で分かった。

降りた場所は、ネパール入国管理局のある
道路の反対側だった。
2年前に来たことがあるので、そちらに向かって歩いていると、
ネパール人男性は後ろからついて来ながら
筆者のパスポートの中をいろいろ見ている様子。

入国管理局の外門は鍵がかかって
錠前もかかっている様子だったので
どうしたものかと見ていると、
実は錠前はかかっておらず引っかけていただけだったことが
男性が錠前を外した時に分かった。

敷地内に入り
入国管理局の建物の玄関を入る前に
彼が言った。

「朝早いんだから手数料を払って。」

この時筆者は、
この男性はバス会社関係の人間だと思っていた。

入国管理局の職員さんには
最後の少ないネパール・ルピーを渡そうと思っていたけれど、
バス会社の人まで頭に入れていなかったし
払う必要もないと思っていたので、
ちょっと腹が立った。

「オフィサーが中にいるでしょ。」
入国管理局の職員が中にいるだろうと思って、彼の手から自分のパスポートをサッと取り、入り口にかけられた布をはらって中に入った。

誰もいない。

入国管理局の建物は2階建てで
職員は階上で就寝していることも
2年前に同じ道を通って知っていたので、
「彼は2階で寝ているでしょう?
起こしてくる。」
と言って階段を登ろうとしたら、

「ちょっと、やめろ!」
と怒鳴られた。

そして彼は携帯を取り出し、
誰かと電話をして、
入国管理官のデスクの場所へ行き、
コンピューターの電源を入れた。

ここで筆者はやっと気がついた。

彼が入国管理局のオフィサーではないのか?

デスクの前の椅子に座りなさいといわれて、
やっぱりそうだと思った筆者は
やや反省し、
手に持っていた140ルピーをデスクに置いた。
(本来は無料)

すると彼は
ハッとして、
「何てことするのっ⁉︎」
という様子で身を引いた。

「そんなものは要らないから、早くしまいなさい!」

真面目な様子で言われたので
出した紙幣をそのままポケットに入れ、
言われた通りにデスク前の椅子に座った。

彼はパスポートをチェックしながら
カメラの前に顔を出しなさい
等々言いながら、
入国管理官の仕事をしている。

筆者は何となくオフィスの中を見まわしていた。

そして分かった。

デスクの斜め後ろの天井の角に
監視カメラがついている。
カメラはオフィサーと外国人とデスクの上を
全部しっかり写すように取り付けられている。

なるほど。

こういうことだったのかと納得して
少し笑ってしまった。

無事に出国スタンプをもらい、
外に出る前にお手洗いをかしてもらい、
入国管理局の建物から出た。

入り口の布を越えてから、
さっきの140ルピーを彼に渡した。
「ごめんね。お茶2〜3杯分しかないけど。」

すると
「本当は200ルピーなのに。」
と言ってくる。

「ごめん。これが最後のネパール・ルピーなの。」

「じゃあいい。」
と60ルピーディスカウントしてくれた。

門を出て、
インドとの国境へ向かう道は分かっていたので
「じゃあね。」
といってネパール入国管理局から出た。

皆んなはバスに乗って先に行ってしまっていだけれど、
換気ができないバスより外の方が気持ち良い。
まだ暗い中、のんびり国境への道を歩いた。
広い道の真ん中をひとりで歩くのは
気持ち良かった。

途中
ネパール側の警備でパスポートとビザの確認、
インド側の警備で同様にして、
歩きながら撮った動画を削除され、
無事にインド側の入国管理局についた。

バスはその向かいに停まっていた。

インド入国管理局は、
2年前もそうだったが
外国人がひとりで来ても金銭を受け取らない。
パスポートとビザが有効であれば
難しいことは何もない。

手続きをしている最中に
メイン・オフィサーの下で働いているひとりの男性が、何か愚痴っぽいことを言っていた。

『ネパール側のこと、お坊さん達が言ったのかな』と思ったけれど、これは筆者の想像。
そうだっだとしても
(数分で歩ける距離なのに)
別の国のことだから、どうにもできない。
オフィサーはちょっと
「しょうがないなぁ」という様子で聞きながら
仕事を続けていた。

入国審査はスムーズに終わった。
無料である。
「ありがとう。インドのイミグレーションはとても素晴らしいです!」
と嬉しく入国管理局を出て、
バスに乗ると

インド側でもひとり200ルピーずつ
徴収されたとのことだった。

負けてない。やるな。。。

お坊さん達は
「荷物検査で止められなかっただけでありがたい。」
と自分を納得させていた。

ここで筆者の夢は覚める。

暗いうちに国境を越えて
その後はもうインド。

なかなか食事にありつけなかったり
渋滞にハマったり
いろいろあったけれど

朝食のため30分休憩
インドらしい風景
バナナ畑!
インドで1番長い橋。ガンジス河が向こうに見える。
デンジャーなガスのトラック。
ガンジス河の上を行く。
牛もガンジスを超えていく。

とにかく夕刻ブッダガヤに着いた。

ブッダガヤ到着!カーラチャクラ・グラウンドの裏。

J先生に感謝。
皆んなに感謝。

翌日はブッダガヤの仏塔に参拝だ。

・・・・・・・

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龍樹など古代インドの学匠方と
チベット仏教の大祖ツォンカパの
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