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タボのご縁④~お坊さま~

タボ僧院のゲストハウスを取り仕切っているお坊さんから、いろいろ聞いたことがある。

先ずは、チベット語で「麦焦し」を示す「ツァンパ」は、ここで言っても分からない。
土地の人は「サットゥ」と言うそうだ。

今僧院に滞在しているお坊さんは、南インドのガンデン僧院ジャンツェ学堂からの先生方だそうである。
そういえば、僧院と深いかかわりのあるリンポチェも、ガンデン・ジャンツェの出身であった。

そんな話の途中、僧院長先生についての話題になった。
僧院長先生も、ガンデン・ジャンツェからだそうである。
それほどお年を召している方ではない。
時々ダラムサラにいらっしゃる。

・・・ここまで聞いて、筆者はあるお坊さまを思い出していた。

以前、チベットから亡命してきたお坊さんの経験談を、人に頼まれて集めていたことがある。
筆者はよくガンデン僧院の先生にお世話になっていたので、経験談を聞いて回ったのもガンデン僧院のお坊さんばかりだった。
その中に、K先生という方がいた。

当時は僧院内で、チベット語や歴史を教えておられた。
ご自身がチベットからインドへ亡命してきた時の話、ゲシェ(仏教博士)の学位を取られてから一度里帰りされた時の話などを伺った。
この先生はチベット本土で大学を卒業されてからインドへ亡命された方で、中国語が堪能でいらっしゃるので、経験談の収集を依頼したアメリカ在住の台湾人のスポンサーさんと直接話しができた。
中国語を知らない筆者より、スポンサーさんの方が良く内容を理解していただろう。

その後、K先生にはダラムサラで偶然お会いし、時々ダラムサラの近く、ノルブリンカにいらっしゃること、
スピティの僧院に派遣されて、
任期が切れて辞めようと思っていたら、土地の人から法王庁へ直訴が入り、
「辞めさせないで。」
ということで、今もスピティの僧院で役職についていると聞いていた。
スピティに来る時は連絡をしなさいと、優しい言葉をかけて頂いてもいた。

ゲストハウスのお坊さんの話を聞いていると、どうもそのK先生らしい。
お名前を出すと、その通りだった。
数日すると、ダラムサラから到着するという。

古株の事務長先生が引退し、事務仕事を他のお坊さん達に分配するにあたり会合が必要なので、そのために来られるようだった。

その後、筆者達は5日程キノール郡ナコに滞在し、再度タボに戻ったのち僧院長先生に再開した。
本当にご本人だった。

「君をどんな風に助けられるかなと、ずっと気になっていた。」
と優しい言葉をかけて下さったが、
これはそのスポンサーさんが、K先生をその後もサポートし続けていることを示す。
実際、コロナ前に台湾センターにいらっしゃった時、ビデオコールで話をしたとおっしゃっていた。

優しいクマちゃんのような風貌を持つK先生であるが、気性はまっすぐな方で、
土地の人がナアナアにしている賄賂や、金だけもらって仕事をしない事などは良くないとはっきり言う。
「君は中国共産党より悪い。中国共産党は悪いが、金をもらえば仕事はちゃんとやる。君は金をもらっても仕事をしないじゃないか。」
と、会議の場で言ってのける人である。
「『金で動くのは一般人のやり方だ。俺たち仏教徒のやり方はそうじゃないだろう⁈』
と言ったんだ。」
なんておっしゃっている。

赴任して1年経った時点で、
良かれと思って指示したことが土地の人に受け入れられず、
「もう辞める」と辞意を表明したところで引き留められることが既に起こっていた。

K先生が赴任されて、仏教入門クラスが村人に向けて始められた。それは今も若い先生方が続けてなさっている。

その結果、人々も変わって来たとK先生は言っていた。「昔はカザの方がタボより人が良いと言われていた。今はタボ人の方が、カザの人より良い人だと言われている。」

タボには酒屋が無い。アルコールを売っている店が無い。

昔は、男が仕事を終えて酒を飲んで、道行く女性を殴るという事も多かった。稼いだ金は酒に消えるので、お金もたまらない。それが仏教クラスを始めて、「酒を飲んで暴れることは良くない。お互い助け合うことが大事。」と人々が知り、行動が変わった。助け合うことが多くなったし、幸せに暮らせることが分かるようになった。

ある日、リカーショップ(酒屋)を始めようと外から誰かがやって来た。建物を建てて、開店の算段をしている時、タボ婦人会の面々が酒屋開店阻止のためにやって来た。

「もしここで酒を売る店を作ったら、わたし達がぶっ壊す。」

その結果、今でもタボにはアルコールを売る店は無い。

これが辞意を表明しても引き止められる理由なのだろう。

K先生に芯が通っているところを目の当たりにしたエピソードがある。

タボ僧院はセルコン・スクールというプライベート・スクールも運営しているが、この学校は私立と言いながら授業料は基本無料。
近隣の貧しい村人の子ども達でも、ボティ語(チベット語)を含めた高水準の教育が受けられるようにと創設された学校である。
敷地内にはホステルもあり、遠くの村から入学する子どももいるそうだ。
2021年9月現在で266人が在籍しているとのことだった。

田舎の学校で特別なスポンサーも無く、施設も整っておらず、コンピューター機器ももちろん少ない。
「学校の生徒と、タボの若いお坊さん達にも、将来生きていくためにはデジタル系の教育が必要だ」ということで、
コンピューター・ライブラリーを作るための基金を作ろうと、インド人の若者有志がタボに滞在していた。

彼らにはコネクションがあるらしく、
「基金創設、運営を進めるために、インド副大統領と会ってみますか?」
という申し出があった。

K先生はしばらく考えていた。
そして言った。

「インド副大統領に会おうとは思わない。
偉い人に合って、その恩恵で物事が上手く進むには、その土地の人が啓蒙されていなければならない。しっかりとした考え方ができていれば、権力ある人の助けがあれば、上手くいくだろう。
今はこの土地の人々に十分な教育がされていない。この状態で助けが入って来ても、しっかりと運営されていくかどうか疑問だ。」

「わたし達が豊かだとは言えないが、お金については何とかなるもんだ。それよりも、正しい考え方ができるようにするために、教育の方が大事だ。」

申し出た彼らもびっくりしただろうが、筆者もびっくりした。
彼らの一人は、
「とても謙虚な方だ。」
と言っていた。

K先生のご配慮で、ダンカル僧院、ラルン僧院・キー僧院を巡る1日ツアーは僧院の車を出して下さった。
運転してくれたお坊さまも、20年以上運転業務に携わっているそうだ。

古い僧院で護法尊の法要をなさる、痩せたメガネの若いお坊さまも、
毎朝欠かさず仕事をこなす。
時々欠伸をしたり、声が途切れることもあるけれど、
本堂でお水の供養をすることと、護法尊の法要には休みが無い。

1000年前に僧院を創設されたロツァワ・リンチェン・サンポも、強い祈りの心と信を持っておられたのだろうが、
今僧院につとめるお坊さま方にも、
自らの務めを果たして当たり前、という気概がある。

つづく。


DECHEN
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